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依存しないで精神的に自立したい
私は学生の女です。最近病気にかかりました。私は、(命に関わらないとはいえ)一生ものかもしれない恐怖におびえているのに、母や恋人の反応が思っていたより変わらないような気がして、「私はこんなに不安になってるのになんでもっと気を遣ってくれないんだろう」と思ってしまうことに気づきました。 特に恋人は、私の病気についてほとんど関心を持たず、自分の人間的成長のことで精一杯のようです。私は本当は家族よりもいちばん彼に助けてほしいんです。でも彼は自立した人で、私のことだけに自分をさけないとわかっています。私はそれを頭では理解できても感情では納得いかないのです。「恋人なのに」と。 よくよく考えたら、私には友達はいますが、本当に自分の核の部分を話せるのは彼しかいませんでした。でも、友達に自分のことを話そうとしても、口ばっかりで聞いてくれない…私のことを気にしてくれてないように思え、個室もないので思い切り泣くこともできません。 きっと彼の生き方は正しいんだと思います。私が他人に甘えすぎなのです。でもどうしても、彼や他人に気にされないことが嫌でたまりません。 甘ったれるな!と叱咤されるのを承知でここに書き込みます。 よろしくお願いします。
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>でも、友達に自分のことを話そうとしても、口ばっかりで>聞いてくれない…私のことを気にしてくれてないように思え、 やっと30代なかばになろうとする私からの経験です。 「他人を愛さないのなら愛されません」 「信用しないのならば信用されません」 あなたは今まで友人の悩みなどを我がことのように 考えてアドバイスしてあげたことはありますか? したことがないのに、してほしいと願うだけならば ただの子供です。 気を使ってほしい、優しくしてほしい、と おもうのもわかります。でもそれは彼にしてみれば 「ただ甘やかす」だけかもしれません。 今は心の余裕が質問者さんにないのかもしれません。 >私はそれを頭では理解できても感情では納得いかないの>です。「恋人なのに」と。 恋人ってなんでしょうね。 私は「一番世の中で大好きな、愛しい。でも他人」だと おもいます。 他人に何かを望むのならば、あなたは何かを与えなくては なりません。愛情がほしいならば愛情を。 友情がほしいならば見返りのない友情をしめしてくだ さい。 「こうしたのにしてくれなかった」とおもうのは 見返りを求めているのでだめです(笑) また不安になっているあなたに必要以上に周りが 気を使い、優しくし、親切にしたらどうでしょう? 私は疑いますね。もっとひどい病気なのかな? 私を哀れんで優しくしてくれるほど、重病なのかな。って 私はそういうことで心配になってしまいます・・。
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- Syo-ya
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お礼をありがとうございます。再度の6です。 これだけ補足させてください。 その瞑想法の意義は、気づくことによって平常心というフラットな心を養うことにあるんです。 怒っている時に「私は怒っている」と気づくということは、結果的に平常心に戻らなければ出来ませんよね? 悲しいときに「私は今、悲しんでいる」と気づけるということは、平常心があるから出来るんです。 ただ気づくだけで何の意味があるのか、不思議に思うかも知れませんが、気づくという行為には、平常心の成長という意義があるんです。 その瞑想法の具体的な名称は、宣伝と見なされて削除されますので書けないのが残念なんですが、実際は、身体意識から、心の状態まで、ありとあらゆる<自分の状態>に気づくんです。 普段、見落としがちな<普通の自分><気持ち良い状態><なんでもない状態>にも気づくんです。 是非、頑張ってみてください。 必ず自己成長を果たせます。
お礼
2度もすいません。 なるほど…平常心。冷静な心ですね。それをしてると確かに客観できてます。逆に客観しすぎて自分ではないような錯覚に陥ってますが…(爆)。 >必ず自己成長を果たせます。 おっしゃるとおり、どういう方向であれ“成長”できる気がします。 ありがとうございました!!
