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『芸術』なら破廉恥でも許される?
よく、電車の吊り広告で、週刊誌にヌード写真が載っていることが書いてありますが、その広告にはヌード写真は絶対に載せられませんよね。法規制なのか自主規制なのかはしりませんが。。。 新聞広告でも、掲載はありましたが、乳首が露出しないような配慮がありましたね。 ところが、おなじ吊り広告でも、美術館の広告では裸婦画が堂々と載せられています。どこも隠そうともせず、本当に堂々としています。 私には、この違いがどうしても理解できません。 どなたか、納得できるように説明していただけませんでしょうか。 よろしくお願い致します。
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#8です。 数ある質問の中には、タイトルと本文で微妙に違うことを書かれている場合があるので(わたしもやります)「タイトルのみに回答するようなおっちょこちょいはやめよう」と常々自戒しているつもりだったのですが、先の回答はタイトルにしか答えていませんね。失礼しました。 もちろん突き詰めていけばご質問は「芸術とは?」ということになると思いますが、とりあえずは 「車内吊りなどで裸体画は許されているのに、ヌード写真はなぜないのか?」 が具体的な問いですね。ではそちらに(なるべく)直球で…… 一番簡単な答えは「生々しすぎるから」だと思います。 写真は絵画よりもはるかに直接的で、ダイレクトに「テーマ(この場合裸体)」を表します。そこに芸術性があるかないかを問題にしないほど「直接的」です。そして、車内吊りを見るのにかける時間はほんの数秒。数秒というわずかな時間では、裸は単に裸という記号の役割しか果たせないのではないでしょうか。 そのヌード写真が芸術か否かというのは、その直接性をひとまず消化したあとに来るもので、そこまで行くには、受け手の「咀嚼力」が大なり小なり必要とされるように思います。それは車内吊りで一般的に必要とされる「一瞬の伝達」「万人向け」とはそぐわないものではないかと思うのです。 「芸術であるかないか」というのは、この場合決め手ではないように感じます。 うーん、直球になっていないかもしれない……。 >裸婦画が芸術なら、ヌード写真も芸術と言えるのではないか そうです。(基本大前提でそうなっていると思います。) 美術展のポスターくらいでいいのであれば、多分今でもヌード写真はないわけじゃないと思うんだけどなー。車内吊りには車内吊りの性質上、登場しにくいと思いますが、ヌード専門の写真家の写真展のポスターなんかだと、他に何を使えっちゅうねん、という話になりますしねー。 ……数百年も待たなくても、篠山紀信、荒木経惟、他にも色々……はもうとっくに(どこかでは)芸術という名がついていると思いますが? ただ、自分がそれを芸術だと思うかはまた別の話です。 芸術は「これは芸術だ」と思う人が一人でもいれば(ある意味では)すでに芸術なのです。 以前「芸術の定義って?」というような質問に回答したことがあるのですが、わたしはそこで「千差万別、人それぞれです!」と回答したことがあります。……ほんとに、そうとしか言えないと思うんですよ。 だから「自分の思う芸術とは」ということは言えますが、皆で芸術の定義を共有するというのは無理だと思いますねー。 なので、 >経年にともなって付加される価値なのではないか と質問者さまが思うことも尊重されるべきものです。……わたしの意見とはかなり違いますが(^_^;)。(すまぬ……)まあわたしの「芸術」の範囲はこれまたかなり狭いので、自分を基準にはできませんけれども。 ところで、(余所の人の領分にまで出張して差し出口を申し上げますが) >芸術といわれている裸婦画を描いた画家は本当に『男の性的欲望』を意識せずに描いたのでしょうか? これは、意識しても(わたしは)問題ないと思います。 芸術作品には官能性が含まれ得ると思うからです。必要条件ではないと思いますが。 ただ、 >本当は『裸の女を描けば民衆を惹き付けやすい』などの考えがあったのではないでしょうか? これ「だけ」が動機で作った作品なら(わたしは)芸術作品ではないと思いますね。 でもそもそも「だけ」ってあり得るのか、疑問ですけれどね。何かを生み出す立場の人間は、自分が作る作品に自分を反映させようとするものでしょうし、その自分が「裸の女を描けば民衆を惹き付けられるだろう!」という考えで埋め尽くされているという状況も……考えにくいし……。人間は雑多な思考をしながら生きています。 とまあ、色々書きましたが、的を外した回答だったらご容赦を。わたしは既に自分のために書いています(^o^)。 では失礼します。
