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ら抜きことばに関する金田一春彦さんの見解
何ヶ月か前、NHKの教育チャンネルで金田一春彦さんが、ら抜きことばを肯定していました。ら抜きことばというと、機械的に間違いだと言っている人が多い中、なかなか説得力のある説だったと記憶しているのですが、肝心のその内容を失念してしまいました。金田一春彦さんが、どういう理由でら抜きことばを肯定したのか、ご存知のかたは、お教えください。
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私も見ました! 私はうまく説明できませんが、調べたらこんなページがありました。 たしかに、こんな内容だったと思います。
- 参考URL:
- http://fuanita.exblog.jp/i7
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- H2O0509
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回答No.2
金田一さんの話では、言葉は「時代によって変遷するものだ」ということが前提になっていたと思います。例えば「新た:あらた」が「あたらし」や「しだらない」が「だらしない」になるなどです。「ら」抜き言葉については、例えば「見られる」の場合「自発」「受け身」「尊敬」「可能」と同じ言葉で4種類の意味を表しますね。これでは、どの意味で使っているかわかり難いので、特に「可能」の意味で言うときに「ら抜き」で言うことが多くなった。これも時代の流れなのでしょうね・・・。とのことでしたよ。
質問者
お礼
ご回答、ありがとうございました。 >「見られる」の場合「自発」「受け身」「尊敬」「可能」と同じ言葉で4種類の意味を表しますね。 こういうのは、外国人に日本語を教えるときにむずかしそうですね。
お礼
そうです、この通りです。 世間一般では、何の考えもなしにことばの乱れと片付けてしまいますが、専門家というのはよく考えているな、と関心したものです。