自分が書いた文章のように、読ませていただきました。 数年前の自分を見ているようでした。 私も、まったく同じ気持ちで生活していた時がありました。誰もわかってくれない、この気持ちが一番強く、どうしようもない孤独感がいつまでもいつまでも抜けませんでした。 私の場合は、母がものすごく心配性で、母性本能120%なタイプでしたので、逆に、私の身体のことで、泣いたりされるのが辛かったでした。自分の心をコントロールしなくてはいけないのに、その上母の気持ちまで落ち着けなければいけない、どうしてもっとどーんとかまえて、大丈夫、何があってもそばにいるから、という雰囲気でいてくれないかなー、重いなー…と思ったものです(scar-myselfさんのお母さんのようにいつでも平常心でいてくれれば、私はもっと自分のことを考えられたのにって)。いろいろですね…(笑); 私には、scar-myselfさんのように言える”彼”がいなかったので、こんなとき一緒にいてくれる人がいたら、どんなにか安らかだろうと思ったこともありますが、一緒にいても、自分の思った反応が返ってこないと、それも寂しいものがあるかもですね…。 自分が考える、時間や人とのあり方に対する思いと、他者の存在のあり方に、ギャップが生じてしまうことってありますよね。いつどうなるかわからない、残された時間が少ないかも、と思って暮らすのと、あたりまえに明日と健康があると思って暮らすのでは、違って当然なのかもしれないですね。それに加えて、 >私は2年前までは他人を愛し精一杯の信頼を傾けてきたつもりでした。それこそあまりに人と深く付き合いすぎて周囲から「もっと自分のために生きないと自滅するよ」と注意されてたほどでした。 という優しい性格があるのですから、大変だったろうと思います。もともと、自分がのどが渇いていて水が欲しくて、他の、のどが渇いている人の気持ちがわかって、ただでさえ少ない水をあげているのに、自分が欲しいというと、「欲しがるばかりではいけません、もっと与えなさい」と言われる、心の問題って、難しいですね。だからといって、自分のことばかり考えているのはよろしくないけれど、あなたは自分の飢餓状態に気づいておられ、しかもそれが”甘え”だとわかっている。わかっていても、欲しいときって、あります。それくらい、渇いているのかもしれないですね。人に優しくするのは、悪いことではないです。でも、相手のことが自分のことのようにわかって、放っておけなかったという動機が、心の底からの親切心ではなく、本当は、自分にして欲しいことをしていただけだった、とか、受け入れられたくて(相手の反応で自分の存在価値を確認していた)、とかだったりすると、飲んでも飲んでも渇く、という悪循環に陥ります。 でも、scar-myselfさんの場合は、そのことに気づいているのですから、ありのままのscar-myselfさんでいられるようになるのも、そう遠くない気がします。 自分の存在(生命)がおびやかされると、どうしても、何かを残したいと思ったり、誰かの印象に残ろうとするんですよね(生命維持本能なのかな?)。 その欲求は、仕方のないものと思います。しかし残念ながら、その欲求が満たされる可能性は、限りなく低い気がします(私はいろんな本を読むことで解消してきましたが)。 >友達に自分のことを話そうとしても、口ばっかりで聞いてくれない…私のことを気にしてくれてないように思え、個室もないので思い切り泣くこともできません。 >「私はこんなに不安になってるのになんでもっと気を遣ってくれないんだろう」 >特に恋人は、私の病気についてほとんど関心を持たず、自分の人間的成長のことで精一杯のようです。私は本当は家族よりもいちばん彼に助けてほしいんです。でも彼は自立した人で、私のことだけに自分をさけないとわかっています。私はそれを頭では理解できても感情では納得いかないのです。「恋人なのに」と。 病気になってみないとわからないもので、scar-myselfさんが病気であるということはわかってはいても、生命の危機がないということもあり、どれくらい不安か、ということは正確にはわかっていないのではないかと思います。逆に考えてみたらどうでしょう? たとえば、自分が普通に生活していて、その中で、相手が何か自分に親切にしてくれたことがあったとして、「ありがとう、嬉しいわ}といったのに、後でその相手が、実は「自分が思ったようにお礼してくれなかった」と言っていたとしたら…。