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ご祝儀のお返しについて考える
- ご祝儀やお祝いを贈ると、返礼が期待されます。返されることで、経済が回り、一種のお礼のルールとなっています。
- しかし、返されることで得られるものは必要ではないものもあり、そのような無駄な感じに疑問を感じることもあります。
- もし返礼を望まない場合は、少額のご祝儀を贈ることも一つの方法です。
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質問者が選んだベストアンサー
うん、私も「バレンタインデーをもらったらホワイトデーにお返しをしなきゃいけない」のはある意味理不尽だと思いますね。しかもこっちは半返しどころか「最低でも同額。マナーは倍返し」とされています。義理チョコに半返しでもしようものなら、ケチ男と末代まで語られてしまうことでしょう。 彼女への誕生日イベントへの投資も、彼女が自分にしてくれた誕生日祝いの倍返しがお作法なんていわれますよね。私なんかそれを考えちゃうから、彼女から誕生日プレゼントなんてもらっても正直全然嬉しくないです。ああ、これの倍のお返しをしないといけないなって。 なんか日本人は「しきたり」を作るのが大好きですからね。あのZOOM会議でさえ「立場が下の側は頭を下げながらサインアウトボタンを押すのがマナー」としきたりを発明した人がいます。 虎屋なんて、しきたりで飯を食ってるようなもんでしょう。あの羊羹の原価はいくらなんだろうって思います。美味しいけど。
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- yuzu7x1
- ベストアンサー率19% (268/1355)
机上の空論回答失礼します フォーマルな場だと難しいですね。 自分ルールが適応されるコミュニティとしか関わらないのがいいと思います。 贈り物はここのお店以外受け取らないとか公言しておけば、それが無理でも商品券とか無難な物を送っていただけるかと思います。(カタログも断固拒否するに限ります) 御祝儀の意味も昔の形式を適応してみたり、欲しい物を送る形にするのでいいかもしれません。 もしくは海外のしきたりを模倣してみるのもいいかもしれませんね。 そもそも御祝儀が少し時代にそぐわなくなってきているのかもしれないと思いました。
お礼
- gungurion15
- ベストアンサー率34% (82/240)
個人的見解です。 「それこそ日本人たる『おもてなし』の精神だ」とは、思いません。 時代と共に変わっていくと思います。 結婚式場勤務しております。 とある結婚式場のプラン60名220万円ですが 60名×3万円ご祝儀=180万円+αを見込むと 新郎新婦の手出しは0~20万円です。 飯食って、要らんカタログギフト貰って、三万円って・・・ そんな結婚式場は年々衰退し倒産しています。 逆に増えているのは、ハネムーンを兼ねたフォトウェディングとかレストラン貸し切りなどです。 そもそも、一回レンタルで着るドレスが30万円もするのです。 年賀状不要とか、お中元お歳暮も年々省略されていますし、経済が衰退するのではなく、進化しているのだと思います。 入院されて「お見舞い金」持っていって 退院して「快気祝い」を持っていって お金と商品券リレー。 花や食事でいいのに と、思います。 おそらく、ギフト関連企業は衰退し、花、食事などが繁栄すると思います。 理由は、交通の便が良くなり、通信手段が良くなった為だと思います。 お返し文化は、なかなか会えない人に、夜汽車に乗って来る時代だったからだと思います。
お礼
- nekoojisan
- ベストアンサー率37% (317/854)
「習俗的観念」と呼ばれている行為です。 その行為に良し悪しはなく、なんとなく伝統的に踏襲されてきたものです。香典や祝い金に1万、3万、5万と奇数を使うのも、大安、仏滅を気にするのも、なんの合理性もありません。 ただ、その行為に対し聲高に反論しても、摩擦を生むだけかもしれませんが、世の中は少しずつでも変化して行きます。 疑問に思いつつも、穏やかに考えては如何でしょうか?
