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喧嘩するって精神的に自立してないことでは?
今まで考えをずっともてずに来たものです。(今は18歳男です) 自分で言うのもなんなのですが、優しすぎる性格のため相手から変に呼ばれてもシカトができずに向いてしまっていて、心の中では嫌だと感じでいて、それでも自分には問題ないと思っていて、ずっと言ってくる人たちを非難していたと思います。 つまり自分の考えとか全くなくて、責任がなさすぎたかとも思います。 他にも相手を傷つけることも多くて、それでいじめられるようなことが多くても、相手だけ悪いとしか思ってなかったです。 何故ここまでその繰り返しでなおかつそれでも考えをもてなかったというと、類は友を呼ぶというように、自分の中で優しさがかなりあるとは思うのです。つまり相手にも優しさは持っている人が多くて、暴力振るわれたり、よくTVで見るようなひどいことをされるということがなかったです。 それが逆に、重要問題ととらえることができてなかったのかもしれません。しかし自分だったらとてもTVやここのいじめの相談のようなのを体験できるほど強くないと思うので、こういう感じでよかったのかもしれません。 今は精神的に自立しようと、いろんな考えを持つようにしています。親も祖父母もみんな自分と似たような感じで、考えを持ってない気がしてなりません。 そのため結構むかっとくることも多いのですが、そういう人たちには腹を立てて批判したりしても無駄なエネルギーを使うだけでよくないと思ったので、早く気づいて欲しいのですが、自分みたくよっぽど悩んで辛い思い?みたいなのをしないと気づけないほどのことだと自分では思います。 しかし親も祖父母も尊敬できるところがあるので、そこを見るようにしています。 本題なのですが、そこでこれから自分は誰に対してもこういう態度でいるという考えが、一生喧嘩をしないのではないか?というふうに思ったのです。 カウンセリングサービス■心理学講座というホームページでは、理性的な判断や行動ができる一方で、自分や他人の感情ともうまく付き合える人(感情レベルのコミュニケーションがとれる人)が血の通った人付き合いができると書いてありました。 しかし自分にはよく理解できません。そんなことしたら、いちいち相手に対して自分の思うままの感情で接してしまうことになってしまうと思うからです。 長くなりましたが、血の通った人付き合いとは、どういうことなのでしょうか?よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
質問の答えとは少し違うかもしれないのですが、回答させてください。 私は基本的に、質問者様の考え方に賛成です。 親の、人のいいところをみつけて尊敬する。 けんかはいけない(恐ろしく簡単にしてすみません) 優しい心を大切に。 ただ、例を見ると違うような気がするのです。 本当の優しさは強さだと思っています。 他人をありのまま受け入れることができること、です。 >相手から変に呼ばれてもシカトができずに向いてしまっていて、 なぜシカトしたいのですか? 相手は呼んでいるのです。シカトはいじめのはじまりではないのでしょうか。 私自身、いじめなどは経験したことがありません。 テレビで見るようないじめを見たことはありませんが、それに耐えられるとは思えません。嫌ですよね。 どうしてあのような非道なことができるのかを考えてみたことがあるのですが、それはきっと相手を受け入れることができていないからだと思います。 自分の感情ばかりに支配され、本当の優しさをまだ持てていないからだと思います。 そして、喧嘩をすることは悪いばかりではないと思いますよ。 どうしても譲れないものがあるとき、それは譲ってはなりません。 互いを理解するために喧嘩をすることだってあると思います(先の方の夫婦の話のように) 人は自分の感情や思いを理性で覆っていると思うのです。ですから理性が働いているときは喧嘩にならない。 でも理性がひょっとした拍子に外れてしまうと、それがイライラになったりしてしまうのですよね。 そして、自分の想いが(それがわがままな感情じゃないとしても)強い人は、理性が強くても、相手に対して想いをぶつけてしまうかもしれません。あなたにとっては「無駄なエネルギー」となるかもしれませんが。 さて、本題です。 >理性的な判断や行動ができる一方で、自分や他人の感情ともうまく付き合える人(感情レベルのコミュニケーションがとれる人)が血の通った人付き合いができる 私なりに砕いてみました。 まず、受け入れることが大切なのです。 相手の考えや思いを「理解する」こと。それが正しいかどうか判断するのはあなた自身。正しいかどうか判断する基準を持つことが、「自分を持つ」ということなのではないでしょうか。 そして自分の感情を理性である程度包み込むことができて、相手の感情を読み取ることができること。感情を表に出さないことはいいことではないのです。出し過ぎることが問題なわけで。 