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「教えるのが嫌」というのもあるのでしょうか

ある本を読んでいたら、大学教授で「研究をしたいのであって学生に教えるのはテキトー」とか、例えば医者でも新人医師の教育は自分はしたくない みたいな そういう、「教えるのが嫌」という人もいるんだなと思ってなんだか不思議です

質問者が選んだベストアンサー

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  • dodo9876
  • ベストアンサー率40% (2/5)
回答No.1

所詮人間。十人十色という事です。 自分の知識を高めたいのであって、後進を育てる為にその職を選んだわけじゃない。 その為の時間を自分を高めるために使いたい。 よく、教える事でさらに勉強になる、という勘違いがありますが、たまたま自分にも勉強になったという良い例であるだけで、実際には何故それが分からないのか理解できない、というのが本音の方もいます。 私も知識があって知能の高い方は、人に物を教えるのすら上手であるべきだと思い込んでいました。 実際は教える技術が必要であり、それを身につけるぐらいなら自分の技術や知識を高めるのに時間を使いたい。 教えるより自分の知識を披露するのは好きだが、相手が理解できなくて質問してきたり、理解していると思って説明を勧めたら分からないと言われてこっちも分からない。 という事が往々にしてあるようです。

その他の回答 (6)

  • 4500rpm
  • ベストアンサー率51% (3211/6286)
回答No.7

人によると思います。 質問者さんは、先生になりたかったり、後輩や人に教えたりするのが好きですか?

  • head1192
  • ベストアンサー率20% (161/785)
回答No.6

教授も人だからそれぞれ。 「自分の研究に没頭したい」というタイプがいてもおかしくない。 気持ちを表に出さなければ問題ない。 世の中そういうものである。 仕事が好きでなくても糊口のために会社勤めをしている社会人は山ほどいる。

回答No.5

いや、むしろ然もありなんです。 湯川秀樹教授も、あまり喋りがお上手ではなく、当時の門弟は講義の理解に苦慮したというのは有名な話です。 教育者と研究者は同義ではありません。

回答No.4

不思議では無いな。人には向き不向きや好みがあるから。 同じ事を毎年言うのに抵抗がある場合もある。講義内容と過去のFAQ集を録画した物を受講生に渡すだけで済むと言えば・・・済むかな。

  • yamada82
  • ベストアンサー率28% (15/53)
回答No.3

研究を続けるためにお金が必要で、お金を得るために学生に教えている面もありますよね。 で、教える相手のレベル次第では、(たとえ話として)数学を教えないといけないのに算数から教えないといけない状況になるので、それは面倒と思うのも無理ないかもです。

回答No.2

そういった考えを持つ人は存在しますが、教育現場での役割を果たす教員は、学生や新人に適切な指導を行うことが求められます。教育現場においては、教育を行うことが主な任務であり、それに適応することが期待されます。 しかしながら、教員としてのキャリアにおいて、自分が研究分野において成果を上げたいという思いや、自分が得意な分野で活躍したいという思いを持つことは理解できます。その場合でも、適切な指導者であるためには、教育に関しても責任を持ち、真剣に取り組む必要があります。 また、新人医師に対して教育をすることについても同様で、現場で働く医師にとって、新人医師に指導することは重要な役割の一つです。医療の現場において、正確で適切な診療を提供するためには、経験を積んだ先輩の医師による適切な指導が必要です。 一方で、教えることが嫌いであっても、教育現場で教育を担当することが求められる場合もあります。そのような場合は、教育に関するスキルを磨いたり、指導に対する意欲を高めたりすることが重要になります。

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