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おふだの中をみてアゼン

神棚に飾ってある古いおふだと新しいおふだを交換しました。やめておけばいいのに、ありがたい(のであろう)漢字がしたためてある紙をなんとなく破って中を見てみると、何も書いていないボール紙が一枚はいっているだけでした。いったい何なんでしょう。きいっ。くやしいっ。 ・・・何を質問したいのかよくわからないのですが、おふだやお守りの中身ってああいうものなんでしょうか? 原価はいくらなのか? そしてそして、ご利益はあるのでしょうか?(おふだ破ったぐらいでバチ当てるほど神様は心狭くないはず・・・ですよね? そうですよね? 頼むからそうと言ってくれ~~~) なお、この質問を読んで気分を害された方がいらっしゃいましたらおわびしま・・・せん。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.11

僕も小学生の時、お守りの中を覗いた経験があります。 お札もお守りも、持つ人の心の問題です。ご利益があると思えばあります。ただ人間の心は不安定なもので、それを確固たるものにするべく、物に思いを託し誓いの形とするのです。 そもそも宗教とは心の問題です。紙はなんであれ紙にすぎません。目に見えない不可視な存在、または不可知なことこそ宗教です。 僕が言いたいことは、心は想像以上に現実に影響を与えるということです。

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回答No.13

友人の話ですがお守りをゴミと一緒に焼却炉で燃やしたら(この時点で罰当たりですね) 中のボール紙だけが灰の中できれいに焦げもせずに残っていたそうです 外側のきれいな布は燃えていたそうですから 「不思議なことがあるもんだ」と思いました 物質的(ボール紙)なものより、精神的なよりどころとしてお守りやお札があるのではないでしょうか ごみなら単に「燃え残った」ですむ話かもしれませんから tokiemailさんもバチが当たると感じている時点で神様を信じてるのでは? 狂信的になる必要はないけれど、信じるものが在るというのは強くなれる(ご利益)こともあるのかもしれませんねv

回答No.12

No.11の者で追記です。 視点を変えて考えてみたところ、紙であるということがポイントだと思います。 日常の周りにある物、しかも希少な物でもなく、経済的価値のある物でもない物だからこそ、神聖なのです。 簡単に言えば紙なんてすぐ破けます。燃やすこともできます。絶対に壊すことができない物だったら、大切にする必要もありません。絶対なのですから。絶対なのですから、恐れることも心配する必要もありません。簡単に破ける、しかも身近にある価値の薄い物であるからこそ、決して犯してはならないものとして神聖な存在が成り立つのです。

  • kuropy
  • ベストアンサー率13% (20/149)
回答No.10

tokiemailさん、こんにちは! 私も子供時分きれいな生地で覆われてるお守りの中身をこっそり!見たことがあり、ふつう堅い紙だったのを思い出しました。。 正直、えっ!て思いました。 でも、神主さんがお払いをしてくださって祈りを込められた神聖なお札なんでしょうね。

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.9

お札を破って罰が当たるのではなく、お札を破っても何とも思わない、ただ物質だけにしか価値を見出せない。そんな心になることが「罰」なんですよ

noname#84897
noname#84897
回答No.8

初めて懺悔しますけど、実は私も昔、やったことがあるんです。お守りでしたけど。いったい中身はどんなんだろう、と、単純に好奇心からお守り袋の中身を解体しました、、、。 小さい薄い木の板でした。たばこの巻き紙みたいな薄い紙に包んであって、「ふうん、粗末なもんやなあ」と思いましたね。べつにバチは当たらなかったと思いますけど。 それにしても、質問者さんが「くやしい」と思うのは理解できないですね。どんなありがたいものが入ってると思いました? 大量生産するんですよ、たしか中国あたりで作ってるんでしょ?  イワシの頭も信心から、と言うじゃないですか。 冒涜して申し訳なかった、と詫びておいた方がいいかも。(私? もちろん、すぐ拝みましたよ、、、)