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- alchera
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「破廉恥」なものは芸術ではないと思います。つまり、 >『芸術』なら破廉恥でも許される? は否。 ただどれが破廉恥か、というのが問題なわけです。 その基準は人によって違い、明確な区分が出来ません。主観(その状況での独断)と割合(アンケートをとるわけではないので、これも主観に左右される)の問題ですので、当然同じ絵・写真・その他に対して 「これは芸術だ」「いや違う」という論争は無限に起こりうるのです。 その論争に決着をつける、絶対的な根拠はありません。 芸術かそうでないかを言葉でシンプルに言うなら、煽情性が美を超えるか超えないか……うーん、これでは言葉として非常にあやふやですね(^_^;)。ぶっちゃけていえば、「その絵を見て、心の大部分がイヤラシイ気分に占められるかどうか」ということでしょう。 「ちょっとエッチくさいけど、でもきれいだ」というのは芸術の範囲。官能性は美に内包され得ます。 が、「きれいだけどエッチくさいな」と感じたら、そこからは違うもの、……この区分けはちょっと乱暴だろうか。でもまあ私見ではこんな感じになります。 つまりは受け取り手の意識の問題ですね。その作品に何をどのくらい見るか、ということです。 ただ裸=破廉恥、裸「だから」破廉恥、という記号での結びつけは、わたしは違うと思います。この辺りに関しては、以前別な質問で長広舌をふるったことがあるので、とっても暇なお時間がありましたら見てみてください。一応貼らせていただきます。参考になるかどうかは今ひとつですが…… 以前雑誌で、荒木何某という写真家のヌード写真を見て、衝撃を受けたことがありました。 わたしはこの人を「扇情的なヌードを撮る写真家」というイメージで捉えておりますので(詳しくは知らないので是非はともかく)ほとんど興味がないのですが、その写真は美しかった! モデルの人が非常に整った裸体の持ち主で、写真自体もすっきりシンプルに撮ってます。全体が青みがかった白、ポーズもほんのちょっと動きがあるだけ、目付きが多少色っぽすぎるのが気になりましたが、これは美しいと思った。 「(芸術であるにせよ)ヌード写真をわざわざ切り取るなんてどんなもんだろう」と自問しつつ、捨てられないと思い未だに手元にあります。まあこの場合、テガラは写真家の方じゃなくて、カラダの方にこそあるのではないかと思いましたが(^_^;)。あれだけ美しい体だからこそああいう風にシンプルに撮ろうと思ったのでは、と考えているので。 この経験があるので、ヌード写真も芸術になり得ると思っています。 とか何とか長々と書きつつ、違いをわかろうと思うのでしたら、その方法は色々な良い絵を見ていくのが一番近道だと思いますよ。客観的な基準がないに等しいものですから、言葉で説明されても実は全く意味がありません。 ハダカも見慣れれば単に一要素でしかありませんから。それほど裸を特別視せずにすむようになると思います。 ではこんなところで失礼します。
お礼
ありがとうございます。 挙げていただいた質問もざっと拝見しましたが、これは質問者の方が少々意見が乱暴のようですね。私はさすがに、自分の理解を越えるからといってそれを否定するつもりはありませんので。。。 裸婦画が芸術なら、ヌード写真も芸術と言えるのではないか。。。それはまさに私も考えていたことでした。違いがわからないとはまさにこの扱いの違いです。 荒木氏のはさすがに、本当に煽情的なので意見がわかれるところだと思いますが、たとえば篠山紀信氏などは過剰な色気のない、掛け値無しの『芸術的な』ヌード写真を撮られますよね。 ところが、篠山氏の写真であっても、広告には載りません。 芸術とは、経年にともなって付加される価値なのではないか、とも思ったことがあります。芸術と言われる裸婦画を描いた人ってみな故人ではないですか?(私がそう思い込んでるだけかもしれませんが) 篠山氏や荒木氏の写真も数百年後には芸術として美術館の広告を飾るのではないでしょうか。。。
