"本音で話せる相手ができると依存したり頼ってしまい苦しい"ということは、
ひとりの時もそういう人を求めている、ともいえるのではないでしょうか。
タイトルにもあるように、それはご質問者さまにとって大事なものなのであり、
大事なものであるのなら、一度思いっきりそういう人に頼ってみるのもひとつです。
これじゃだめだと思う自分も思いっきり経験してみたら何か違うものが見えるかもしれません。
けれど、何かプライドのようなものが、あるいは怖さが
相手に頼ることを拒んで、それが苦しさとなっているのなら、
それらの自分へのしがらみをこの際切り捨てるか、
ひとりでもやっていける覚悟を持つことも必要になります。
とはいえ、頼ったとしても、
結局は相手と自分は別の人間ですから、
自分の思い通りになるわけでもありません。
期待はすればするほど、ちぐはぐになっていくこともあるでしょう。
ですから、頼るだけではなく、
自分自身もしっかり持つことも意識し、
お互いの思いやりを持ってお付き合いしていくことは、どんな関係であれ大切になります。
また、
頼れる相手が現れたからといっても、
ご質問者さまの物理的な何かがいきなりがらりと変わるわけではありません。
変わったとしても、それは大きなきっかけとなるかもしれないけれど、
実際変わるのはやはり自分で変わろうという気持ちと行動があってこそのものです。
自分が動かずして何かが変わることを求めても、
寝て目が覚めて何かが変わることを願っても、
現実は現実です。
「依存」ならば、
その誰かが自分の思い通りにならなかったとき、自分自身も崩れます。
誰といても自分でいる、自分を持つ。
相手も相手である、それを理解し、
腹を決めることも大事です。
不安定になることはありますよ。
不安定になる要素はいつでもすぐそばにあります。
おそらく誰もが、さっきまで笑っていたのに1分後には苦しみにいた、というような経験もしていると思います。
決断したことがゆらゆら揺れて定まらないこともあります。
気がどうにかなりそうで落ち着かないことも経験しています。
反対に、それをプラスにさせ、逆転する力もあります。
それも誰もが自分の中に持っている力です。
生きていく中では誰かによる力も大きいのですが、自分次第でもあります。
応援しています。