感情のまま行動するばかりだと問題ですが、一時的に出過ぎるくらいは人間味があっていいのではないでしょうか。そしてその感情を「人間味」として受け止められることが他人の感情とうまく付き合うということではないかと思います。空気を読むことはもちろん大切ですけれど。 ですから、「血の通った」付き合いは、相手を認め理解しようという心から生まれるのだと考えます。 最後に、「無駄なエネルギー」ということ。 蛇足かもしれませんが、やはり気になったので… 腹を立てることは確かに無駄ですが、適度な怒りはしばしば向上心につながるものです。それは批判ではなく反面教師にしたり、相手の人をいい方向へ導くということですけれど。 ですから怒るのは人間ですからいいと思います。この感情を全くなくしてしまうことは、問題だと思います。 そして人間は、理性で考えることを必ず実践できる生き物でもないのです。 頭でっかちな二十歳が、偉そうに長々と失礼しました。
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- dai-ym
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根本的に優しさを勘違いしてませんか? 自分の心を表に出さないことは優しさでは無いです。 逆に心で非難しているのにそのことを言わないのは逃げているだけで全然優しさのない行動です。 本当の優しさを持っている人は心で非難するのでなく、相手に理解してもらえるような形で注意します。 本当にやさしい人間は自分が損をするとわかっても行動が出来る人間です。 人間がかかわりあっていればお互いさまざまな形で傷つけあうことは当たり前になるものです。 人を傷つけないなどという人は人間関係から逃げているだけで優しくなんかありませんよ。 根本的に優しさを勘違いしていることが問題です。 そして喧嘩というものも勘違いしていませんか? 討論を交わすことは喧嘩ではありません。 誰かに何かしら問題点を指摘することや注意することも喧嘩ではありません。 そういうことが出来ないというのも逃げているだけです。 そして逃げている人間は精神的に自立しているんじゃなく孤立しているだけです。 tanattiさんは自分は優しく喧嘩をしないと思っているようですが、質問文に書いてあることで判断すると単に人間関係から逃げているだけですよ。 血の通った人付き合いとは自己主張もするが相手の主張も重視する。 お互いの感情を尊重し、時にはどちらかが譲り時には大きく衝突をするが、そういうことを後には引きずらない。 決して逃げるのでなく正面からぶつかる。 そういうことです。 自分の思うがままの感情で接し、相手の感情も尊重し、徐々にお互いの接点に近づけていく。 >そのため結構むかっとくることも多いのですが、そういう人たちには腹を立てて批判したりしても無駄なエネルギーを使うだけでよくないと思ったので、 こういうことを無駄なエネルギーといっているようではいけませんよ。 こういうことが人間関係でもっとも必要なエネルギーの一つですから。
- eroero1919
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ええとね、まず題が「喧嘩するって精神的に自立してないことでは?」とありますが、最後の一行で「血の通った人付き合いとは、どういうことなのでしょうか?」とありますね。つまり、質問が一貫していない。あなたが質問したいのは「喧嘩するって~?」のほうですか?それとも「血の通った~?」のほうでしょうか? さて、喧嘩というのはお互いの自己主張が譲れなくなったときに起きることがしばしばです。つまり、自己主張ができるようになれば自ずと喧嘩のリスクも増えるということになります。なぜなら、その自己主張を受け入れられない人たちだっているでしょうから。 そして精神的な自立に自己主張は欠かせません。自己主張ができない人はすなわち精神的に自立しているとは言いがたいと思います。 例え喧嘩をしてでも相互の理解を深めようとするのが本来の精神的に自立した人なのではないでしょうか。 また、血の通った人付き合いですが、それは相互に思いやりを感じる人付き合いだと思います。それはなにも何年も付き合って喧嘩を何度もやって相互理解を深めた人のみならず、通りすがりの人同士でも成立すると思います。
- kyoutoukyo
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簡単に言うと、性質や体質の違いでケンカし合うんですよね たとえば黒人と白人で対立するというのも、肌の色だけの違いでも性質や性格ってかなり変わってくるんですよね差別意識ではないんです 肌黒だとどういう性質の人間になるか、白いとどういう性格の人間に育つのか、お互いが理解し合れば言い合いになはなってもケンカはないでしょうね
- akiru1031