美術の時間と専門(イラスト関連)で習った事の受け売りなんですが… 「週刊誌やスポーツ新聞のヌード写真はセクシーで「いかにも男の性的欲望を掻き立てるように写ってるから」」と言う事です。 自分もちょっと納得。 おじさんは電車の中で目を見開いて 見てますからね…^^; いかにも、顔つきとかポーズとか見るからにセクチィじゃないですか? アシスタントに行った先の漫画家の先生も同じような事を言ってました。 バイセクシャル、同性愛の方は分らないですよ。そそられるかどうか…。 絵には「「裸」は体の動きの全てが見えるから、芸術の基本!」との事。 お風呂に入ったときにでも確認していただけると分るのですが、服を着たときと違う「体の曲がり具合、腕や足の伸び方、手がどの位置にあるのか…等」よく分かるかと思われます。 漫画やイラスト、美術画の見方が少しでも変わると思います。 ちなみに余談ですが… 漫画とか見てて 「コイツはちょっと手の書き方おかしい…」とかよくある話です。プロのクセに
お礼
ありがとうございます。 たしかにそうですね。同じ絵でもエロ漫画は芸術として認められていませんものね。 ああなるほど、といいたいところですけど。。。 じゃあ、芸術といわれている裸婦画を描いた画家は本当に『男の性的欲望』を意識せずに描いたのでしょうか? 本当は『裸の女を描けば民衆を惹き付けやすい』などの考えがあったのではないでしょうか? そう思わずにはいられません。
- thebusiness
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「わいせつ」と「芸術」の線引きって難しい論題です。 >私には、この違いがどうしても理解できません。 「裸」だからと言って即「卑猥」に結びつけるご質問者様のような方もいれば、ちゃんと週刊誌のヌードと美術の裸体画の「芸術的価値」を分けて考えることの出来る方もいるし。 人によって判断基準がそれぞれ違うので、一概に線引きするのは難しい論題と思われます。 以前広告代理店に勤めており、車内吊り広告も扱っていたのですが、週刊誌の吊り広告のゲラが上がってくるたびに「わいせつすぎるから表現を緩和して欲しい」と出版社にクレームを入れることも度々ありました。 特に、代理店側が猥褻かそうでないかのガイドラインを設けていたわけではないのですが、そういう内容の吊り広告を掲出すると、ご質問者様のような方が「電鉄会社に」クレームを入れてくるわけです。 こちらとしては、クレームは直接出版社に入れて欲しいんですが、一般の方にとっては、電車の中で見たものは電鉄会社の責任だという理解になります。 そうなると、吊り広告を持ち込んで掲出してねと頼んでいるのは代理店側なので、電鉄会社からはあんた達の持ち込んだ広告のせいで我々がクレームを受けた、どーしてくれるんだ、と代理店が電鉄会社から怒られてしまいます。 場合によっては、もうあんた達の広告なんか扱わないよ、とへそを曲げられてしまい、ビジネスに響きます。 とゆーわけで、電車の中吊り広告に関する判断基準となるのは「広告代理店の見解」とゆーわけです。 たいていの場合、過去の事例に基づいて掲出の可否を決めるらしいのですが、正直細かいことになると私も分かりません。 まぁ、一般的に見て「クレームが来るか・来ないか、来るとしてもどの程度来るか」を、過去の実績から見てくれで判断するしかないのです。ただ、現在車内吊りに関しては広告の取り扱いが減っており、そういう意味では審査が甘くなる傾向が強くなっています。
お礼
ありがとうございます。 私は別にクレームをつけるつもりではなく、単に本質的な違いがわからないというだけなんですけど。。。 とはいえ、その見解というのも結構いい加減なもののようですね。たとえば、悪徳商法の会社が出しているいんちきのパチンコ・パチスロ攻略雑誌の吊り広告をよく見かけます。あれも見る人が見ればすぐわかるのに苦情がまったくこないのでしょうか。不思議なものです。
社会常識とか社会規範ってやつでしょうね。 みんなが猥褻だと思うものが、猥褻だと。 「みんな」って誰って問題もありますが(笑) とりあえず、裸婦画が猥褻である、電車の吊り広告から撤去せよという市民運動もないし。 その意味で社会的に認められているからOKって事でしょう。
お礼
