(その2)
>・自動翻訳を使わずに英文を翻訳、読解したときに面白かったり、勉強になったと感じた点を挙げ、それは自力で英文を翻訳することでしか得られないものか、他の方法でも得られるものかについて考察
⇒上記 "Animal Farm " を、自動翻訳を使わずに訳せばこんな感じになります。
私訳①:
さて、同志の皆さん、今から私は昨夜見た夢についてお話させていただきます。とはいえ、その夢はうまく説明できません。人類が消滅した後の地球の夢でした。それは、私が長い間忘れていたことを思い出させてくれました。何年も前、私が子豚だったころ、母と他の雌豚たちが、節回しと出だしの三語くらいしか知らないような古い歌謡を歌っていました。私は幼いころにはその歌を知っていたのですが、もう長いこと頭から消えていました。ところが、昨夜、夢の中でそれを思い出したのです。
英語文を訳す場合、基本的な方法としては、
《逐語訳→直訳→意訳→翻訳》
といった推敲のプロセスを(少なくとも頭の中で)踏むと思いますが、特に意訳・翻訳のレベルでは、訳出先の言語(日本語)の能力も問われますね。その場合、必ずしも原語の個々の語の意味にこだわらず、日本語文として意味が通りやすい文章にすることに意を用いる必要があります。そのためには、日本語特有の習慣や言い回しに関する知識はもちろんのこと、時には言語的風俗やその背景などに及ぶ知識まで求められます。そして、場合によっては、原文にない語句を補うことが必要になることもあります。その意味では、自動翻訳にはどこか物足りない感じを抱くに違いありません。通常の報告記事や日常会話文ならまだよいのですが、例えば、韻文の翻訳ともなれば、この上なく奇妙で、もどかしい訳になったりします。
そこで、韻文で機械翻訳の例を見てみましょう。次の英文は、William Wordsworthの "I Wandered Lonely as a Cloud"という詩文です。
I wandered lonely as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host, of golden daffodils;
Beside the lake, beneath the trees,
Fluttering and dancing in the breeze.
Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretched in never-ending line
Along the margin of a bay:
Ten thousand saw I at a glance,
Tossing their heads in sprightly dance.
The waves beside them danced; but they
Out-did the sparkling waves in glee:
A poet could not but be gay,
In such a jocund company:
I gazed—and gazed—but little thought
What wealth the show to me had brought:
For oft, when on my couch I lie
In vacant or in pensive mood,
They flash upon that inward eye
Which is the bliss of solitude;
And then my heart with pleasure fills,
And dances with the daffodils.
機械翻訳C:
私は雲のように孤独にさまよい
谷や丘の上に高く浮かんでいる雲のように、
その時、私は群衆を見た、
金色の水仙の群れを;
湖のほとり、木々の下、
湖のほとり、木々の下。
天の川に輝く星々のように
天の川にきらめく星々のように
湾の縁に沿って
湾の縁に沿って:
一万羽が一目散に*
一万人がその頭を翻して軽快に踊っている*。
その横の波も踊っていた。
歓喜で輝く波を凌駕した:
詩人は歓喜せずにはいられなかった、
このような陽気な仲間に囲まれては、詩人も陽気にならざるを得ない:
私は眺めていた。
そのショーが私にどんな富をもたらしたか:
というのも、ソファに横たわると
空虚な気分で、あるいは物思いにふけっているとき
その内なる眼差しに
それは孤独の至福である;
そして私の心は喜びで満たされる、
そして水仙と踊る。
*「一万羽が一目散に」「一万人がその頭を翻して」は明らかな誤訳です!
ことほど左様に、詩の機械翻訳はみじめです。何の感興も湧かせませんね。これでは、韻文としての心地よさも味わえませんし、詩情や抒情性も感じられません。ということで、このような韻文・詩文の翻訳は、絶対と言えるまでに、機械の自動翻訳に頼ることはできません。ここはどうしても、感性や感情を持った人間の手で訳すより方法がありません。その私訳については、第三のお尋ねに譲ることとします(→その3)。
以下のとおりお答えします。制限字数を超えて長くなりそうですので、(お尋ねの項目ごとに)三つに分けてお答えします。
(その1)
>・英文を翻訳、読解したときに難しかったり面倒であると感じた点を挙げ、それは教育上必要なものかについて考察
⇒自動翻訳の利点は、少なくとも一つはあります。それは、手っ取り早く情報を入手できることです。しかし、その利点は、教育上ではどの程度の効用を生むのか、疑問の余地がなくはないと思います。あるいは、必ずしも必要ないのかも知れません。
機械翻訳の例を見てみましょう。
次の英文は、George Orwellの "Animal Farm " の一節です。
And now, comrades, I will tell you about my dream of last night. I cannot describe that dream to you. It was a dream of the earth as it will be when Man has vanished. But it reminded me of something that I had long forgotten. Many years ago, when I was a little pig, my mother and the other sows used to sing an old song of which they knew only the tune and the first three words. I had known that tune in my infancy, but it had long since passed out of my mind. Last night, however, it came back to me in my dream.
機械翻訳A:
そして今、同志たちよ、昨夜の夢について話そう。その夢は説明できない。それは、人間がいなくなった後の地球の夢だった。しかしその夢は、私が長い間忘れていたことを思い出させてくれた。何年も前、私が子豚だった頃、母と他の雌豚たちは、曲と最初の3つの単語しか知らない古い歌を歌っていた。私は幼いころにその歌を知っていたが、もう長いこと頭から消えていた。しかし昨夜、夢の中でその歌がよみがえった。
機械翻訳B:
そして今、同志の皆さん、私は昨夜の夢について話します。その夢をあなたたちに説明することはできません。それは人類が消滅した後の地球の夢でした。しかし、それは私に何かを思い出させました。長い間忘れられていました。何年も前、私が子豚だったとき、母と他の雌豚たちは、曲調と最初の 3 単語しか知らなかった古い歌をよく歌っていました。私はその曲を幼い頃に知っていましたが、それはとうに頭から離れていたのですが、昨夜、夢の中で思い出してきました。
このように、自動翻訳はおおよその意味を知る、つまり、大意を取るためには便利ですね。上記のAもBも、そういう目的のためには、どちらも遜色がないと言えます。このような自動翻訳ないし機械翻訳は、言語の学習というより、手っ取り早い情報入手に役立ちますので、各種の英文資料について、その内容の概略を知るためには十分活用できるでしょう。その意味で、自動翻訳は場面によっては極めて有用であるに違いありませんが、必ずしも教育上では必要ないことかも知れません。むしろ、弊害になることさえあるだろうと推測されるほどです。
言語学習の効用として考えられることは、実用(運用)、思考力(推理・分析・洞察)、教養(認識・見解)の三つに分けられますが、特に後二者の思考力や教養の涵養に関しては、自動翻訳はまったく無用である、さらには悪影響さえあり得るということです。その状況や詳細については、第二のお尋ねに譲ることとします(→その2)。
お礼
ありがとうございました