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研究者の大学生時代について
ある企業の研究職についている方が以前「私は学生時代に後悔していることはあまり勉強しなかったことです。」とおっしゃっていました。また、私が通っている大学の教授も似たようなことをおっしゃっていました。 私は研究者になるような人は学生時代からガリガリ勉強ばかりしている人だと思っていましたが、「あまり勉強をしなかった」と聞いて驚きました。研究者になるような人とは、学生時代からあまりガリガリ勉強しないものなのでしょうか。
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文系の研究職です。 統計的なデータはないですが、一概に勉強しない/勉強するということは言うことは難しいかもしれません。ただ、比較対象にもよりますが、感覚的には、勉強されている方や、勉強の好きな方のほうがやはり多いように感じます。 私は同級生と比べるとやや勉強をしていたほうに入ると思います。その意味では「勉強をしたほう」です。 しかし、研究職になってみると、まわりに優秀な方が多く、研究職になっている人の中では自分の出来の悪さを実感しています。ですので、優秀な研究者の平均的な勉強量からすれば「あまり勉強をしなかった」な、と感じています。 というわけで、どういう文脈でその発言をされたのかにもよるかと思います。もっとも、わたしの尊敬する恩師の一人は、大学時代はバンド活動に明け暮れていたそうで、勉強はぜんぜんしなかった、と仰っていました。しかし、その恩師の場合は勉強しなかった/してた以前の問題で、話していると同じホモ・サピエンスとは思えないほどに頭の回転がはやいので、もうそういう次元を超越しているような気がしました(笑)。彼は例外かもしれません。
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私が聞くところ、厳密にはこうです。まず、大学の経歴を見れば分かるように、ほとんど名の売れた人は一流大学卒業ばかり。悪くても大学時代は二流で、大学院は一流に入りなおしています。 したがってまず大学入学まではそれなりの猛勉強をしているといってよいでしょう。その後はさまざまです。本当にガリ勉している人もいたし、実際はけっこう大学時代は遊んでいる人がほとんどです。 結局は、大学までの期間に勉強しすぎて、大学での解放的な雰囲気が勉強から遠ざけてしまうことが多かったということです。今とたいして変わりません。しかし研究職を目指す転機が3年か4年にあり、そこから急に勉強に目覚め、まともに勉強するのは修士から・・・たいていの人は猛勉強の時期をお持ちです。 でもほとんどは修士以降です。
お礼
回答ありがとうございます。修士になるとたいていの人は勉強に目覚めるとは知りませんでした。
- tanuki4u
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教養課程の友人が7人ほど大学教授をやっています。 で、「もっと勉強すれば良かった」的な発言は以下の構造から出ます。 1:大学教授になるような人物の教養課程、学生時代の学習。 彼らは、基本的に勉強が大好きです。大好きなのですが、好きなことばかりやっています。大受験では全教科やらなければならなかったが、大学では好きなことをやり、好きな無いことはやらなくても、相当なことがなければ留年とかしませんから、頑張りません。 2:研究者として視野が広がると 学生のころは不要と思っていたことが、必要になってくる。友人の一人は、3年後に違う分野に打って出ると言っています。それまでの研究とは違う分野。その彼のとっては、3年後の分野は学生時代に基礎学習したはずですが、十分にはやっていない。だから、今考えれば、勉強しておけば良かったと思っています。 ということで、研究のレベルが変わるから、質問者が聞いたような発言がなされます。
お礼
回答ありがとうございます。確かに今までの分野と違う分野に進むのであれば、これまで使ってきた以外の知識も必要になってきますね。
- a-saitoh
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「あまり勉強しなかった」のさすところが,普通の人と違うのだと思います. 首席卒業の人でも,「もっと勉強しておけば良かった」と言ったりしますよ.
