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お答えいただけましたら幸いです。
「人は他人をあまり見ていない」 と 「人は他人をほとんど見ていない」 は同義でしょうか?
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- staratras
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様々な状況が考えられます。例えば電車内でスマホを見ていたり、居眠りをしたりしている人は、そもそも他人が視野に入っておらず、他人を見るのはたまたまスマホから目を上げたり、目を覚ましたりした時だけなので「頻度=程度=度合い」だと考えられます。 そうでない場合、他人の姿は視野には入っているものの、多くの場合は注意を払って見ているわけではないので、あまり、またはほとんど見ていない、ということになります。逆によく見るのはどんな場合かを考えれば、じっと凝視して見つめるのなら 「程度」でしょうし、気になってチラチラ見るのなら「頻度」でしょうね。 まとめれば、頻度の場合も程度の場合も、頻度=程度の場合もあるでしょう。細かく言えばこういうことだと考えます。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
同義ではなく、「あまり見ていない」より「ほとんど見ていない」のほうが、見ていない度合いが強くなるでしょう、 「あまり見ていない」のように、下に打ち消しを伴う「あまり…ない」の「あまり」は「それほど」「そんなに」の意味です。それほどは見ていないが少しは見ているという意識が裏にあります。 これに対して「ほとんど見ていない」の「ほとんど」は「少数の例外はあるが大部分にわたってそういう状況であること」を意味しています。「見ていない」ほうが強調されています。
補足
お答えいただきありがとうございます。 追加の質問です。 「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人をほとんど見ていない」 と 「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人をあまり見ていない」 の「ほとんど~ない」、「あまり~ない」 は、頻度と程度の両方を意味しているのでしょうか? それとも、頻度=程度、ということであり、お答えいただいたように、度合いの違い、ということになるのでしょうか?
お礼
すみません、補足の訂正です。 つまり、 「ほとんど~ない」でも「あまり~でも」 どちらを使っても、程度や頻度を意味することができる、している、ということでしょうか? また、追加の質問ですが 「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人をほとんど(あまり)見ていない」 と 「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人がほとんど(あまり)見えていない」 は、正しいのどちらで、自然なのはどちらで、また、それぞれどういう意味になるでしょうか?
補足
お答えいただきありがとうございます。 つまり、 「ほとんど~ない」でも「あまり~でも」 どちらを使っても、程度や頻度を意味することができる、している、ということでしょうか? また、追加の質問ですが 「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人をほとんど(あまり)見ていない」 と 「(人が複数いる街中や電車内といった場所や状況で)人は他人がほとんど(あまり)見えていない」 は、自然なのはどちらで、また、それぞれどういう意味になるでしょうか?