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植松聖被告の考え方について

殺人は悪いこと、犯した罪に正義はない。 上記を前提での質問です。 殺害された被害者本人は横に一旦置いてください。質問は入所者の家族は介護から解放されてほっとした、或いは救われたと感じている方が実際にはかなりの数いるのではないでしょうか。 綺麗事や倫理を並べるのは簡単です。自分が産まれながらに意志疎通すら難しい障害者の家族だったとして犯人に真の怒りは持てない気がしています。勿論生まれた時は健常者で、その後事故や病気で身障者になった場合は全く違うとは思います。 最近「映画ロストケア」を見て考えさせられました。私はお婆ちゃん子で、それはそれは祖母に可愛がられて育ちましたが、認知症になり徘徊、暴言、妄想がひどくなり両親が介護に時間やお金をとられるのを大学生を卒業した頃に体験しました。あんなに大好きだった祖母が別人のようになってしまい自分でも信じられませんでしたが怒りや憎しみを持ちました。(それでも両親は献身的に最期まで介護しましたが) 自宅介護に苦しむ方は認知症の家族や障害者の家族と深い絆があるゆえです。無ければ見放せば済むのですから。山ゆり園のような施設や老人ホームに入れてしまうのは、既に見放しているに近いと私は思います。 そういった家族が植松死刑囚に真の怒りを覚えるとは私には到底思えません。口にはできなくても救われた家族は居るように思います。

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回答No.1

質問を興味深く読みました。 そして質問内容はとても論理的で優れた内容だと思いました。 僕は現在33歳で統合失調症を患っていますが薬を毎日飲んでいて寛解状態です。 あなたの期待に応えられるような回答は僕には出来ないと思いますが、痕跡を残して置きたいと思いました。 何から書いたら良いのか迷いますが、あなたの考えは到って普通で共感出来ます。 ただ、このような優れた投稿に対して、優れた回答をするのも又至難の技かと思います。 何せ倫理学とかにも関係しますし、正解もないし、人によって意見も違うと思うからです。 数学のように、ある問題に対して正解が出てくるわけでもありません。 ただ、あなたの文章には誠実さがあって興味深いと感じたので、僕もなるべく誠実に回答しようと思いました。 まず確かに、あなたの投稿は少しタブーを孕んでいると感じました。 「植松聖の考え方について」というタイトルですよね。 この死刑囚は確かに刑法で考えると重罪を起こしていて、死刑と判決を受けています。 質問者さんも認知症の祖母に対して怒りや憎しみといった感情を抱いてしまった、ということ。 僕は祖父母と一緒に暮らしていないので、その難からは逃れましたが、あなたの気持ちは良く分かりますよ。 介護に時間とお金を取られて、尽くしても感謝されずに孤独で暴言とかを浴びせられると、きっと憎しみや怒りといった感情を抱くでしょう。それは体験した人でないと分からないことですね。 僕自身も母親が亡くなる前に少しあなたと同じような心境になりましたよ。 僕が思うに介護とか育児は、報酬が少ないとか、家庭の場合は報酬がないです。 それがストレスの原因かなと思います。 特に植松聖死刑囚の重度の身障者とか、介護の場合は、先が見えないです。育児とか、風邪と言った場合は、まだ先が見えますね。 昔はご存知だとは思いますが、優性保護法なるものがあって「不良な子孫の出生の防止」を目的とするものであったと思います。 確か1993年頃か「母体保護法」と名称が変わりました。 「優性保護法」はご存知だと思いますが、優性思想に基づくものです。昔はドイツを中心としてカール・ピアソンでしたっけ?(間違えていたら済みません)夏目漱石とも交流がありましたが、要は障碍者とか生まれるのは不幸であり、メンデル等の遺伝学の知見に基づいて、そういう子供が生まれないようにしようとしました。 第二次世界大戦の時、ヒットラーは障碍者などを大量に殺害したのは有名ですね。 日本でも優性思想は50年くらい前は支持されていて、障碍は遺伝するので、障碍者は結婚や出産をするべきではないという風潮でした。 まぁ断種とか言いますね。これは日本だけでなく米国とかでもありまして、日本では「障害児を持ったらその家族は不幸である」、経済的にも精神的にも不幸であると思われていましたね。ダウン症とかです。ご存知だと思います。 あなたの投稿では「入所者の家族は介護から解放されてほっとした、或いは救われたと感じている方が実際にはかなりの数いるのではないか」というものですね。 その通りだと思います。ただ公には「人権侵害」とか色々言われてしまうし、非常な印象を与えてしまうので言わないのかも知れません。 長文失礼しました。