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マイナス思考と自己嫌悪(長文です)

以前からもそうでしたが、最近特にマイナスにしか考えられなくなりました。 他人の相談に乗った時は、こう考えればいいとか前向きに励ます言葉を沢山かけてあげられるのですが、実際自分がそうできているのか?と言うと全くもってNOです。 友人や知人の前だと元気に振舞えるし、前向きな意見も言えるし、マイナスな面は殆ど見せません。けれど常に人の目を気にしてしまい、一人になった時にその時の感情が一気に押し寄せ、自己嫌悪に陥ります。 私は他人の言葉には必ず裏があって「ああ言ってるけど、本当は○○(悪い意味)なんだろうな」と考えてしまいます。友人、知人、恋人、全く見知らぬ人・・・誰であっても関係なくです。 そのことを親友に相談したら「誰もそんなこと思ってない」と言ってくれます。しかし、この親友でさえ本当は「実際はどうでもよくて他人事と思ってるんだろうな」と思ってしまいます。最低ですね。 こんな風にしか考えられない自分に嫌気が差し、考え方を変えたいと常に思います。実際裏なんて無い人に対してこの考え方は、非常に失礼かつ最低だと自分でも自覚しています。相手の気持ちを踏みにじっているわけですし。しかし、どうしても「本当は○○なんだ」という考えが浮かんでしまって・・・。 一度メンタル系のお医者様の所へ通おうかとも考えましたが、お医者様にさえ「こんなくだらないことで来るな」と思われるるのではないかと思う自分が居ます。 結局、私は「○○なんでしょ」という問いかけに対して「そうじゃない」と否定して欲しいだけなのかもしれません。自分を悲劇の主人公に仕立て上げ、優しい言葉をかけてくれる人に甘えているだけですね。なんて自立心の無い人間だろうと思います。 まとまりがなく、長文になってすみません。質問が何なのかも明確ではなく申し訳ないのですが、何らかのアドバイスを頂ければ幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Syo-ya
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回答No.1

マイナスに働く感情を否定・拒絶するから葛藤が生まれるんですから、あらゆる「感情を許してあげる」と嘘のように楽になれると想います。 大切なのは「感情を嫌わない」という部分です。 自己嫌悪という感情、怒り、嘆き、悲しみ、恐れ・・・といった感情を拒絶しないんです。 たとえば嫌いな相手を無理やり許すというのではなく、嫌いな相手と一緒にいるときに湧き上がる嫌悪感等の感情を許して、認めて、受け止めてあげるんです。 感情を嫌うから、いろいろな問題に発展するんです。 嫌わないで認めて、許して、受け入れてあげれば、葛藤が生じませんから、気持ちが楽になって、自然といろいろな問題がクリアされて、適切な対処が出来るようになってくるんです。 子供のときに、いろいろな失敗が普通に許されていたのと同じように、「感情」それ自体には何の責任もありませんので、まずは「この感情を許します、認めます、受け入れます」と自分に言い聞かせるようにするんです。 その感情に無条件に従えと言っているのではありません。 行動は今までどおり、普通でいいんです。 ただ、心の中の葛藤を止めてしまうだけで良いんです。 ですから、普段から、自分の感情を注意深く観察する癖をつける必要があります。 感情、心に対する無知があってはいけないからです。 常に自分の心を観察しながら「今、私の中で沸き起こったこの感情を許します、認めます。受け入れます」と自分に言い聞かせる癖をつけてみてください。 スーッとすると楽になれると想います。

その他の回答 (7)

