• ベストアンサー

存在感(?)について。

これはバイト先のことですけど、ほかの同僚と二人でいるときには普通に会話ができるのですけど、バイトが終わってみんなで集まると、自然とグループができます。その中に入ろうとしても、何かそのグループが別の世界に見えてなかなか入れません。 こういうのは昔もあったんですけど、二人でいるときはそれなりに中がいいのに多人数だとなかがいい人はほかの所に行ってしまいます。 他にも自分が違うのかなという心当たりがあって、それは二人で何か一緒の作業(将棋、キャッチボール等)をしていて、気まずいから何か話しながらやろうと思っても相手の反応が薄いんです。何かあまり楽しそうではない?みたいな。 昔の話になりますけど、僕は昔から友達がいなくて親友と呼べる人は少しいるけどみんな余り賢くありません。(真性のバカ?(みんなゴメン))自分がバカだからそういう人といるほうが気が合うのかなと思っています。僕は勉強はできますがそれだけです。芸能界に例えるとふかわ(すいません)みたいな感じです。もちろんそこから脱出したいです。みんなとはなれる気はありません。(だからいけないのかもしれないが) そういうのから脱出しようとして、いろいろな人と話をして自分を磨こうと努力をしている先につまずいた悩みです。やはりブランクはこんなにも大きいのかと痛感しました。 でもこんな事をして本当にみんなと普通にうちとける強い自分になれるのかと悩んでいます。それを信じられないから成長しないといわれそうですが、もう一年以上がんばっているのに明日が見えてこないとさすがにこれでいいのかと思ってしまいます。 誰かこの悩みに答えてくれませんか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

色々な考え方があると思いますが、思いつくままに感じたことを書いてみます。問題は二つあると思います。第一は、あなたが自分にソレナリの自信を持っていること、第二にはその自信に満足している自分に気が付いていないことのふたつです。どちらも別に悪いことではないと思います。第一の方についてはあなたが自分に自信を持っている根拠がちゃんとしていることだからです。バイトをきちんとこなせることも、友達を何人かもっているということからもよくわかります。ところが第2の問題と合わせてみると結構問題があるのかなと思ってしまいます。あなたの友達をバカといっていますがあなたはバカな友人を軽蔑していないし大切にしています。きっとあなたはバカな友人のバカであることをあなたを支える大切なものと考えているからです。バカな友達はあなたのやさしさがよくわかるので、安心してあなたと一緒に居ようとします。友達は必ずしもあなたの美意識から見ると、あなたの長所や能力を認めてはくれないように感じているのです。つまりあなたは友達と居る一人の人間としての存在感は十分感じているのですが優れた人として尊敬される欲望の方は満足させられていないわけです。そこであなたはバイト先の仲間の中で存在感と尊敬の両方を得ようとします。ここから本題です。バイトのなかまというのはあなたと同じように自分に自信を持っていると思います。そういう人は原則として利害関係からしか友達になりません。言葉が足りないと誤解されるかもしれませんが、利害関係というのは別に悪い関係ではありません。自分を向上させる為に作りたい関係だったら大切にした方がよいからです。おそらくあなたが持っている能力や長所はバイト仲間にとっては余り魅力を感じるものではないのだろうと思います。これは偏差値的な意味ではない事は申し上げておいたほうがよい と思いますが。あなたもそこはこ自信がありますから無視されてもそれほどオチコンでいないと思います。うまく表現できませんが、「おれの本当の真価が分からないのか!」というような感じを持っているのだと思います。しかしバイトが同じであるというだけの集合ではバイト的な利害しか考えていないのではないですか。手っ取り何か得することがあなたから得られなければ付き合わないのは、あなたがバイトを一生の仕事と考えていないのと同じです。ところがバカな友達はどうでしょう。あなたを仲間のひとりとしていきているかぎりそれこそ利害打算を無視してつきあってくれるでしょう。友人関係をバイト感覚で扱ってはいけません。あなたがバカという友人があなたの事を「バカな奴と尊敬している」ことの貴重さをあなたははっきりと認識すべきです。ながくなったのでこれでやめますが、あなたがバイト仲間に尊敬される時はあなたが真の友人を失う時であると思います。

