- ベストアンサー
人はなぜ不遇や不幸のほうが好きなのか
たまたま見た映像で、中学時代成績が悪かったが努力して偏差値高い高校に受かったというのが20万いいね!付いていました。 ただ、これが元々勉強ができる人間で「いやぁ、俺ってほら、いつも模試で名前が載るじゃん?」みたいな人間は誰も好まないと思いますし。 スポーツとかでも、控え選手が努力して試合に出る物語はいつも感動の対象です。(ドキュメンタリーとかで、震災で辛い思いをした。努力の結果試合に出ることができた。みたいな) 大体ありがちな話として、会社経営者が自転車操業で10年も苦しい思いをし続けたとか。 これも1回~2回ぐらいの映像化なら感動の対象でしょうが、20回も30回もやりすぎると誰も興味なくなるという、不思議な現象はありますが。 ''こんな不遇な人間でも頑張っているんだ''みたいなのってウケるのでしょうか?
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
現在に始まった事では無くて、それこそ、平安時代でも通用した話です。苦労話とか、出世話は共感する人が多いのですね。自分の役に立つ事だからです。御伽噺でも、不遇や不幸の後に幸せになるお話が多いですよね。そういう話しか人気が出ないからでしょう。実際には不遇や不幸が続いて破綻している人は珍しくないにしても、そういう話は聞きたくない人が多いと思います。 人魚姫が嫌いな人が多いのは、最後まで不幸が続いて幸せになれないお話だからでしょう。同じように不幸が続いて幸せになれないお話だった赤頭巾や星の銀貨などは、宗教界の圧力で無理矢理ハッピーエンドに改変されていると聞きます。不幸の後に幸せが来るのが人間の夢なのでしょうね。