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人間関係・これからの人生に困ってます。
とても長いので、ホントに暇な時に読んでいただければ幸いです。 長いので箇条書きにしていきます。 ・私が3歳くらいに引っ越してきた。小学校では、知らない子ばかりで男子6人・女子6人の計12人の一クラスしかなかった。 ・小学5年の頃から女子内での関係が崩れていった。それまでは仲が良かったのではないかと思う。そして、Rさんという人が私に対して、陰口や冷やかしが始まった。 ・小学6年になってからRさんが私に対しての攻撃が酷くなっていった。女子の仲間を集め、陰口を言ったり、Rさん自身から身体的ないじめであったり、嫌なことを強要してきたりなど沢山の事をされ、毎日ストレスの溜まる日々であった。 ・酷くなった原因としては、Rさんが私に対しての嫉妬や妬みがあったかもしれないが、私が思い出す中で当てはまるのは、秋の運動会で行う応援合戦の練習後のことである。Rさんは団長、私が副団長の役割。私が居なかった更衣室で、女子が着替えている途中にRさんがポンポン役だったNさん(5年生)の愚痴を言ったみたい。そこには、Nさんも居て聞こえており、Nさんは教室に戻った後5年全員に報告したそう。そしたら、それを聞いた一人の5年男子が怒り、下校中Rさんのところに行き喧嘩した。私は、その男子と下校班が一緒で、連れて帰らないといけないので、連れ戻そうと喧嘩の場に行くと、Rさんに「なんで団長を助けへんの!?副団長として団長助けんの当たり前やろ!?バカやな!!!!」と言われた。面倒な事が嫌いな私からしたら鬱陶しかったので、何も言わず泣きながら帰ろうとした。けれど、やっぱり放って帰るのは班長としてダメな事だと思い、引き返して男子を納得させ、謝らさせようとしたが、Rさんが拒否し、何も手に追えなくなり放って帰ることにした。だが、家に帰った後、5年男子が「ちゃんと仲直りしてきたよ」と報告しに来てくれて、次の日学校に行ったら、Rさんに謝罪され、仲直りしたと思い込んでいたが、それは間違いだった。Rさんが好きだったSさんにアタックしているところを何度も遭遇してしまい、私が脅される破目になり、「殺す」という言葉を生まれて初めて他人から言われた。正直とても傷ついた。毎日嫌な事をされる度に、母に報告していたものの笑って誤魔化され、ちゃんと相談できる人は居なかった。勿論先生に言う手もあったが、「他人に迷惑を掛けるわけにはいかない、報告したら次はもっと酷い目に遭うんじゃないか」などの悩みがあり、なかなか言い出せずにいた。 ・そしていじめられたまま卒業し、中学1年になった。クラスが違う事を願うも叶わず。小学校の先生にいじめの件を伝えてないし、仲良い雰囲気を出していたから先生には分からなかったのか、同じクラスにされていた。クラス表を見た瞬間、絶望し、人生が終わったかのようであった。もちろん中学校でもRさんがしてくることは変わらず、一回だけホントに嫌になって、SOSの手紙だって出したことがあった。でも、返事が「先生に相談してみましょう」という事が多かった。私は人に相談することが苦手で、いつの間にか人と接することが嫌いになっていた。でも、信頼できる陸上部仲間(同じ1年の女子)が出来てから少しずつ小学校であった出来事を話すことができた。皆味方になってくれたものの、Rさんへのイメージを私が悪くさせたからか、陰口が始まって皆Rさんを避けるようになった。これじゃあRさんとやっていることが全く同じじゃないかと思ったが、それよりも今まで辛かった自分を変えたくて、仲間と居ることを優先した。 ・それからしばらく経ってから、夏休みの事。Rさんが部活に一度も来なくなった。理由は病気?になったらしく、体が万全な状態ではなく、部活を休むことになった。私は内心嬉しかった。 ・そしてまた月日が経ってから、陸上部全員が集まる機会があった時、Rさんが来ていた。まぁもちろん皆嫌がっていただろう。私も嫌だった。それのせいか、態度にも出ていたのか顧問も気づいたらしい。話し合いの場が設けられ、一人ずつこんな事情で避けたとも話をしたが、私はまだ本当の事を言えなかった。 ・冬休みになってから陸部1年女子が一人ずつ集められていくのが見られた。私もその一人。私以外は前の時にRさんの親からの手紙を聞いていたみたいだが、私はたまたま休んでいて聞いていなかったから聞いた。こんな話し合いも面倒だし、聞きたくもなかった。もうRさんは部活には来れなくなったとの事だった。私たちが素っ気無くしたことも一部あったが病気が悪化し、来れないと顧問が言いはった。私も申し訳ないとは思ったものの、もちろん許せない気持ちもあった。それなら私ももっと早くに学校なんか行かなきゃよかったとも後悔した。 ・次は2年生。私と陸上部はRさんとクラスが別々になった。なぜか不登校だったRさんも少しずつ来るようになった。部活は来ないのに何で体育はできるのかと皆集まって言った事もあった。それも先生に話し合いの場が設けられ、許してやれとの事だった。 ・それから秋の体育大会の3日前の事。先生にまた集めさせられた。Rさんが「陸上部2年女子がめっちゃ見てくる、集まっているところを見たら私の事を言われているようで怖いです」と。意味が分からなかった。なぜRの事で話しているわけでもないのに集まったらダメなのか。疑問でいっぱいだった。先生が一人ずつ「何か集まって言った覚えはないか」と問い掛けていった。そして私の番。私は「見ただけで、あー来てるんやとしか言ってません」と言った後に泣いてしまい、一番言いたかった「もうこんな話し合いの場を設けないでください、皆も辛いです」と続けようとしたが、顧問は話を逸らした。その時顧問が私に対して言った事が衝撃だった。「皆とあなたは平等。あなただけがやられてるんじゃないんやから、とにかく前の事は忘れて」と。