  • N_Flow
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回答No.8

>私は他人の言葉には必ず裏があって「ああ言ってるけど >、本当は○○(悪い意味)なんだろうな」と考えてしまい >ます。友人、知人、恋人、全く見知らぬ人・・・誰であ >っても関係なくです。 「ラ・ロシュフコー箴言集」を読んだことがありますか。 一部で、「ラ・ロシュフコー・シンドローム」(仮称)と言われる症状です。 「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない」 精神的免疫が出来ていない人が氏の著作(特に「箴言集」)を読むことで、同様の心理状態に なることがあります。 通常の社会生活の会話であれば、人間関係を維持していくために、思ったことをストレー トに言わないで、場面に応じて、相手が気分を害さない表現にしたり、どちらとも取れる ように言葉を選んだりすることは良くあることです。その意味では「他人の言葉には必ず 裏があ(る)」と言えるでしょう。 言葉の真意(本件の場合は悪意)を探ることは、精神面での自己防衛本能で、誰でも自動的 に意識的に相手に気づかれないようにしていることです。 自我の形成が未熟時に、その ことで一時的に悩むことはあっても、多くの人は、自分を許して必要なことと受け入れて います。 >そのことを親友に相談したら「誰もそんなこと思ってな >い」と言ってくれます。しかし、この親友でさえ本当は >「実際はどうでもよくて他人事と思ってるんだろうな」 >と思ってしまいます。最低ですね。こんな風にしか考え >られない自分に嫌気が差し、考え方を変えたいと常に思 >います。実際裏なんて無い人に対してこの考え方は、非 >常に失礼かつ最低だと自分でも自覚しています。 >一度メンタル系のお医者様の所へ通おうかとも考えまし >たが、お医者様にさえ「こんなくだらないことで来るな」 >と思われるるのではないかと思う自分が居ます。 自分が理想と考える自己の人格像と現実の自己の人格の乖離に苦悩していると推察します。 「メンタル系のお医者様の所へ通おうかとも考え(る)」ほど真剣に悩んでいると言うこと であれば、幼少時に両親の愛情を十分得られず、厳しい家庭環境で、親の顔色を窺いなが ら「よい子」を演じることを強いられた人に現れる精神病理の一種と考えられます。 無意識のうちに、他人に、実際の自分より良い人間であると思われたいために、いい人を 演じる(偽善者度がやや高い)傾向があります。心の底で自分に自信がないことを自覚して いて、自分に失望しています。 一方で、そのことを他人に知られたくないため、他人に はいかにも自信がある「ふり」をしています。 人の評価に頼ってしか生きられず、自己執着が強く、全てにおいて他人の評価に頼ってし か自分を維持できない人です。 他人から低く評価されることを恐れます。 他人の評価に頼ってしか生きられない人は自分のために生きられず、したがって生きるこ とを心から楽しめません。 自分に自信のない、心の底で自分に失望して自分を信じられない人間は、信じるに値する 他人でさえ信じることが出来ません。 質問者さんが、「メンタル系のお医者様の所へ通おうかとも考え(て)」治療の意志がある ほど重大に考えているのであれば、自分は「自分が理想と考える人格者」とは程遠い、自 己嫌悪の原因を形成している「現実の自己の人格」その程度の人格を持った人間であるこ とを自分でしっかりと自覚する必要があります。 自分がイメージしている人格の理想像 を捨てて現実の自己を見下すことをやめることです。 自分に自信のある人は、平気でありのままの自分をさらけ出す事が出来、他人の言動に踊 らされず、他人の評価に一喜一憂しません。 自分を信じているからです。  いい人を演じるのではなく、肩の力を抜いて、もっと楽に素直に生きることから始めて下 さい。 以上参考まで。

redrose_wine
質問者

お礼

皆様たくさんのアドバイスありがとうございました。 お返事が大変遅くなりましてすみません。 本来ならば一人一人にお返事を差し上げるべきかと思いますが、 こちらにてまとめてお返事させて頂きます。 申し訳ございません。 今回書き込みをしたことで、いろいろな意見を頂き、大変前向きに考えられるようになりました。 私のような人間の書き込みに大してお返事を頂けた、という事がとても励みになり、問いかければ答えてくれる人がいるのだと実感できました。 まだすぐに180度考え方を考えるのは無理ですが、今後徐々に他人を信じられるように努力したいと思います。 皆様本当にありがとうございました。

  • dorizuki
  • ベストアンサー率26% (15/57)
回答No.7

このOKWebに相談するって事はredrose_wineさんは前向きな行動をしていると思います。私は自他共に認める前向きな人間です。 人間の性格って必ず見方によって長所短所を持っているって知っていますか?『前向き人間』って、私が思うには短所は明るいけどお調子者って取られるような気がします。又ある悪い事が起きたら「もっと苦しい立場の人が入るかもしれない。」とか「まだこの位で済んでよかった」と人生浅く考えすぎって思われているかもしれません。人を下に見下して自分を上に持っていってる人間と思われるような気がします。 まあ自己弁護させて頂きますがそう考えて行くしかないっていう経験から又体験から自分を持って行くしかなかったからだと思います。又そういう事って自分で見つける事もあるし、友達と話をしてて「あっ!そうか」って教えられる事もあります。 皆さんの回答を読んでどう取られたかあなたの自由です。只、 苦しくったって一日、楽しくたって一日です。

  • ryu-sei
  • ベストアンサー率3% (2/55)
回答No.6

その気持ちよく分ります。私もかつては自分が生きている意味が見つからずに、私なんて要らないと思っていました。でも、兄のたった一言に救われました。「たった一人の妹なんだから、死にたいとかそういうこと言うな。俺がどれだけ悲しむか分ってるのか?」と言われ、涙があふれました。それまでは所詮兄弟と言っても他人と思っていたからです。その事があってから、私は自分を見つめなおしました。そして、自分の好きな部分を見つけました。そして、今はその部分を伸ばす事に努力しています。あなたも、人の悩みにアドバイスしてあげれる優しい所を持っていると思います。それが後で悪い事を考えたとしてもその時はあなたが相談に乗ってあげないとと、思った事は事実です。そんな素晴らしい所に気づいて欲しいと思います。

  • D-G-J-X
  • ベストアンサー率23% (16/68)
回答No.5

>こんな風にしか考えられない自分に嫌気が差し、考え方を変えたいと常に思います。 redrose_wineさんは本当に考えを変えようと思っているんですか? 人間、いくらそうなろうと思っても行動に出ない限り変わらないものだと思います。 なので今はとりあえず目に見えるもの、耳に聞こえるものを 信じることから始めてはいかがでしょう?

