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国電とはなんですか?

昭和の時代に書かれた書籍を読んでいます。 この中にしばしば「国電」という言葉が登場します。 当初は「国鉄の電車」の事だと思っていたのですが、どうやら違うようです。 ・国電は東京と大阪にはあるが名古屋にはない。 ・尾久駅に停車する列車は国電ではない。 そこで質問です。 Q1.国電とはなんですか? Q2.現在、国電というものに相当するような言葉を聞いた事がありません。だとするとその言葉(国電)はなんのためにあったのでしょうか? Q3.東京や大阪に当時住んでいた方は、国電と国電ではないものを区別していたのでしょうか?その場合、国電ではないものはなんと読んでいたのでしょうか?

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  • gsmy5
  • ベストアンサー率58% (1452/2496)
回答No.5

こういう言葉は厳密な意味が定義されない割に事業者側と利用者側でその意味合いが大きく違うことがあり、その言葉を使用していない人には分かりにくい部分があると思います。 まず、国電とは「国鉄すなわち日本国有鉄道」の「電車」を略したもので、電車そのものを指すこともあれば、路線名(あるいは交通手段)の代用として用いる場合もありました。 ですが、国鉄の電車すべてを国電と呼んだかと言うと、そうではなく、東京・大阪の大都市圏の通勤電車(いわゆる長椅子タイプの窓を背に座るタイプの車両)及びそれの走る路線を指すことが多かったです。代表的な形式で言えば103系、201系等の電車でそれの走る区間(電車特定区間として運賃制度において明確に定められた区間、主な路線名で言えば山手線・京浜東北線・中央線・総武線など)ということになります。国鉄側はおおむねこの意味でしか国電と言う言葉を使いませんでした。対して一般人もおおむね国鉄側の定義に準じて国電と言う言葉を使っていましたが、大都市でしか生活したことがない人の中には国鉄の電車すべてをもっと言えば電車でなくても国鉄の代わりに国電と言っていた人がいるかもしれません。 で、国電と言う言葉の代替が今は使われなくなったことの原因ですが、簡単に言うと国鉄末期ごろから「国電」として区別する意味が薄くなってきたからです。利用者増、通勤区間の遠隔化等により、中電と言われていた東海道線、東北線、高崎線等の長距離電車にもロングシートすなわち通勤型電車と変わらないような電車が導入され始め、電車本数も国電区間と変わらぬほど増えた区間もありました。運賃制度の上では、「電車特定区間」と言う制度は残りました(JR後の今でもあります、要は山手線など大都市圏の一部区間のみ割安な運賃制度になっています)が、近郊区間(いわゆる大回り乗車ができる途中下車はできない代わりに最短経路の運賃で乗車できる区間)は拡大されました。 そもそも昔は遠くへ行く列車は東京・大阪発でも電車でないものもありましたが、国鉄末期の東京・大阪周辺では一部の特急・急行列車等を除き電車でないものはめったに見られなくなりました。 そのような中JRになったときに国電に代わることばとして一応「E電」が用意されましたが、上述のように「国電」として区別すべき必要性が特に乗客側に薄れていましたので、普及しませんでした。 で、乗客が国電と他の言葉(国鉄、汽車など)で区別していたかと言うと、東京では国電とそれ以外は同じ国鉄でも違うものと認識していた人は多かったようですが、国鉄末期では若い世代を中心にそのような区別をしないようになって、単に他の人に倣って何となく「国電」と言った人が増えていたと思います。 関西はさらに国電とわざわざ言う人はいなく、電車好きか交通制度に詳しい人が、国鉄の特徴をあえて明言したいときにわざと国電と言ったことの方が多かったように思います。たとえば「国電のような電車」「国電型ダイヤ」等の言い方です。 なお、一般的には「国鉄」、ちょっと地方の人は「汽車」と言うことが多かったようです。 例えば、「国鉄の鶴橋駅」「田舎へ汽車で行った」「新快速に乗ったのならそれは国鉄やな」「この電車のぼろさ まるで国電やな」など

chibaragi_local
質問者

お礼

大変よくわかりました。ありがとうございます。

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その他の回答 (10)

回答No.11

JRのことですよ、昔は国鉄とか国電と呼びました。 ただ単に、国の鉄道、国の電車の略です。 若い人は知らないですよね、何も難しい意味ではなく、昔の呼び方です。 言うならば、ハンガーを昔はエモンカケ(衣紋掛け)と呼んでいた、チョークを昔はハクボク(白墨)と呼んでいたのと同じです。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8473/18137)
回答No.10

(1) https://www.jr-odekake.net/railroad/ticket/guide/normal_tickets/normal_fare05.html この範囲がJRのが定める現在の国電区間です。しかし,国電という言葉を一般人が使っていたのは,首都圏のみです。国鉄の通勤のための近距離の電車ということです。大阪圏では,一般人は国電と呼ぶことはありませんでした。 (2) 歴史的経緯ですね。首都圏で通勤に使われたのは,最初は路面電車でしたが,国鉄の電車や,郊外の私鉄電車も通勤用として使われました。私鉄電車を除いた国鉄部分の電車を国電と呼ぶようになったのです。 (3) 路線名でよぶか,企業名で呼ぶかです。国電という言葉自体が鉄道関係者か,新聞などの報道機関しか使わなかったように思います。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6881/20349)
回答No.9

国鉄 日本国有鉄道が発足したのは1949年です。 始めは 鉄道院所属で 院電と呼ばれて 鉄道院が鉄道省になって 省電 省線と呼ばれていました。 日本国有鉄道になってから 国電になりました。 現在の線路が全て昔からあったわけではないので その時に呼ばれていた名称が残っていったけど あとからできた路線は 違う名前になったのでしょう。

