• ベストアンサー

父の骨 (浄土真宗本願寺派に詳しい方にお尋ねします)

7月に父が亡くなり、火葬の際に遺骨をおじと私が少しもらって帰りました。 おじは海に散骨してやろうと思っているようですが私は家に置いておきたいという思いからです。 が、最近やはり海になり納骨堂になり、私たちの世界に置いておかないで自然に帰したほうがいいかもしれない、と思い始めました。 (父が家にいる夢を数回見たからです) そこで (1)海に散骨するとしたら、手持ちの(納骨堂に入ってない)骨を一ヶ所の海に散骨したほうが本人が戸惑わないのでよいでしょうか? (2)私は自室に置いているのですが実家を離れています。おじも近所でないので、これらの骨を1つにまとめるとなると何ヶ月先のことになるやらわかりません。急ぐ必要はないでしょうか? 我が家が宗教のしきたりにこだわる事、母が正式な方法に近いほうが安心するだろうということ、またしきたりというのは理由あってのことだろうと思ってお聞きします。 遺骨について多くの意見があるとは思いますが、以上の理由から浄土真宗に詳しい方、もし方法が多くあるのでしたら浄土真宗本願寺派に詳しい方のご意見を伺いたいです。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • teinen
  • ベストアンサー率38% (824/2140)
回答No.2

 浄土真宗本願寺派の教えでは,亡くなられた方はすぐに阿弥陀様のおられる極楽浄土に往生します。ですから,遺骨が一箇所にあろうと,分骨されようと,亡くなられた方は迷わず極楽浄土に往生されていますので,ご安心ください。    遺骨は,3つに分けられ、1つは納骨堂に,1つはおじ様が持っておられ,もう1つは質問者が持っておられるということでしょうか。  別々の場所に別れていても問題ありません。お釈迦様の遺骨も弟子達によって分骨され,別々の場所に埋葬されています。  親鸞聖人は「私が死んだら賀茂川に流して魚の餌にしてくれ」というようなことを言われました。実際には弟子達によって手厚く火葬されて埋葬されましたが,親鸞聖人自身は遺体や遺骨に執着していなかったのです。    1つは納骨堂に納められているのであれば,それはそれで宜しいでしょう。    1つは海に散骨されるとのことですが,これも宜しいでしょう。親鸞聖人でさえ,川に流してくれとおっしゃったぐらいですから,浄土真宗本願寺派の教義として,海への散骨を否定されていません。    いま1つは,質問者が持っておられ,どのようにすればよいかお迷いのようです。  浄土真宗本願寺派では,古くから,遺骨の一部を親鸞聖人の御廟(大谷本廟)に納めることを門徒のたしなみとして行われています。  ですので,京都市東山区にある大谷本廟に納められるのが宜しいかと存じます。  納骨は2万円から受け付けて貰えた筈です。  質問者の方のお住まいが分かりませんので,「京都は遠すぎて行けない」とおっしゃるかも知れませんが,自然に帰した方が良いとお思いでしたら,大谷本廟に納骨されることをお薦めします。

参考URL:
http://www.hongwanji.or.jp/honbyou/
naokoyo
質問者

お礼

丁寧なご回答ありがとうございます。 大谷本廟、九州なので遠いですがいつか行く機会があれば納めたいと思います。 また分散していても問題ないということで安心いたしました。私も、お釈迦様の骨は全国にあるなあと考えていたところでした。 海への散骨ですが、おじと予定が合わなければ父の育った島へ行って散骨もいいかなあと思っています。 生前は何も親孝行な事をしなかったので、という残った者たちの気休めだと言う気もしていますが父も喜んでくれるのではないでしょうか。

その他の回答 (1)

  • mak0chan
  • ベストアンサー率40% (1109/2754)
回答No.1

>我が家が宗教のしきたりにこだわる事、母が正式な方法に近いほうが安心… >おじは海に散骨してやろうと… >私は家に置いておきたいという思い… しきたりにこだわるお家柄で、散骨や自宅保管というのは、矛盾しませんか。 一般的にはお墓と檀家寺の納骨堂、ちょっとゆとりがあれば大谷本廟へと、それぞれ納めるのがしきたりかと思います。 質問者さん方には、先祖代々からのお墓があるのかどうか分かりませんが、もしこれから建てるとして、それまでの間は自宅に置くことも認めていますが、永久的に自宅に置いてもよいとは言っていないようです。 まして、海への散骨などは、真宗では教えていないと思います。 詳しくは参考URLをどうぞ。

参考URL:
http://kyoto.cool.ne.jp/monto/
naokoyo
質問者

お礼

言葉に矛盾があったようですみません。 しきたりという言葉しか思い浮かばなかったのでそういう表現をしましたが、そう厳しく従っているわけではありません。 ただお寺も他の檀家さんも田舎にあるので、こうすべきだとかあの家庭がこうしたからそうした方がいい、とかその程度です。 ちなみに墓ではなく納骨堂です。 散骨というのは、父が海が好きだったため、おじが散骨してやろうということを思いついたのです。 私が家に置いておきたいと考えたのは全くの私の思いに過ぎません。 父が亡くなってから暫く経ち、宗教的なことにはそれぞれ何か意味があるのだろうと思うようになりました。 ですので、私やおじが手元に置いておくより自然に戻した方がいいという教えであり、また父もその方が休まるのではないかという思っています。 支離滅裂な文章で申し訳ありません。