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あなたは優しいんじゃなくて無気力なんじゃないですかねえ 優しい人ってのは相手を傷つけることを恐れて、自分を責めてしまうんじゃないですかねえ 血が通っているかどうかわからんですが、 本音を言い合える仲の方が楽しいじゃあないですか 喧嘩するほど仲が良いとも言います 殴り合っても仲が悪くならない人間関係が、まあ一番良いでしょうな
こんにちは。 「今まで考えをずっともてずに来たものです。」 考えの無い人はいません。まとまっていなく、バラバラの方向に考えが行ってしまう人が多いだけです。 「自分で言うのもなんなのですが、~相手だけ悪いとしか思ってなかったです。」 あなたは既に自分自身を見つめ始めていて、その歳頃で素晴らしいと思います。 「しかし親も祖父母も尊敬できるところがあるので、そこを見るようにしています。」 本当に凄いことです。人の欠点を100見つけるより、良いところを1つ見つける方が、かなり有益です。将来ビジネスにも役立ちます。 「いちいち相手に対して自分の思うままの感情で接してしまうことになってしまうと思うからです。」 感情をなくそうとしても無理です。 感情はコントロールするものです。 嫌な相手がいたら、まず深呼吸して頭を真っ白にします。 相手の嫌な感情は自分を通過してどっか行ってしまうようにイメージし、 自分に有益な物だけ取り入れます。 それで、その場はしのげます。 さらに後で、その相手の身になって想像してみると良いです。 その時に客観的に、つまり第3者になった気分で相手とのやり取りを思いだして下さい。 それを繰り返せば、少しづつ人付き合いがうまくなります。 すぐにうまく行きませんが、繰り返しは習慣になります。 習慣は莫大な力がありますので、(人間は習慣に支配されているのは解ると思います。)それはあなたの将来にわたり、あなたを助けると思います。 血の通った付き合いは、「しかし親も祖父母も尊敬できるところがあるので、そこを見るようにしています。」を本当に実践すれば、感覚的に解ります。言葉では限界があります。 あなたなら、すぐにできるようになります。
- qualheart
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心理学的な難しいことはわかりませんが、個人的な意見として回答させていただきます。 血の通った人付き合いとは、お互いを理解し合うことだと思います。 まずこの根底には、人の考え方は千差万別で、どれが正しくてどれが間違っているという絶対的な基準は存在しないことを、受け入れられているかどうかです。 その上で、相手の考え方を理解する柔軟性が必要です。 ここで間違って欲しくないのは、相手の考え方を肯定するとか否定するいう意味ではなく、「理解する」ことが必要だということです。 必要なのは無理に相手の考え方に合わせることではなく、「そういった考え方もあるのだ」と理解することです。 質問者様の場合ですが、まず自分の考え方はちゃんと持ってらっしゃると思います。ただ、それを相手に言っても言い争いになるだけで無駄だと考えているように思います。 この時点で、お互いを理解することが不可能になってしまっています。 相手を知ることも大切ですが、それと同時に相手に知ってもらうことも重要だからです。 お互いの理解が深まらないと、血の通った人付き合いとは言えないと思います。 また、質問者様の場合、自分の考えと違う人間を心の中では批判しているようです。ただ、口に出して批判してしまったら喧嘩になるので、そんな無駄なことは避けたい、ということでしょう。 しかし、本当に必要なのは批判するのではなく、相手の考え方も一つの考え方として理解してあげることです。 そういった気持ちになれば、自分の意見を言ったり、相手の意見を聞いたりするときに、喧嘩になることはありません。 必要なのはどちらが正しいかを決定する討論ではなく、あくまでお互いを理解するための意思疎通です。 それが血の通った人付き合いの仕方だと、わたしは思います。
- katti1168
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私は喧嘩は絶対してはいけないとは思いません。 それは相手を傷つけたり、そういう意図(悪意)をもってするのは良くないと思います。 ですから『正義の喧嘩』もありえると思いますし。また恋人、夫婦の間では、“愛しているからこそ”本気の喧嘩が出来る人が理想だと思っています。本気で、真剣に向き合えと言う意味です。 どんな立派な人でも口げんかすらしない人はいないでしょう? 全くなかったらその人は感情がない人間でしょうかね?
- kanburu
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>喧嘩するって精神的に自立してないことでは? 殴る蹴る凶器を使う喧嘩なら精神面で弱いところがあります。 口げんかなら精神面で問題はありません。 シカトなら喧嘩と言えるかどうかわかりません。