himono1000
質問者

お礼

すいません。返信遅れました。 長文ありがとうございます。実にkaitaradouさんの意見は適確ですね。 私はバイトにかかわらず、学生生活においてこういう扱いを感じていました。まあもらったアドバイスのバイトというのを人生とおきかえればいいのですが。 結局私は人生について人間的魅力をあまり感じられてないんだなーということを改めて痛感しました。 >あなたがバイト仲間に尊敬される時はあなたが真の友人を失う時であると思います。 私もそれを感じていました。正直怖いです。これからどうなってしまうのか。 人と話すことでその魅力をつけるヒントを得ようとしたのですが、まだよくわかりません。人によって違うとは思いますが、kaitaradouさんは人間的魅力は何と考えていますか?(また質問になってしまいますが)

その他の回答 (4)

回答No.5

 kaitaradouです。少し書いてみたいと思います。子供は親やあるいは信頼できると思われる人の(心)の中に棲みこむことによって安心しようとしているとと思います。ちょうどヤドカリが貝殻の中に入って身を守る様に。おさない子供は、無意識のうちに自分というものがはっきりしないから今は他の人の中に棲みついているが、大きくなったら自分というものがはっきりするから自分の頭の中に棲めばいいやと思っている(のではないかと、私は想像しています)。この子供がおとなにっても、自分が存在していることは確かだが自分というものはわからないものだということを納得して、自分と呼べるほかのものを探します。そして自分の体を始め、教養、才能などを自分ということにして御互い認め合うことにして自分というものがいかにも分かったことにしているのではないでしょうか。しかしこれが一種の虚構であることには皆気がついています。やはり子供の時と同じように他の人の心の中に移住することによって安心したくなるわけです。おとなに成ってからはこれは子供の様に依存や依頼という形ではなく尊敬とか崇拝という形を取ります。おとなはこの様にして自分が死すべき存在であることを忘れようとします。これを神格化された人への同化と呼びたいと思います。尊敬する人を神格化して、この神格化された人と一体になることによって永遠に生きられるという安心感を得ようとするということです。このような試みは自分の墓石や銅像と一体化して死後も生延びようとするよりは良いかもしれませんが、人を尊敬したり崇拝したりするということは自分という不可解な存在を確かなものにしたいという動機から出ているという意味では同じようなものではないでしょうか。

回答No.4

>mintkamikamiさんの言った賢い人というのは具体的にどういう人なのでしょうか?また質問してしまいますが興味があるので教えてください。 賢い人間は求めるべき結果を達成できる術を持った人間です。 求めるべき結果をだせなくとも自分を賢いと判断できる貴方は幸せ者だと思いますからそれで良いんじゃないですか。

回答No.2

貴方に頭が良いとか悪いとかの偏見があれば仲間はできないでしょう。 人を見下す事よりまずその人の魅力を感じる事が大事ではないでしょうか? 質問内容を見る限りそのお友達と比べてもどうかな?って気はしますよ。 賢い人は仲間はずれになんかなりませんから…

himono1000
質問者

お礼

返信遅れました。 私は偏見は誰しも持っているものだと思っています。(偏った考えですかね?)ただみんなそれを表に出さないで、私はみんなにすべてを知ってもらいたくてこんな書き方をしました。言い訳がましくてすいません。友達は正直自分よりも下(EQというのかな?そのEQ面で(人生ではそれがほぼすべてと思っています。))と感じています。魅力というより友達は僕を認めてくれます。だから僕もそれに答えるといった関係ですかね。 mintkamikamiさんの言った賢い人というのは具体的にどういう人なのでしょうか?また質問してしまいますが興味があるので教えてください。

