- ベストアンサー
お賽銭の正しい入れ方
こんにちはMacadiaです! 神社でのお賽銭の正しい入れ方ってどういうものなのでしょう? 先日テレビで細木数子さんが、「札を封筒にいれて」 と仰っていたようなのですが、どなたかご存知ありませんか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
追記すれば、賽銭の限らず他者に物を施す「布施」というものは「自分にとって必要もの」を「見返りの気持ちを求めない」で行うものです。「これぐらいなら出しても惜しくない」という気持ちで行うのは、「自分にとって必要でない物」を施すことであり、「見返りを期待する」のであれば本当の意味での布施はありません(今は布施というと寺院へのお礼のように一般的に使われますが、本来は神仏や他者・病人・貧者に施すことです)。 つまり賽銭に限らず、募金にしろ、寄付金にしろ「本当の意味で他者に施すのは困難である」と自覚することです。であれば「やってやる」「してやった」という傲慢な気持ちを反省し、神仏や他者に謙虚な心で接し、自分自身をもう一度見つめ直す機会となります。だから「賽銭」も仏教的にいえば重要な修行ひとつになるわけです。
その他の回答 (3)
- yuhkoh
- ベストアンサー率48% (350/723)
賽銭の「賽」とは神から福を受けた事に報いるという意味です。古代の支那では、冬に神の恵みに感謝を捧げる「賽」の祭りが行われていたことが、『史記』「封禅書」に記されます。ですから賽銭は神仏に対するお礼のしるしとして奉納する金銭のことで、転じて、寺社に参詣した時に奉る金銭です。円仁(<794-864>平安初期の天台僧。唐で密教を学び天台密教を大成させる。慈覚大師)の『入唐求法巡礼行記』などには、支那では唐代中期に仏前に金銭を奉納する風習が一般化し、これを「散銭(さいせん)」と呼ばれていたそうです。 ですから封筒だの、音だのそんなことでなく、賽銭をする上で一番重要なのは「何事も無事で健康に今まで過ごせてこれたから、寺社に参詣し神仏と良き縁が結ぶことができる」という最上の恵みに感謝してお金を奉じることです。また、そのような気持ちで行えばぞんざいな作法には自然となりませんよね。神仏のお祀りの仕方はまず、「あなたが最も大切にしている人に接する気持ち」になって行う事です。 なお、昨今テレビで細木某と称する人物が、珍説・愚説をさも「真実」であるかのように宣ってますが、彼女はあくまでも「占い師」であって、占い師は「自分の発した言葉を“真実”だと納得させる」ことが目的であり(まあ、彼女はそのテクニックがうまいのでは認めますが)、真実を述べなければならない義務はありません。しかも彼女は、宗教家でもなければ、民俗学者でも民族学者でも有職故実の専門家でもありません。彼女の発言はテレビ受けするから電波に乗るだけであって、真実だから放送されるわけでもありません。あのような意見を参考にされるのはいうなれば、考古学者にボクシングの指導を仰ぐようなものでしょうか。 No1さんの回答に掲載されていた細木説の女性の参拝の仕方なんて…。神社本庁もテレビ局に抗議すべきでしょうね。 参考 『岩波 仏教辞典』(岩波書店) 『大漢語林』(大修館書店)
お礼
有難う御座います!色々きちんと調べてみますね! 貴重なお答え有難う御座いました。
- asuca
- ベストアンサー率47% (11786/24626)
神社でのお賽銭は神様に祈願にきたことを知らせる物ですので音の出る硬貨を使うのが普通です。がらがら鳴らす鈴と同じ効果の物なんです。 つまり気張って1000,10000円札を入れても音がしないんできたことがわからないので願いが叶わないかも
お礼
ありがとうございます! そうですよね・・・・音がするのが普通ですよね・・・
- jurarumin
- ベストアンサー率34% (190/544)
賽銭を封筒に入れる事は間違いではありません。 しかし、賽銭箱に小銭を投げ入れる事も間違いではありません。 どちらも正しいことです。 細木数子曰く、 男子は、二礼→二拍手→合掌→一礼 女子は、二礼→合掌→一礼 賽銭は封筒に入れる。 ~~~参拝の仕方~~~ 1. 最初に境内に入ったら手水舎を探し、手水を取ります。 2. ご神前(賽銭箱の前など)に立ち、賽銭を投げ入れます。 3. 大鈴が下がっていれば、これを勢いよく鳴らします。 ※これは自分で行うお祓いですから、必ず拝礼の前に鳴らします。 4. 二礼二拍手一礼により拝礼します。 慌てずゆっくりと行います。 ※ここで行う「礼」は「拝(はい)」と呼ばれ、腰を90°に折り曲げる深い礼です。 5. 軽く会釈をし、ご神前から下がります。
お礼
とても丁寧に有難うございます!!助かりました!
お礼
ありがとうございます! 成る程、本来見返りを期待するようなものではないということですね。勉強になりました。