自分はお礼をしたつもりなのに、悪気はなくても、重く感じませんか。そして、scar-myselfさんのことですから、相手の期待通り反応できなかった自分に傷つくことでしょう。 人の価値観もいろいろで、程度もいろいろです。 病を抱えた身と、健康である人とでは、考え方、感じ方が違っても仕方ないと思います。多分、違うということさえ考えないかもしれません。何か、特別な配慮がいるんだろうな、と想像するだけで、実際病気の人と向き合ったとき、健康な人は、どう対応して良いか、どんな言葉を発すればよいか、戸惑うものだと思うのです(それはそれで気を遣わせてしまうのが申し訳ないですよね)。考えようによっては、相手が平常心でいてくれるって、とても気楽なことと思います。心配して欲しい、っていっても、自分の思うとおりの形とは限らないですしね。 scar-myselfさんが心を尽くしてやったことでも、思ったとおりの反応がないと思うのならば、やることを止めることです。その心の反応は、思った以上にエネルギーをそいでしまいます。自分にエネルギーをたっぷり蓄えて、それでも、相手のために自分がしてあげたい、と自然に思うことであれば、思ったとおりの反応がなくても、しつづけるべきです。それはcar-myselfさんの優しさ、良き資質なのですから。 また、そんな時は、やった自分が嬉しくても、「~してくれない、思ったとおりの反応じゃない」とは思わないものです。 彼がもし、無関心というのであれば、おそらく、scar-myselfさんの”甘え”が嫌なのかもしれないですね。厳しい言い方かもしれないけれど、人って、逆境にも立ち向かって、一生懸命頑張る人が好きなんですよね。 scar-myselfさんの本心を曲げてまで、頑張ることはないですが、scar-myselfさんの、真摯に生きる姿勢が、たくさんの人の心を自分に寄せてくれるのではないでしょうか? でも、それは元気になってからやることです。 今までの心の動きを知らずに、「甘えたい」という言葉だけを聞くと、反感をかいそう、と思うのは仕方ないですが、心が熱を出しているときは、ゆっくり休んでください。ジョギングしても風邪は治りません。「身体にいいからジョギングしたら?」は、健康な人にいう言葉であって、いくら身体によくても、風邪で寝込んでる人には言わないですよね。 ゆっくり休んでください。で、抵抗力をつけてください。自分のこと、体のこと、家族のこと、恋人のこと、いろいろ考えて、寂しかったら寂しいと言って、不安だったら不安だと言ってみてください。それで思う応えがかえってこなくても、自分の心の求めるままに、言葉を捜してみてください。本を読むこと、おすすめです。ネットでも、何でも、とにかく、自分の心にぴたっとくる言葉を捜してみてください。それが薬です。 これからも、長い道のりと思います。決して平坦な道ではないのだろうと想像しております。 休憩しながら、自分のペースで歩いていってください。 それらを超えて、心穏やかな毎日であることを願っています。長くなって(しかも参考にならなかったら)ごめんなさい。
お礼
とても心のこもった暖かいお言葉、ありがとうございます。 今の私は考えに考えすぎた挙句、何も考えられなくなってしまいました。「何が敵であろうと、もう他人に頼らずにひとりで最後まで戦い抜く」という孤独な勝気にのみ支えられている感じ。他人との接触を一切 絶てば、楽しみもない代わりに嫌なこともありません。今私に必要なのは、きっとひとりで考えて動く時間なのだと思ったのです。今はどうしても思いやりの心が湧いてこないのです。 でも、心配しないで下さい。きっとこれは一過性のもの。今までだって私はこうして生きてきました。この時期が終わる頃には私はまた他人を求めて、他人のために生きる歓びを思い出すと信じてます。 今は何もいらない。ただ、目の前にある私の義務にだけ向き合っていくと決めました。 うまく言えないのですけど…EARTH2016-714さんの優しい言葉は確かに私の胸に届いています。感動しながら読みました。だから、EARTH2016-714さんの言葉も、他人の価値観も受け入れられるように、今はひとりになりたいと思いました。 ありがとうございました!