  • mitoizumi
  • ベストアンサー率53% (25/47)
回答No.1

mitoizumiです。 himono1000さんの気持ち、何となくわかるような気がします。 自分はもう就職して何年にもなりますが、『不可抗力の隣人』とそれなりに上手くつきあえるようになったのはごく最近のことです。 学生時代は、「上手くグループに溶け込めない」「なかなか友達が作れない」ことでずっと悩んでいました。 学校生活でこれは凄く重大な問題ですよね・・・。特に林間学校や修学旅行などの『仲の良い友達同士で自由に班を決めましょう』みたいな時は、いつも拷問でした(笑)。「あの子は自分を誘ってくれるだろうか?」「もし誰にも声を掛けられなかったらどうしようか?」など・・・ 普段一緒に行動する友人はいても、その友人が自分を本当はどう思っているのわからない。しかも自分がその友人を楽しませている自信も無い。 だから、自分以外のもっと楽しい誰かが側に来ると、なんとなく自分からその友人と距離を置いてしまう という感じでした。 自分の対人関係の築き方には早いうちから疑問を持っていたので、大学に入ってからは、サークル活動などで華やかな青春(?)を送る同級生たちと少しでも近付こうと、出来るだけ彼らの生活をお手本にしようと努力したこともありました。が、むしろそのことでストレスがたまってしまい、結果、彼らと一緒に居ることすら苦痛に感じるようになってしまいました。 結局、当時の自分は『人に合わせる』事でグループの中に入ろうとしていたのだろうと思います。でもそれは本当は何の解決にもならないのだと、最近になってわかってきました。 himono1000さんは『グループの輪に入れない』ことを気に病んでいるようですが、実はそのことはそれほど重要ではないと思っています。 考えてもみてください。この世の中の『集団』のほとんどは、自分が望んだメンバーでは無く、様々な個性の人がある目的の為に集まっただけのものです。その中で常にみんなと仲良く、楽しく過ごすことなど最初から不可能なのです。 そのような『集団』の中で上手くやっていくのに必要なことは、常に明るく振る舞うことでも、楽しい話題を提供することでもありません。『まわりの空気を読む』ことだと思っています。 そして、「人にどう合わせるか」ではなく「自分はどういう人間なのか」「自分は他人にどう見られているのか」を冷静に分析し、集団の中で自分のポジションを見つけることです。 また、『友人を作ること』と『グループに入ること』は別に考えてたほうがよいですよ。himono1000さんにはちゃんと友人と呼べる人がいるようですので、その方たちはちゃんと大事にしてあげてください。 きっとhimono1000さんは、「世の中の大抵の人は沢山の友達がいる 自分には少ししかいない」と思って、そのことに劣等感を感じているのかもしれませんが、実はみんな、本当の友達と呼べる人はごくわずかしかいないんです。 自分もまわりに溶け込めなくてずっと悩んでいた時期がありましたが、そんな自分にも(少ないですが)何かと構ってくれる友人がいました。 himono1000さんはご自身のご友人を「真性のバカ?」と表現していますが、そんなことおっしゃらずに(笑)ずっとお付き合いしていけば良いではないですか。その方たちとの関係を保ちつつ、『皆と違う自分』を認め、ゆっくり進んで行けばいいと思います。 himono1000さんのように「まわりと上手くつきあっていこう」と考えて努力している人は、とても素敵な人だと思います。 ただ、決して「グループに入らなければならない」「どんな人とも明るく付き合わなければならない」という義務はありません。どうかあまり深刻に考えず、心に余裕を持って人と接していってください。 対人関係で大事なことは『自分をよく知ること』『自分を慕ってくれる友人を大事にすること』だと思っています。 自分もまだまだ修行中の身です。同僚と上手くいかず、仕事を辞めたこともあります(その同僚もまわりと上手くいっていなかったようですが)。でも、いつか本当の自分に限りなく近い姿で楽しく過ごせる空間が見つかると信じています。そして同時に「一緒に居て楽しい」と思ってもらえる自分になれるよう日々努力しています。 あまり要領を得ない文章で申し訳ないですが、どうかあまり思い詰めず、気を楽にしてマッタリ行きましょう!応援しています!

himono1000
質問者

お礼

mitoizumiさん長々とありがとうございます。何かmitoizumiさんの発言を聞いて親近感が沸いてきました。 私は人と変わっているのかなーとよく思います。それが個性と捉えることもできますが皆と話してても相手の心をうまく捉えられないからそう思うものなのですかね。 私は皆に比べて(皆というのは今まで出会ってきた人です。)たとえ親友とまではいかなくても仲良くなる人が少ないなーと思います。これは昔友達があまりいなかったからいろんな人と話す機会を失って、幼少期に習得するはずの何かがまだ習得してないのではないかと思っています。 でも、もしかしたら私は皆に比べて、人間関係という理想が高すぎなのかもしれませんね。自分をもう一度考え直します。

関連するQ&A