回答No.8

訂正(表記ミス) Q3 1949年までは国電、地方では汽車。 1987年前までは国鉄と私鉄だったようで、地方では汽車と呼んでいたようです。 1987年以降、民営化されてからJRと私鉄そして汽車。 北海道に行くと今もJRの電車を汽車という人がいます。

回答No.7

Q1・2 国電とは、日本国有鉄道(国鉄)の電車で、大都市周辺で運転された近距離専用電車または近距離専用電車線のことで、1949年に日本国有鉄道の管理下に移ってから1987年に民営化されるまでの呼び名。 Q3 1987年前まではすべて国電だったようで、地方では汽車と呼んでいたようです。 1987年以降、民営化されてから国鉄と私鉄そして汽車。 北海道に行くと今もJRの電車を汽車という人がいます。

chibaragi_local
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >北海道に行くと今もJRの電車を汽車という人がいます。 これには理由があります。 ・北海道の鉄道の歴史は長いのですが(日本で三番目)、国鉄が初めて電化されたのは1960年代の後半ごろになってやっと。 ・しかも電化されたのはごく一部。2023年現在でもほとんどが非電化区間。 北海道全体で考えると、鉄道の乗り物はけっして「電車」ではないのです。汽車が大部分なんですね(路線距離で考慮)。

  • 69015802
  • ベストアンサー率29% (383/1299)
回答No.6

1 国鉄の電車なんですけど主に次のような条件のものを言いました。  *東京、大阪の近郊区間  *高運転頻度、各駅停車のみ、全車ロングシート(一部例外有り)  *中央線各停、山手線、京浜東北線、大阪環状線、東海道緩行線など 2 都会は選択肢が多いので地下鉄や私鉄との区別のためだと思います。今は列車種別も多いし、路線愛称も定着しつつあり個々の呼び名のほうが通じやすいからではないでしょうか 3 関西ですが具体的な路線名で呼んでました。

  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1695/4881)
回答No.4

既回答のとおりなんだけど・・・ A1. 元々は、鉄道院電車(院電)、鉄道省電車(省電)と呼ばれていた「大都市圏の近距離路線」が、第二次大戦後の日本国有鉄道(国鉄)発足により、呼称が変わったもの。 そもそもが、戦前に由来する東京圏・大阪圏の近距離通勤路線・・・名古屋周辺には国鉄の近距離路線がなかったこともあるので・・・ A.2 これも既回答のとおり、1987年に国鉄からJRになったときに、イメージチェンジ(当時は、国鉄=ストライキなどのよろしくないイメージがあった)の意味合いもあって「E電」という愛称にしたもので、首都圏のJR東日本の駅でE電のポスターを観た記憶がある人も多いハズ。 しかし、発想が安直すぎたというか、語呂も良くなかったこともあり、JR東日本の社内用語としてはともかく、一般的な名詞としては10年も持たずに聞かなくなった・・・んだけど、2010年代に入っても構内の案内表示に残っていた駅もあったので、そこそこ注意力のある人だったら気がついていたんだな と。 A.3 大都市圏のサラリーマンにとって「国電」は「満員の通勤電車」の代名詞であった。 それ以外は、単なる「電車」「国鉄」。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.3

A1.国鉄電車の略称ですが、国鉄の電車をすべて国電と呼んだわけではなく、東京や大阪など大都市近郊の近距離路線の電車をこう呼びました。東京の山手線や大阪環状線は国電の代表的な路線でした。 A2.「国電」はもちろん国鉄(日本国有鉄道)が1949年に発足した後からできた言葉で、それ以前には「省線」という「国電に相当する言葉」がありました。「鉄道省の電車」の意味で太宰修の「待つ」という短編の冒頭は次の文章です。 「省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。」 国鉄民営化後、JR東日本は「E電」という新語を作って「国電」に代わる言葉にしようとしましたが、全く普及せず世間からは消えてしまいました。このことから考えると「国電」という言葉は社会にどうしても必要というものではなかったと思います。私鉄や地下鉄と区別するだけなら会社名(JR)だけで十分だからで、一般の利用者にはJRの電車の近距離路線とそれ以外をわざわざ区別する利点があまりなかったということになるでしょう。 A3.国鉄関係者や鉄道好きの人は別として、さほど厳密な区別はありませんでした。ただ東京駅発でも大垣行き夜行列車のような長距離を走る列車は電車化された後でも国電とは呼ばず、ただ電車や国鉄ということが多かったように記憶しています。 それにしても「昭和も遠くなりにけり」だと感じました。

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.2

長距離を走る電車に対し、特に、都市近郊の「近距離電車」のことを国電と言ったそうです ーーー 大都市圏などの人口集中地区において,大量輸送,高頻度,等時隔運転を前提として開発された国鉄の近距離専用電車を指し,東京の山手線電車,大阪環状線電車等がその代表例であった。東京,大阪の二大都市圏に集中的に車両が配属され,運転される線路も中・長距離列車とは分離され,国電の運転区間を特に国電区間,電車区間等と称していた ーーー 国鉄からJRになった時、国電は「E電」と呼称を変えましたが、浸透しないまま消えていったそうです https://ja.wikipedia.org/wiki/E%E9%9B%BB#:~:text=E%E9%9B%BB%EF%BC%88%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%81%A7%E3%82%93,%E5%8C%BA%E9%96%93%E5%88%97%E8%BB%8A%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%8B%B1%E8%A8%B3%EF%BC%89%E3%80%82

  • asuncion
  • ベストアンサー率33% (2127/6289)
回答No.1

イメージ的には、今でいうJR東日本の山手線と JR西日本の大阪環状線あたりを指してんのかな。 それ以外は省線(国鉄の前身である鉄道省の路線やから)っていうてた気がする。

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