- Syo-ya
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>>「私はこんなに不安になってるのになんでもっと気を遣ってくれないんだろう」と思ってしまうことに気づきました。 ・・・と、ありますように、「気づき」が得られれば人間は嘘のように成長する生き物なんです。気づくから変われるんです。ですから、気づきのトレーニングをすれば本当に変われるんです。 今後、彼(誰か)に対して慰めの言葉や、慰めの態度を期待している自分に気づいたら「期待してる、期待してる・・・」と期待が終わるまで実況中継してみてください。 日常生活の些細なことでもそうです。 「依存している、依存している・・・・」 「計算している、計算している・・・・」 「怒っている、怒っている・・・・・」 「不快な思い出を思い出している・・・・」 「未来を悲観している、未来を悲観している・・」 「右足から歩いた、右足から歩いた・・・」 と、あらゆる現在の自分に気が付くことが大切なんです。 そして、こういう自分の悪いところに気づくだけでなく、良い所も、普通の所にも、全部にバランス良く気が付く必要があります。 http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1052279 こちらの5とそのリンク先の瞑想を是非、実践してみてください。心を育てる気づきの瞑想です。
お礼
アドバイスありがとうございます。実はSyo-yaさんとこの瞑想のことは前に何かの過去ログで知ってました(笑)。「なるほど~」と思ったものです。Syo-yaさんご自身もこの瞑想で成功(?)された方なのでしょうか。 偶然にも最近になって怒りのときだけ「あ、私今怒ってる」と自覚できるようになってました。体の細かい動作までは自覚したことがなかったのですが、確かに気づきは改善の第一歩だし、やってみようと思います。 集中力のない私には難しそうですが…。 ありがとうございました。
- ririnnnohitori
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人によっては、大切な人が苦しんでいる事を認めたくない傾向にある人もいます。 また、ものすごく心配なんだけれど知らない振りをしてしまう傾向にある人もいます。 ですので、本当に心配していないかということは分かりません。 それに、困ったときは大切な人に助けてもらいたいものです(私のような生涯ロンリーはすべて自力で何とかしないといけませんが)。 だから、あなたの気持ちもよく分かります。 人はそれぞれの生き方がありますね。当然、生き方が全然違う人に魅かれて付き合うということもあります。 そういう時はどうするかというと、大抵は相手に合わせたり、自分に合わせてもらったりしたり、それぞれが歩み寄って新しい生き方を二人で生きるということもあるんですね。 ここで質問ですが、あなたは彼にもうちょっと自分に合わせてほしい(もうちょっと自分にかまってほしい)といったことがありますか? また、彼はあなたがこう思っている事を知っているんですか? 先ずはここからですね。付き合って行くと、だんだんお互いの事が分かってくるものですが、一度面と向かって話されてみてはどうでしょうか?
お礼
>彼にもうちょっと自分に合わせてほしい(もうちょっと自分にかまってほしい)といったことがありますか?また、彼はあなたがこう思っている事を知っているんですか? これは#4のところで書きましたが、私も言ってるし彼も重々承知しているようです。応えることとは別みたいですが。 私は今まで生きてきて、幼い時から何でも我慢する癖がありました。「自分さえ我慢すれば、周囲は平和なのだ」と思ってのことでしたが、結局何も平和にはならず…。 いつからか我慢することが苦痛になり、周囲を自分に合わせようとしていました。 でも、ririnnnohitoriさんはじめ皆様に言葉をいただいたことで気持ちは楽になりました。 ありがとうございました!!
