- ベストアンサー
How Can Limited Beings Alter Their Conception of the World?
- Limited beings like ourselves often wonder how we can change our perspective of the world.
- This question revolves around the idea of viewing the world from an objective standpoint, detached from our own perspectives.
- In attempting to understand this, we can draw similarities to Descartes' quest for a comprehensive understanding of the world he was contained in.
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>拙訳の添削をお願いします。 >「問題は,われわれのような制約された存在が,自身の世界を,最早まさに自分のいる所から眺めた世界ではなく,ある意味で,何処にも偏らない〔西洋の神の〕視点から見た〔かのような〕世界に関する概念に如何に変えることができるかである。その問題では,世界がそれを所有する制約された存在を含むという事実が内包され,了解される。それは,世界が,構想の形成に先立って何処にも偏らない〔西洋の神の〕視点から見たかのように見える理由を,さらに,われわれがその構想そのものに如何に到達することができるのかを説明する。この客観的な知識の考え方はDescartesの基本方針と共通点がある。それは,Descartes自身が含まれる世界に関する構想を企図しようとし,それが,その構想の妥当性とそれに到達する彼の知的能力とを推し量るからである。だが,彼の方法は絶対に確実な主張と道筋にのみ依存するはずであり,私が表したような自己超越的方法は必ずしもこのような特徴を持っていない。実際このような世界観は先験的な推測に大きく依存するけれども,証明によって展開される必要はまったくない。」 ⇒以下のとおり、語句と添削訳文をお答えします。 (いつぞや同じようなお尋ねがあった時の回答、受け入れていただけなかった記憶がありますが、その時のお答えとほとんど同じです。いくらか説明を敷衍しましたが。) (語句) *it is no longer just the view from where they are but in a sense a view from nowhere:「自身の世界を,最早まさに自分のいる所から眺めた世界ではなく,ある意味で,何処にも偏らない〔西洋の神の〕視点から見た〔かのような〕世界に関する概念(に如何に変えることができるか)」→【(いかにしたら己の世界概念を)自分のいる場所からの眺めではなく、ある意味どこからの眺めでもないもの〔=自由で理想的な眺め〕(に変えることができるか)】。ユートピア(Utopia、ギリシャ語の《Ou「無い」+topos「場所」》より借用)は、「どこにもない場所」という意味から「理想郷」といった意味が派生しました。本件のview from nowhere「どこからでもない眺め」と一脈通じるところがありような気がします。つまり、この語句の真意は「何処にも偏らない」とか「公約数的な」というような意味とはむしろ真逆の、「自分が好きに描いた、借り物でない、理想の眺め・世界」といった意味を表していると思います。 *explains why the world appears to them as it does prior to the formation of that conception:「世界が,構想の形成に先立って何処にも偏らない〔西洋の神の〕視点から見たかのように見える理由を説明する」→【世界が、それ(概念)を形成する前の世界がどう見えたから〔それで世界概念を変えたくなった〕という理由を説明します】。 *and explains how they can arrive at the conception itself:「さらに,われわれがその構想そのものに如何に到達することができるのかを説明する」→【また、どうすればそういう概念に到達できるかという方法を説明します】。 *for he attempted to form a conception of the world in which he was contained, which would account for the validity of that conception and for his capacity to arrive at it:「それは,Descartes自身が含まれる世界に関する構想を企図しようとし,それが,その構想の妥当性とそれに到達する彼の知的能力とを推し量るからである」→【なぜなら、デカルトは、自分が含まれている世界についての概念を形成しようとし、その概念の妥当性とそれに到達するための自分の能力を説明しようとするからである】。 *the method of self-transcendence as I have described it does not necessarily have this feature:「彼の方法は絶対に確実な主張と道筋にのみ依存するはずであり,私が表したような自己超越的方法は必ずしもこのような特徴を持っていない」→【デカルトの方法は、絶対的に確実な提案命題とステップ(段階的手順)にのみ依存するものとされるが、私の説明した自己超越の方法は、必ずしもこの特徴を備えてはいない】。 *though it must rely heavily on a priori conjecture:「実際このような世界観は先験的な推測に大きく依存するけれども」→【実際、このような世界観は、先験的な推測に大きく依存するには違いないけれども】。 (添削訳文) 【問題は、我々のような制約された存在が、いかにしたら己の世界概念を、自分のいる場所からの眺めではなく、ある意味どこからの眺めでもないように〔自由で理想的な眺めに〕変えることができるかということです。それ〔自分が変えた眺め〕は、次のような事実を含み、かつ説明します。すなわち、その概念〔そのように変えようと思い立った考え〕を抱く者を内包する世界は、それ(概念)を形成する前の世界がどう見えたので〔世界概念を変えたくなった〕という理由を説明し、どうすればそういう概念に到達できるかという方法を説明します。この客観的知見の考え方は、デカルトのプログラムと共通するところがある。なぜなら、デカルトは、自分が含まれている世界についての概念を形成しようとし、その概念の妥当性とそれに到達するための自分の能力を説明しようとするからである。しかし、デカルトの方法は、絶対的に確実な提案命題と段階的手順にのみ依存するものとされるが、私の説明した自己超越の方法は、必ずしもこの特徴を備えてはいない。実際、このような世界観は、アプリオリな推測に大きく依存するには違いないけれども、証明によって発展させる必要は全くない。】
その他の回答 (1)
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
「質問者からのお礼」を拝見しました。 >お訳しを頂くとして,最後の「このような世界観」とはDescartesのものでしょうか? ⇒あ、いいえ筆者のものです。 >後,客観的知見の考え方,ですが,客観的知見,だけではいけませんか? ⇒This idea of objective knowledgeの対訳ですから、「客観的知見の考え方」あるいは「客観的知見の概念」というように「考え方」とか「概念」なる語がついている方がいいように思います。
お礼
承知致しました。 ご教示に感謝致します。
お礼
いつも御世話になっております。 さて,西洋の神の視点から見た世界,ではなく,ご理解のような理想郷を指すという理解は確かに文意として通りが良さそうです。流石です。さてお訳しを頂くとして,最後の「このような世界観」とはDescartesのものでしょうか?後,客観的知見の考え方,ですが,客観的知見,だけではいけませんか?なおご教示頂ければ幸いです。宜しくお願い申し上げます。