  • haneduki
  • ベストアンサー率31% (5/16)
回答No.4

過去、毎日マイナスな気持ちでした?どうでしょう? 多分、日によって一人で居ても前向きな自分でいられた日があったと思います。 大丈夫です(^-^) マイナス思考の日も、プラス思考の日もあります。 みんなが不定期な波をもっているんだと思います。 私も最近、今までにないほどマイナス思考で毎日が嫌になって自己嫌悪していました。 もうこの先ずっと、こんなんじゃないかなぁ・・・なんて心配していました。 解決方法も見つからなくて、ね。 でもここ2,3日は元気で前向きでいます。 しばらく続いてくれると思っています。 心が傷ついているときはふさぎがちになっちゃうよね。 私の場合は、手触りが元気につながりました。 落花生の殻をむいてると無心になれて楽しかったし、ひき肉を練る感触が新鮮だったり。 今日は天気が良かったからひとりで公園に行って濡れタオルで自転車をきれいにしてました。 (はじめてやったの、昼間に一人で公園も新鮮で) 普段やってないことをしてみると楽しいよ(^-^) なんかね、自分がどうとかじゃなくて、違うことして注意をそらすのがいい感じです。

回答No.3

まったく見当はずれかもしれませんが,何かのご参考になるかと思って書きます。あなたは生きていることに何の意味がないということを考えたことがありますか?何のことかと思われるのではないかと思います。私は私が生きていることに何の意味もないと思っています。意味がないというのは死んでもよいということではないのですが,人は誰でも生きていることに意味がないと生きていけないと思い込んでいるだけだと思っています。意味がないのに生きていこうとするところが人間(のこころ)の特別なところだと思っています。人間でも、体は平気で歳をとって平気で老身になり必ず平気で死んでいきます。体は+思考も-思考もしないので平気なわけです。これはほかの生物でも同じです。もう一つはあなたが自分と呼んでいるのは自分のことではなく,自分の考えたことのことでしょうか。人生に意味があると思うことと自分のこと(自分が考えたことではなく自分とは何だということです!)がわかると思うのは両方とも錯覚なのだろうと私は思っています。

回答No.2

物事の裏と表の両方を考えてしまい、真に信じられるものがなくて途方に暮れてしまったりしませんか? 私も相談者さまと同様のことを考える性質があり、特に人間関係では複雑な心の表と裏(本音と建前など)を意識しすぎるが故に、今何を信じてよいのかわからない状況に陥っています。 自意識過剰というと響きがよくないのですが、自分の気持ちの一喜一憂に敏感に反応(執着)するのも一つの要因かな・・と私の場合は思います。 特に、悲しみ・怒り・落胆・嫉妬など、自分に起こるマイナスの感情に敏感過ぎるかなと自分で感じます。 あと、私の場合はヘンにマジメすぎるところがあるのです。 たぶん人間関係にある程度の「本音と建前」というのは、社交辞令レベルでも必要だし存在するのでしょうが、そういうものでさえ「心に嘘をついている」ようで嫌なのです。 自分でも心にもないようなことを言ったあと、自己嫌悪を感じます。 でも・・・必ずしも本音をぶちまけたら最善かと言えば・・そんなことはないわけで、 それじゃまるで幼稚園の子供みたいだし、やはり大人になって円滑に人間関係を営むには、本音を隠し(程度問題ですが)建前を言うことも必要なんですよね。 「所詮・・」 「私なんて生きてたって・・・(存在感が無いに等しい」 私の場合は凹んだ気分のときは物事をとにかく悲観的にしか見られなくなります。 周りの人がみんな上手く行っているように見える。 困難にぶち当たっても乗り越えられるくらいエネルギーに満ち溢れているように見える。 周りの人には心を許せる友達・家族が大勢いて幸せに見える。 人は皆私に本心を隠し、私を変わり者だと感じまともに相手にしないだろうと思う。 こんな思いに押しつぶされそうになります。 表面的にはそれを隠すので、余計に仮面をかぶっているように感じ、顔の表情が重く感じます。 笑顔なようだけど引きつっている感じがする。 心は重い。 同様のことを感じている人もいるんだよ・・ということですが、こういう体験談で人は救われるものなんだろうか? 確かに安心はすると思うけど、自分の中にあるこういうネガティブな気持ちを何とかできるようにならないと本当の解決にならないような気がします。 こういう気持ちがあっても構わないんだ。 ツライけど、こういう気持ちが沸き起こってきても気に留めないでやり過ごせばいいんだ。 誰もが多かれ少なかれそういうギャップや理不尽さの中で生きているものだ。 自分の現実をしっかりと感じる。 ・・というような、明るくて楽なときも、自己嫌悪感にさいなまれているときも、変わらなく信じられる基準のようなものを持てるようになると少し楽になるかも知れない。 回答ではないけれど、私もネガティブな自分と戦っています。 あなたにもがんばって欲しいです。

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