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「見掛けられます」という表現について

・~を見掛けます ・~が見受けられます ・~が見掛けられます という3種類の言い方があります。 「~が見掛けられます」という言い方は、最初は「泳げられます」と言うのと同じ感じがして、不自然な言い方かなと思ったのですが、よく考えてみると、回りくどい表現だとは思うものの、「~を見掛けます」で全て置き換えられるものでもないという気になりました。 「見受ける」と「見掛ける」の違いを辞書で調べると、 ・「見受ける」は、見て印象を受けたり判断をしたりすること ・「見掛ける」は、見たという記憶や経験を持つこと という意味でした。主観の入り具合が若干違うようです。 「見受けられます」は語感としては全く抵抗のない言い方ですが、客観的事実を伝えるに過ぎない場合だと、主体のさり気なさをほのめかす「見掛ける」は捨てがたいです。 また本などを見て、「見掛けられます」は「見掛けます」の受身で、これは無生物を主語とする英語的表現に過ぎず、純日本的表現としては「見掛けます」にすべし、といった問題かなとも思ったのですが、考えているとそれも、第一に受身か可能かが分からなくなってしまいました。 「見掛けられます」という表現を用いる例と、その解釈(可能・受身とか)などを教えてください。よろしくお願いします。

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回答No.1

「れる」「られる」は難しいですね。 質問の例の「見掛けられる」「見受けられる」で使われる「られる」は受身ではなく、自発という用法です。 つまり「誰かに何かされる」のではなく、誰かの意思に関係なく「自然とそうなる」ということを表しています。 「見掛けられる」=「自然と見掛けることがある」 同じ例をいくつか挙げます。 「~と感じられる」=「自然と~と感じる」 「非難の声が聞かれる」=「自然と非難の声が耳に入ってくる」 「故郷が想われる」=「自然と故郷を懐かしく想う」 など、おおむね「見る・聞く」などの知覚動詞、「思う」などの心の動きを表す動詞につく場合の用法です。古典では「泣か(れ)る」=「自然と泣けてくる」などと現代よりも広い範囲の動詞につく場合にこの用法が見「られ」ます。

goose_post
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自発という分類は見落としていました。 > ……にこの用法が見「られ」ます。 これは自発の用法でしょうか。「見る」という動詞の場合だと、 ・この展示会では話題の新製品が見られます。(可能) ・早く去らないと二人でいる姿を見られます。(受身) ・古典の中にこれらと同じ用法が見られます。(自発) ・先生は午後から野球部の練習を見られます。(尊敬) と分類できて、同様に「見掛けられます」も、一部語尾を変えますが、 ・この島では珍しい鳥が見掛けられます。       (可能(ではない)) ・ホテルを出るところを誰にも見掛けられないようにね。(受身) ・この本の中には多くの間違いが見掛けられます。   (自発) ・不審な人を見掛けられましたら、必ずお電話下さい。 (尊敬) と、文脈(誤用?)次第で色々あるように思えたのですが、 「見掛けられる」(と終止形を取る場合?)は、おしなべて自発ということですか。 (分類は分類と思いつつも、なんか難しいです……)

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回答No.2

No.1回答者さんの説明で,じゅうぶんだと思いますが,重箱の隅を少し・・・ >「~が見掛けられます」という言い方は、最初は「泳げられます」と言うのと同じ感じがして、不自然な言い方かなと思ったのですが、 「見かける」も「泳げる」もどちらも下一段動詞なので,変化の形は同じですが, 「泳げる」のほうは「泳ぐことができる」意味の可能動詞ですから更に「られる」がつくことはありません。ですから「泳げられる」は不自然な日本語になるのです。これに対して「見かける」のほうは可能の意味は無いので,「られる」とつけてもおかしな日本語にはならないと思います。

goose_post
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 不自然さを表すのに「泳げられます」は不適切だったかもしれません。可能がちらほらしていましたので。 最適なものを他に探すと「読み掛ける」がどう使われようと「読み掛けられます」にはならない感じです。「~掛ける」というのは、「歩き掛ける・使い掛ける」などと多くの動詞に付けて使えますが、「~掛けられる」となるのはそう多くないように思えます。(呼び掛けられるは使いますね)