  • guramezo
  • ベストアンサー率48% (370/759)
回答No.7

#1です。3回目です。しつこいかな? お札を破っても、何も起こりませんよ。保証します。 もし、お札を渡してもらえるものなら、私がもっと粉々にしてあげてもいいですよ。ドンと来いですね。 「お札を破る」ことが「神様を粗末にする」ことにはなりません。 もし、神様がいるとしても、おっしゃるように、そんなに「了見が狭い」わけがありません。 大体、キリスト教とは違い、日本人で本心から「神様」を信じている人は、ほんの少数ですよ。 キリスト教徒は、「聖書」を読み、信じ、毎週教会に礼拝に行きますが、日本人で、神道を追求し、正月だけでなく普段から神社におまいりしている人って、見かけますか? お正月だけ、お札をもらう時だけ、困った時だけ頼られる神様も、たまったものではないですね、 そちらの方が、お札を破るより、ずっと神様に怒られますよ。 どうぞご安心を。

  • todoroki
  • ベストアンサー率48% (2274/4691)
回答No.6

 あの・・・お札って字の書かれた半紙(適当な言い方じゃないですが)の方が重要なのであって 中に包んであるのがご本尊じゃないんですよ。 お守りと勘違いしていませんか? 中に入っているのは、芯にするための道具にすぎません。 そのままだと神棚に飾るにもうまく立たないですよね。 だからボール紙であろうとベニヤ板(あるのかな)でも関係ありません。 もう一つ言うと、字の書かれた紙がありがたいのではなく 書かれている語句そのものに意味があるのです。 原価がいくらか?ですが 紙や筆や墨に価値があるのではなく 一字一字精魂をこめて書き上げる行為が売り物なのですから それに値段をつけるのは難しいでしょう。 ある人は1万円払うでしょうし、 またある人は(そんなの私にだって書ける)と思うでしょう。 実際に使われているのは紙と筆と墨くらいでしょうから たいした金額ではないと思いますけど。  恐れることはあらわれるといいます。 お札を破ったことでばちが当たるかもしれないと思った時点で 潜在意識に(こんなことをした私にばちが当たって当然だ)と刷り込まれ それが現実になるということです。 神様がtokiemailさんにばちを当てるのではなく tokiemailさんが自分を処罰するということですね。 お札を破るというだけでなく、自分自身に後ろめたいことはしないようにしましょう。

  • memoko
  • ベストアンサー率23% (453/1905)
回答No.5

追伸 お札や、お守りは1月15日にどんとで中の魂を抜いて焼くことになっています。 つまり、中に神様のいる状態で皮を剥いだということです。 少なくとも、無病息災は難しいかな。

  • memoko
  • ベストアンサー率23% (453/1905)
回答No.4

お札や、お守りの中をあけてみてはならないことになっています。 黄泉の国に妻を迎えに行ったイザナキが、決して振り返らないという誓いを破ったために妻を取り返せなかったようにルール違反した上に、中になにもなかったと言い立てるのは恥ずかしい行為です。 また、神様は悪魔よりも作法が難しい方です。 「触らぬ神にたたりなし」という言葉があるように、神様の許容臨海は低い位置にあります。罰があたります。 なかなか怒らないのは菩薩様でしょうね。

  • guramezo
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回答No.3

#1です。追加です。 おふだの原価は、計算するほどの金額ではありません。 ついでに解説すると、初詣でのときに夜店が並んでいますね。あれって、正月3が日の売上で、殆ど半年以上、遊んで暮らせる位、儲かります。 お札に負けないくらい、原価が安い商品ばかりなのです。 お正月って、皆、財布の紐が緩みますから、お札や、高っ~かい「熊手」や、普段の倍もするイカ焼きなんぞを買うわけですね。 次に、お札にはご利益はありません。 「縁起物」とよくいいますが、実際にご利益があると思っているなら、「ありがたいもの」と言います。「縁起をかつぐ」というように、気休めだと思っている人が多い証拠ですね。 でも、破ってしまうとなると、と・と・とんでもないことが起こるかも・・・・・・・・ (私も冗談言うと、怒られそう)

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