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反コロナと戦時中の反戦は同じじゃないの?

「欲しがりません勝つまでは」じゃないですが、コロナ下も同じ空気を感じます。 反コロナ思想で捕まらないのは戦時中とは違いますが、行動によっては捕まるニュースもありました。 そういうのは今は「非常識なヤツだ」となりますが、後になって「なんて馬鹿な事」となるのでしょうか? 戦時中に好きなヘアスタイルやファッションをしていた強者もいた様ですが、今だから勇敢となる訳で、当時はとんでもないヤツだったのはコロナと同じでしょう。 コロナは感染、戦争は間違い、と考えれば良いですが、戦争は国民の責任、と考えた場合、コロナと同じで今でも迷惑者扱いになる気が…。

みんなの回答

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2732/12291)
回答No.4

大局で見るとおっしゃる通りかと思います。それぞれの居場所の単位、国や都道府県、市区町村などで、その時その時によって、正義は微妙に変化しています。日本を例にとって、第二次世界大戦中は戦争でアメリカと戦い、勝つことが正義だとされていました。ですから、それに反対する人は犯罪者と同列にされて、投獄されていったのです。戦争に負けてから、武力による戦争は勝とうが負けようが、悲惨な結果を生みやすいと認識され、戦争は絶対にしないという正義に変わり、現在に至ります。 コロナも初めはどれだけの感染症かは解らなかったので、徹底的な感染対策や、感染者の隔離をすることなどが正義でありました。マスクをしないのは犯罪者に近い扱いを受ける事もありました。しかし、研究が進んで、そこまでひどい感染症ではないと解ったり、マスクをするしないは各個人の判断によって自由だと認識を改めたりして、現在に至ります。ですから、ワクチンを打って、感染対策をしていれば、普通の生活をしていいというのが正義になって、マスクをしてるかどうかは指摘しないのが正義になっています。 時代が変わって、正義の変化が早くなりました。そして、周知徹底も簡単にできるようになりました。ですから、世界共通で間違っている正義は正されやすくはなったと思います。しかし、一部で独裁的といえる、凝り固まった正義を押し付けてくる輩(露とか)がいます。自分がそういう風に染まらないように、また押し付けられないように、気を付けていきたいものだと思いますね。

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  • head1192
  • ベストアンサー率20% (162/786)
回答No.3

このような思考停止に陥ることなく辛抱強く感染対策をしてゆくだけ。

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  • toka
  • ベストアンサー率51% (1215/2360)
回答No.2

 戦争については、太平洋戦争でたくさんの命が失われたり、家や家族や体の機能をなくしたまま人生を送らねばならなくなったりという不幸な結果が表れてはじめて「戦争は起こしてはならない」という共通認識に至ったのです。  コロナについてはいま現在、経済が失速したり自由が失われたりという状況です。コロナ禍が終息してはじめて「マスクとかPCRとかやってたよねー」という昔話にできるわけです。  反コロナ思想が正しいのか間違いだったかの評価は、いま暮らしている我々ではなく歴史と未来の市民が下すものです。  どんな事件も災害も、終わって結果が出ないと振り返ることはできません。

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  • kzr260v2
  • ベストアンサー率48% (864/1800)
回答No.1

(ご希望とは違う回答かもしれませんが)、当時の反戦も1種類だけでなく複数いたようなので、単純に反コロナと同列に扱うのは無理筋と思いました。 例えば、COVID-19の感染者を扱う救急医療現場のお医者さんがいると思ってください。お医者さんなので、様々な論文やデータなど使い、COVID-19の危険性や、COVID-19ワクチンの効果を説明してくれています。しかし私は驚愕したのです。医療とはまったく異なる分野のものごとについて「近頃、○○なんて言うことが広く話されているが、私の感覚では、そのようなことはあり得ない」と、プライベートアカウントながら、SNSで発言していたのです。実はその○○は、ノーベル賞受賞者がそう言うくらい、専門とする人たちではあたり前の内容でした。 【つまり、そのお医者さんは、COVID-19の危険性や、COVID-19ワクチンの安全性を、「たまたま、あり得るとしていただけ」ということなのです。】 スポーツ選手や芸能や芸術関連の人たちは、「自分の感覚」を大切にしないと活動ができなくなりやすいです。なのでそれを大切にすることは正しいことですし、必要なことです。しかし科学技術はそうではない面があります。自身の知識や考え方を疑うことが強めにできないと、論文などの成果物にはなりにくいのです。また、他の人の論文を評価する際にも必要とされています。 反戦についても、戦前ならば反戦について発言する意味はありましたが、戦中は強烈な管理下に置かれますので、軽々しく反戦発言すると本人だけでなく周りの人も影響を受けます。私は、ほとんどの人たちが配給を無視して、地方農家などに直接に物々交換していたことも、政府の通達を無視する、いわば反戦のひとつだと思っています。当時、配給だけでは死んでいたそうなので、生き残った日本国民のほとんどが「反戦」と言ってよいと、私は考えています。 戦中に反戦発言して、憲兵や特高警察にしょっぴかれ亡くなった人に対しては、とても胸が痛む思いですが、反戦というより全てに絶望し自殺を選んでいるように私は思います。その中に少なからず「自分の感覚を大切」にする人は含まれていたと思います。 そして私は「戦争は国民の責任」を、強く否定します。責任は「所属する省庁や関連業界からの評価しか考えられない官僚」と「少ない獲得票数で当選するべく工夫している政治家」にあります。国民には戦争を起こす権限は皆無です。国民を幸せにすることを考える官僚や政治家ばかりだったなら、戦争は起きなかったでしょう。 「戦争は国民の責任」は、日本政府がたまに言う「政府の借金が国民ひとりあたり数百万円」と同じく、無意味で空虚で悪質な虚偽です。政府の借金が日本円ベースであるなら、それは単に「政府が国民に投資した金額」なのです。政府が借金を減らすことは、国民への投資が減らされ、国民が生活しにくいことに繋がるのです。 ※ 反コロナの人の中には、感染症対策につとめ、ワクチン接種も全てして、自身のアフリエイトやアクセス数かせぎでやっている人がいます。とても頭がよいやり方ですが、なんらかの報いはきますので、私はおすすめはしないです。 ※ 「自分の感覚を大切」にして、感覚でコロナに反対する人について。大切な人を医療で無くすなどしたら、その感覚くらいにしかすがるものが無い、そんないたましい人は存在します。そんな人にかけられる言葉は私は思いつきません。とりあえず、「偽りの反コロナは居ます」くらいは、お伝えしたいです。 ※ トラバサミなどの罠にかかった猛獣を助けてあげることが不可能なように、私は無力です。(猛獣が私のやることを理解し、痛みをこらえじっとしていてくれたら、すぐに助けてあげられますが、ほとんどの猛獣は理解せず、私に攻撃してきて、最悪の場合は私も死にますね。察してあげるくらいしか出来ないです。) 以上、参考にならなかったらごめんなさい。

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