Rからのいじめを多く受けてきたのは私だが、確かに、皆も何かしら攻撃を受けているかもしれない。けれど、そんな言い方あるか?と疑問に思った。そして顧問が職員全員と決めたのが次の事だった。「これからは集まってるところをRに見せないように先生たちが陸部が集まって話しているのを見たら離していく。協力してくれへんか」と。別にそれぐらいならいっかとは思ったが、実際にしてみると、私たちにとっては厳しいものだった。Rが私たちが居る教室の前を通ろうとしたら、せっかく集まって話していたのを切り離され、強制的に教室に戻されたり、二人で話していても教室に戻される、トイレの中で集まってても戻されるの毎日で私たち陸部女子も限界を迎えた。泣いてしまう子、怒りをぶちまける子など日々の生活に響くものであった。私も辛くなって、習い事の帰りに何故か泣いてしまった。元々深く考えてしまう自分ではなかったのに、自分を責めたり、すぐに泣いたり、ずっと笑いが絶えない自分であったのに、変わってしまっていた。いや元々心から笑えていなくて、今まで作り笑いだったのかもしれない。そう思うとまた自分を責めたり、情けなく感じてしまう、それが思い出す度にしてしまうことである。 ・それから親にきちんと「辛い」という事を伝え、部活を休部することになった。顧問と相性が合わなかったのか、今までより少しホッとして、接する機会が減った。 ・しかし、心の傷は消えていなくて、スッキリした感じではなかった。生活するうちに段々と申し訳なさ、自分を責めることをしてしまう自分が居た。部活に行かなくなって、部員女子と話すことも少なくなってしまい、何故か距離を感じた。後輩も話す機会が減って、距離を感じる。皆に取り残されているかのように。学校に行きたくないけど、行かなきゃいけないという責任感もある。でも、皆は前とは変わらず、話してくれる。皆の優しさも知っていくうちに私は、何もしてあげれてないように感じる。 ・すると、この前母に顧問からメールが届いた。内容は「娘さんと話がしたいのですが…やっぱりダメですかね」という事だった。まだ顧問を許せていない。体育大会前に言われたあの言葉。その前にマンツーマンで話し合った時に言われた「あんた逃げとんちゃうやろうな、嘘ついてんのか」と言われた事。色々あったこの14年間。次は受験の年。不幸で生まれてこなければよかった。私は将来生きていけるか本当に不安です。沢山の人に迷惑をかけて、しんどく感じ、生理が来たら、よく病んでしまい家族や恋人に当たったり、たまに心をえぐるぐらい責めることもあります。人が多いところに行くと、激しい頭痛、めまい、吐き気がすることもあります。音や人にとても敏感なのかなと感じ、ネットで調べるとHSPの可能性があると記されており、確かに当てはまる項目が多かったです。本当にそうなのかわかりませんが、勝手に解釈するのもよくないのでとりあえず置いていますが。 これからの生活を変えていきたいのですがどうすれば良いですか。それと、部活は退部した方がいいですかね…部員に「帰って来ないの?」と聞かれるのがしんどいんです。何かしら良い方法があえば、教えていただきたいです。
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質問者が選んだベストアンサー
好きなようにしてください。悩む必要性はそんなにないと思います。あなたの好きなようにして、できるだけ嫌な事にならないように行動してください。 今までの事はハッキリ言うとあなたの中で知っている事をみんなで共有していないから、ズレているのです。周りは知っている事だけで、色々考えて配慮してきたことが、あなたが知っている事がズレているので、何でそんな事を、なんて思ったりするのです。ズレがなくても、思い通りの配慮がない事もあるのに、ズレていたら、当たり前のようにズレた配慮をされるのです。それは仕方ない事で諦めてください。 だから、これからはもっと自分を出して、嫌な事からは離れるようにしてください。
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- nonamelane
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>次は受験の年 これです。さっさと退部で良いと思います。 これがあなたが目指すもの。私は既に還暦過ぎですが、はっきり言って部活など人生に何も影響しないと思います。顧問もあれこれ言って自分の存在価値を高めようとしているのでは。解雇されたら終わりですからね。でも受験で合格したらそこからはもう関係無い人達です。帰ってこないのと言われても受験頑張るからまたねとおっしゃってとにかく逃げ切る。 娘さんと話がしたい、今更ですよね。その時何もしないであなたを封じ込め、落ち着いた今になって解決に一役買ったと暗示にかけるのか。単に保身からのパフォーマンスに思います。 もう放っておきなさい。すべて過去の人にする。とにかく新しいステージに進むためには無駄を省く。私の経験上、就職に部活やボランティアが好印象を与えるのはほんの僅か、同線上にライバルが並んだ時の選考程度にしかならなかったです。かつて日本で就職の時、部活など適当でも私はすんなり受かりましたよ。その後海外ビザ取得にもそんな事は何の得点にもならない。現在の結果がすべてです。そしてその年代によって要求は変わります。あなたはまだそこが終着駅ではありません。 とにかく割り切り受験を頑張りましょう。終わりよければすべてすっきり、勝てば官軍、次の段階への踏み台だったと思えるはずです。頑張りなさい。
お礼
ありがとうございますっ… やっぱりそうですよね。自分を責めても変わらない。 きちんと親にも「やめたい」と言おうと思います。 素敵なアドバイスをありがとうございました。