お礼
回答ありがとうございます。首席卒業でも勉強しておけばよかったという人がいるのですか…。言われてみると普通の人とは勉強量の感覚が違うのかもしれませんね。
それは単に、若い頃に勉強することの重要性をわかっているということです。 勉強することを必要とされない仕事をしている人は、もしかするとそういうことを思わないかもしれませんが、ある程度、知的な仕事をしている人は、「もっと、○○について勉強しておけば良かった」と思うでしょうね。それをしていれば、今の自分はもっといろいろなことができたと思うわけです。研究者になった人といえども、24時間勉強ばかりという人はいないでしょうし、無駄な時間を過ごしたことはあるでしょうからね。 しかし、そういったことは研究者に限らず、多くの大人が感じていることではないでしょうか。高校の時、もっと勉強していれば自分の人生は変わったんじゃないかとかね。
お礼
回答ありがとうございます。確かに私も高校時代にもっと勉強していれば…なんて思うことがあります。
- rio2
- ベストアンサー率55% (36/65)
「お勉強」と「研究」は似て否なるものだと思います。 「研究」に必要な要素は、気合、体力、インスピレーション、プレゼンテーション、研究費集め、センス、給料と労働が見合っていないとかなるべく考えない…なんてことでしょうか。 テストの点数なんてあんまり関係ないと思います。 私が最も勉強になったことと言えば、部屋に篭らず、外部の研究機関に出向したり、様々な分野の方とディスカッションしたりして得たことを、実験室に持ち帰って、自分の仕事に活かすことでした。 逆に、大学までエリートで来て、大学院で一気に挫折なんてパターンは多々見てきました。 でも、やっぱり勉強しておけば…と痛切に感じているのは、化学や物理の比較的基礎的な部分です。 もっと考え方が広くなっていたに違いないからと感じるからです。 年をとってくると目の前の仕事を片付けることが優先になってしまいますので。 いずれにしても「テストのためのお勉強」は将来あまり役に立たず、「原理を理解して他分野とつなげられる(応用できる)勉強」が必要だったのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。応用のためには確かに勉強不足だと感じることがあるかもしれませんね。
- l1798y53i
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こんにちは。 「あまり勉強をしなかった」という言葉は、あくまでもそれを発した人の主観に基づく判断であって、たとえば「バイトやサークルに明け暮れていて留年するほど勉強をサボっていた」とは全く違う物でしょう。 普通に単位を取って、いい成績で卒業できるくらいには勉強もしていたと思いますよ。 研究職や大学の先生になるような人は、「遊ぶことが大好きで勉強なんてイヤイヤやらされているだけだ」という意識ではないので、あまり自分が勉強していた意識がないというか記憶がないというか、そんな感じなのだと思います。 学問でも何でも同じだと思うのですが、ある程度物事がわかるようになると、最初の頃は見えていなかった新しい世界が広がっていることに気づいたり、同じ分野でももっと深い世界があることに気づいたりするでしょう。 そんなとき、ああ自分は若い頃全然気づいていなかったな、あの頃からもっと勉強しておけば、こんなに広い世界、こんなに深い世界にもっともっと関わることができるのに、、と思い返すのです。 その「ある企業の方」や「大学の教授」にとって、学問を修めることや広い知識を身につけること、そしてそこから派生する種々の事柄が、もっとも大切な物(の一つ)であるという価値観が、「もっと勉強しておけば良かった」という言葉につながっているのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。大学教授になるような人は勉強をいやいややっていない人が多いならば、自分に足りないことがあれば、確かに「勉強不足だ…」と感じるかもしれませんね。
- activedolphin
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理系の大学院進学が当たり前の現在では、全く参考にならない意見ですね。
お礼
回答ありがとうございます。以前は理系では大学院進学が当たり前では当たり前ではなかったのですか。
研究者は、大学4年で就職できなかったため、しかたなく大学院にいった人もいるからだと思います。けっして、すべての研究者がそうだとは思いませんが。
お礼
回答ありがとうございます。大学院には行きたいから行くという人だけではなく、4年で就職できなかったから院に行くという人がいるのですか…。それならばなんとなく納得できます。
お礼
回答ありがとうございます。確かに研究者の人たちは優秀な方が多いですから、その人たちと比べたら勉強量が少なかったということかもしれません。納得しました。