ありがとうございます。 芸術という大義名分は社会全体に認められる力をもっているということでしょうか。 絵心のない私には良くわかりませんが。。。まあ、皆が良いと思うのなら良いのかもしれませんね。私も良くないと思っているのではなくて単にわからないだけですので。。。
追加ですが パンツが見えたらやばいですが プールで水泳パンツはなんでもありませんよね。 合理的な説明なんてないんです。 なぜって人間も社会も矛盾や非合理に出来て いますから。 それを受け入れるのが大人かな・・・
お礼
ありがとうございます
- yasya
- ベストアンサー率29% (842/2899)
法律的なことは分かりませんが。 雑誌類は「買わせるため」に見せていないんだと思ってました。 だって、広告にしっかり写真載せちゃったら買う必要ないじゃないですか(^^; でも、以前はテレビでも女性の乳首はわりと普通にでていたのに最近は乳首だけ隠していてすごく変に思います。乳房はでているのに・・・。 芸術品に関しては、隠す必要ないんでしょうね。 やはりどんな作品が来ているかによってもその展覧会を見に行くかどうか分れますし、裸体で興味を引く必要もないですから。 しかも、大体絵画的なものは「淫乱」な感じはないですよね。 裸のオバサンが寝そべっているとか(笑)。 まあ、これが正解とは思いませんが、一つの参考として。
お礼
ありがとうございます。 なるほど。買わせるためですか。それもあるのかもしれませんね。見たきゃ買ってね~ということですね。袋とじなんてのもありますしね。
違いが分かりませんか? 裸婦画のどこが破廉恥なんでしょう。 週刊誌のヌードはまあ破廉恥といえば 破廉恥でしょう。 まあ、簡単に言えば日本社会では 暗黙に芸術であれば破廉恥とは言わない ということです。 小学校時代から学校でも暗黙に 習ってきたと思いますよ。 社会って、そんなもんですよ。 別に理解できなくてもいいんです。 理解できなくても、現実の社会は そこにそうやって存在してますからね。 もし、不愉快で許せないとすれば 積極的に行動に移されたらいかがですか。 電車を経営している会社にどうにかしてくれって。 そういう声がたくさん出てくれば 目に付かなくなると思いますよ。 それもまた社会でしょう。
お礼
ありがとうございます
刑法175条により 「わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれを所持した者も同様とする。」となっており 猥褻とは 1.性欲を興奮又は刺激させ 2.普通人の正常な性的羞恥心を害し 3.善良な性的道義観念に反すること と定義されます。 だだ猥褻か芸術かは時代により意見が分かれるところで、ヨーロッパでも古代ギリシアではオリンピックでは男性が一物を晒して素肌で競技を行い、未婚の女性はそれを見学する事を許されてましたし、ルネサンス期と共にあるがままの肉体美を晒す事を容認してました。 美術館のギリシア彫刻をご覧になると。 (ミケランジェロのダビデ) http://art.pro.tok2.com/M/Michelangelo/mich03.jpg ところがキリスト教の影響が強まると、そうしたルネサンスの名画に腰布を描く「フンドシ画家」(ダニエレが有名)なる者が現れ、加筆修正されます。 http://artchive.com/artchive/M/michelangelo/lstjudge.jpg.html この「最後の審判」など、35箇所もフンドシを書き加えたとか 現代ではその腰布をまた剥ぎ取り、原作者が意図した人間らしい裸体に戻す事が行なわれております。 このように芸術か猥褻かは議論の分かれるところであり、個々の人間の感情は分かりませんから、権威のある方が「これは芸術だ!!」といえば、当局もそんな物かとなるのではないでしょうか。 個人的には全裸より薄めの布を付けた方が欲情します。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、芸術といわれている分野でもそのような修正があったのですか。 それはとても納得です。 たいへん参考になりました。
お礼
再度ありがとうございます。 、、、私の感じていたもやもやのすべてに対する解答ですね。文句なしに納得です。 もちろん、納得しただけであって、絵心が芽生えたりはしませんが^-^; 長々とありがとうございました。