- this
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恋人に「私を心配してほしい」「いたわってほしい」「やさしくしてほしい」「話を聞いてほしい」と、自分の要求を素直に言えばいいんじゃないですか。 「言っても理解してもらえない」「真剣に聞いてもらえない」・・・それなら、何度でも同じ事を話せばいいでしょう。ひとりよがりの考えは、恋人との距離を拡げ、自分を孤独にするばかりです。 結果についての保障はできませんが、そんなコミュニケーションもできないような関係では、恋人同士とはいわないでしょう。
お礼
実は言ってます。かなり何度も言いました。それでも私に構う気はないみたいです。 私はひとりで悩みに悩んだ挙句病気になったと予想してるのですが(ストレスからくる病と聞いたので思い当たるのは彼との関係不和しかない)、結局は離れてしまった距離を受け入れられなかった心の弱さが悪いのです。 彼はいい意味で「自分あっての世界」を持った人なので、お互い自立しあって、恋人にはここぞというときに頼れる関係でいてもらいたいようです。 もう私ひとりがアホみたいに勝手に苦しむだけなので、そういうことをいうのを諦めますが(苦笑)。 アドバイス、ありがとうございました。
- arearewakaran
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あなたが、お母さん、彼氏の立場だったらどうしますか? あなたのためを思って周りは気にしないようにわざとしているのかも知れませんヨ。 人間だれしも持ちつ持たれつ 依存...?ではないでしょう 生きていくことが大切なのです。 生きることは大変なんです
お礼
>生きることは大変なんです はい、痛感しております…。私は今まで大きな挫折を経験したことがなく(←コンプレックス)スムーズに生きてきたので、ちょっとのことですぐ甘える癖があるようです。 病気になった原因のひとつに、家族のことや恋人との関係不和によるストレスがあったんだと思います。だから、心の中で責めずにはいられない部分もあったんだと思います。 私がこういう性格なので、私と同じような人がいたら…きっと過度に甘やかしてしまうと思います。 励ましのアドバイスありがとうございました。
- silpheed7
- ベストアンサー率15% (1086/6908)
病名はなんですか? それと自分を責めないで下さい。
お礼
軽度の甲状腺機能亢進症らしいです。症状的にはほとんど生活にあまり支障はないのですが、「一生薬を飲み続けなければならないかもしれない」という不安と恐怖が自分の中にあります。子供も産めなくなるかもしれないし…。 >それと自分を責めないで下さい。 silpheed7ありがとうございます。もともと鬱っ気が強いので、自分を壊さない程度に自問してみます。
お礼
厳しくも納得のアドバイス、ありがとうございます。 言い訳がましいですが、私は2年前までは他人を愛し精一杯の信頼を傾けてきたつもりでした。それこそあまりに人と深く付き合いすぎて周囲から「もっと自分のために生きないと自滅するよ」と注意されてたほどでした。 しかし、初めて異性と付き合って他人に甘えることの気持ちよさを知り、味をしめてしまったのかもしれません(彼は最初過保護すぎるくらいに私に接してくれてたので、今とのギャップに戸惑ってるのも確かです)。 ちょうどこの頃から、他人と私の理想との些細なすれ違いさえも「私の傾けてきた信用に対する裏切り」とみなし、人を信じられなくなったように思います。本心を出すことは怖くてしかたありません。でもそれは私が他人を信用してないことを知ってるからかもしれません。 「他人は私が愛するより愛してくれない」と全ての人間に絶望していますが、弟と彼だけにはそうであってほしくないと常々思っていました。 しかしそもそもそこからして間違っているのですね…。 『見返りを求める心』を捨て去るのは今の私にとってはすごく難しいです。「みんな本当にそう思って実行してるの?絶対ウソだ」と思うからです。 みんながmiki12さんのような考え方だったらいいのに…とやはり外的要因に求めてしまう私です。