お礼
- FUTATUMITTU
- ベストアンサー率29% (87/291)
お祝いをいただいたら「お返し」でなく「内祝い」を贈るものです、 本来はお返しの意味でなく「喜ばしいことをお裾わけする」 という意味です。 「内祝い」とは、そもそも字のごとく”内輪(身内)での「お祝い」 のことを指します。 本来は、家族におめでたいことがあった場合、親戚や近所、 お世話になった方など身内に報告を兼ねて、宴の席をもうけたり、 贈り物をする習慣がありました。いわば、そうすることで 「喜ばしいことをお裾わけする」という意味合い(内祝い)があり ました。 昔ながらの自発的に宴席をもうけるような風習は殆どなくなり、現在 では、それが逆になり お祝いをいただいたらその「お返し」をする スタイルのほうが主流になって、「内祝い」が「お返し」にあわせて 使われるようになりました。 そんな“幸せ”に由来した日本文化と理解すべきでしょう。
お礼
経済を回すだけの文化で言うと バレンタインデーとホワイトデーがまさしくこれに当たると思っています。 本命、義理、友、自分 とキリがありません。 自分が働いている会社では年賀はがきも含めて禁止事項になっていますので非常に楽です。 毎日のように顔を合わせる人たちにする必要はないと判断してのこと。 賛同し実行しています。 元は、お菓子屋の陰謀ですから、今では完全に飲まれこまれた変な文化と言えます。 国が変わるとその習慣も違い、中国では”男性から女性に花束を贈る”とかもありますので、日本独自の文化ですね。 本題に戻すと、半分返しも日本独自(?)の文化。 現在では返す品は”これ”とはせず、”この中から選んで”のカタログギフトや商品券(プリペイド) が増えてきて、返さずに”寄付”という手で厄介ごとから逃れるパターンがあります。 自分に合った方法を選べばよいと思いますが、世間体を考えると難しいですね。 由来や方法など https://www.lifedot.jp/hangaeshi/
お礼
- Reynella
- ベストアンサー率51% (550/1068)
私はたまにではなくて、いつも思っています。私が遅めの結婚をしたとき、気を揉んでくれていた叔父、叔母たちが相談して「お返しとかいらんからな」とはっきりいってご祝儀をくれたのを覚えています。以後、私もその流儀でやってますよ。呼ばれるのは元生徒とか、友人の子ばかりですからご祝儀額を最初から半額にしたりはしませんが。 「半返し」はもとはご祝儀ではなくて香典から始まった、という説があります。昔の日本の共同体では葬儀は住民で協力して行っていたところ、そこに仏教関係から「相互扶助」という精神で「香典」という形式でお金を出すことが始まった。葬儀を終えた後、残ったお金は香典を出して葬儀を助けてくれた人達に「お礼」として返す(あくまでもみんなで葬儀を助けてくれたのであり、葬儀で儲けてはいけないから)という風習が定着した。時代を経てそれが「祝儀」にも取り入れられた、という話です。「内祝」「引き出物」を定着させると、関係業界は儲かりますから、あたかもそれが「礼儀」みたいに宣伝したんだと私は思ってます。
お礼
- kyokoma
- ベストアンサー率38% (314/817)
確かに。 私はどちらかというと何事も無駄は省き合理的かつシンプルを好みますが、 必ずしもそうでない人も多いようです。 お祝いとかお礼とかお中元・お歳暮等どうしても外せない時、 予算は節約していませんが、 予算相当分セール品の洗剤を沢山送ったことがあります。 安かったので沢山買え、 相手の方も当分重い物を買う必要がないのでさぞ助かるだろうと思ったのですが、 「合理的だね」と少しがっかりというか悲しそうというかそんな感じで言われたことがあります。 私などは必要も無いような装飾品等よりよっぽど嬉しく思いますが、 見た目の良いものを望む人もいるのでしょう。 ただ、 お遣い物やお返しを無くしてしまったり、 合理的にしすぎると、 無味乾燥になってしまうように思います。 お返しの負担があるとは言え、 頂き物はそれなりに嬉しいものです。 もらってもあげても、 結構楽しめます。 また、 そういった習慣から経済が回ることも大事なことです。 お金が回らなければ経済は冷え込みます。
お礼