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現代社会の歪

現代社会のギスギスについて一考察 例えば中世の農家は、誰がどれ位の富、収入を持っているか、蔵を見れば、田畑の大きさを見れば察しがついた 現代は貨幣社会で、どんなに富を持っていようが、それは通帳一冊に数字として記録されている だから、現代は誰がどれ位の富を持っているのか分からない 家や車が立派だからと富裕層なのかといえば借金だらけかもしれない アパート住まいでも財政は健全で安定しているかもしれない 物理的な富の量と貨幣の量が必ずしも一致しない 政治家の個人資産や大企業の社長の資産が公表される 企業の財務諸表を読み解き財布を探る 探り合い、妬み合い その心は人間の浅ましさでもない、愚かでもない 現代社会システムの歪である ご意見ご指摘反証等々頂けますと幸いです。

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  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1499/3651)
回答No.3

年配者は記憶にあると思いますが、日本でも以前は「長者番付」(所得税の高額納税者のリスト)が毎年4月に税務署から公表されていました。当時は職業別・地域別などのランキングが詳しく報道され、今よりは「誰が収入が多いか」がわかりやすい時代でした。脱税の防止にも役立っていたでしょう。というより、それが税務当局の狙いでした。 しかし個人情報保護や犯罪の防止などを理由にこの公表制度は2005年(2004年分)の発表を最後に廃止されました。お金持ちを監視して脱税の防止を図るより、お金持ちを守っていっぱい稼いでもらって税金を取る方向に舵を切ったのです。 ところが長者番付の公表廃止によって、人々の心が穏やかになったかと言えばそうではありませんでした。(推定)が付いて記事になるスポーツ選手の年俸や、法律で資産公開が義務付けられている政治家(政治資金の抜け道が多いことはひとまずおいて)などの例外を除き、庶民の間では見えにくくなったお金持ちに対する感情が、単純な憧れや嫉妬だけでは済まない屈折したものになってしまったと考えます。 回答者の高校時代の日本史教科書には「江戸・京都・大坂などには全国の物資が集まり、金さえあれば何でも手にいれることができた。しかし手にはいらないのは金であった。」(江戸時代)と書かれていました。当時は教科書を少しでも面白くしようという執筆者の心情が伺われる「ユーモア」だと思いましたが、50年以上経った今にして思えば、それだけでなく貴重な教訓を笑いに包んで教えてくれていたのですね。

noname#259670
質問者

お礼

そう言えば長者番付ってありましたね ある意味、がんばればああ成れるかも、とか浅はかながら思っていた記憶があります ご回答感謝です

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noname#259670
質問者

補足

>お金持ちを守っていっぱい稼いでもらって税金を取る方向に舵を切ったのです。 どうも実際は変ですね https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/013.pdf&ved=2ahUKEwimgeKFhf-CAxUHGYgKHcAmChcQFnoECAcQAQ&usg=AOvVaw1lwYLzm3J-qvFMy_-6nnlv リンク先をみると、所得税、法人税、資産税、下がってます

その他の回答 (4)

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9143)
回答No.5

>詳しく知りたいです その友人に聞いたところ、個人が必要とする金額を申請すると金儲け以外の案件にはほとんど無条件で受理される制度のことのようです。すべてが生活保護者になるような感じですね。これは共産主義の理念かもしれませんが、共産主義は姿を消したようですね。

noname#259670
質問者

お礼

ご回答有り難うございました

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回答No.4

面白い考察ありがとう! 納得できます。

noname#259670
質問者

お礼

どうしたら社会の歪みは減りますかね?また心地よい歪みって言うのもあると思います。 ありがとうございました。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34534)
回答No.2

>例えば中世の農家は、誰がどれ位の富、収入を持っているか、蔵を見れば、田畑の大きさを見れば察しがついた 時代区分的には中世にあたる鎌倉時代に、借金をチャラにする「徳政令」というのが出ていますから、中世といえど土地が広いからといってお金持ちとも限りませんでした。 「中世はそんなにお金に左右されなかった」というのは、中世はまだ貨幣(お金)がそんなに普及していなかったからというのがあります。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、献上物として野菜を持ってきて「なんだこんなもの!」と一蹴される場面がありますが、あれは別に相手をバカにしていたわけではなくて、当時の関東地方なんていう「ド田舎」では貨幣が普及していなかったので「お金で贈り物をする」ということができなかったので実物を贈るしかなかったのです。 >物理的な富の量と貨幣の量が必ずしも一致しない それは経済と金融のシステムが成長して進化したからです。そのおかげで庶民も一度に全額を払うことができない買い物である家や車が買えるようになりました。 我々現代の日本人が物質的に豊かな生活ができているのも、物理的な富の量と貨幣の量が一致していないおかげです。「金融的信用」が存在しない発展途上国では庶民は大きな買い物もできませんし、起業もできません。

noname#259670
質問者

お礼

ご回答感謝です

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noname#259670
質問者

補足

>我々現代の日本人が物質的に豊かな生活ができているのも、物理的な富の量と貨幣の量が一致していないおかげです。「金融的信用」が存在しない発展途上国では庶民は大きな買い物もできませんし、起業もできません。 この視点はありませんでした

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9143)
回答No.1

ある友人が言っていますが、現在は、すでにお金は必要がなくなっている状態なので、おかねに意味がなくなると困る人が、お金に何とか力をを持たせようと躍起になって、あれこれ画策しているのではという事です。お金が必要ないはずの国が、お金を武器に何かを目指していることもあります。

noname#259670
質問者

お礼

ご回答感謝です

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noname#259670
質問者

補足

詳しく知りたいです

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