説法にオチがない
→説法にオチは必要ない。漫才じゃあるまいし・・・
適当でいい加減
→力量にもよると思いますが、その住職精一杯のお話です。
聞く側の態度にも問題があると思います。
お経がへたくそ
→修行された寺や宗派によってもスピードなど異なります。
高齢であれば滑舌も悪くなるし
太っておられれば声もこもるし
そもそも聞かせる曲じゃあるまいし、故人を供養するためのものなので、うまいもへたもない。
一般人以下レベル
→一般人は修行もしていないし、お経すら読めないよ
こんな坊主を住職にしておくいみがあるのか?
→ある。
だれが、死者を供養するのか?
あなたが死者を供養し、ご親族から感謝されるのか?お経読めますか?
尊敬できなければ、尊敬しなければいい。
ほかの寺の檀家になればいいだけの話
住職も人間。それぞれ個性があります。
そりが合うあわないは、当然。
でも、すべての住職に共通して言えることは、
亡くなった方を供養するために、もちろんお布施(お金)をもらっていますが、自分の人生を費やし、経を唱えているのです。
その住職を馬鹿にする発言は、家族でしていればよい話であって、サイトや外で話すことは、その檀家を馬鹿にする行為であり、その宗派を馬鹿にする行為でもあります。
どのような人であれ、亡くなった方を供養される、とてもありがたい職業だと思います。
私は家族最近をなくしました。
とても熱心な住職で、とても感謝しています。
熱のこもったお経を、うざいとか、ヘンとか、わらえるとか、
言っている親族に怒りを感じました。
その住職は真剣に亡くなった私の家族を供養してくださっているのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 仰る通りで御座います。 町民は、クソ住職でも、強制的にお布施等を払わなければなりません。 こんな人間性が最低な雇われ住職に、やった稼いだ大切なお金を1銭も払いたくありません。 失敗は成功の元と言います。これを教訓にして、次期住職は、立派な尊敬できる人物を充てるべきです。