現在の状況や旧ソビエト時代の話をひとます置いて、長い歴史的な経緯から言えば台湾と中国(本土)との関係とウクライナとロシアとの関係は大違いというか正反対です。
台湾は古代中国の中心部(中原)から見れば異民族が住む辺境の離島で、長い間中国の文化圏の外にあって、ほとんど中央の歴史に影響を与えませんでした。漢民族の移住が盛んになったのが17世紀になってからで、清に併合されたのは1683年です。
一方、ウクライナは古代スラブ世界の国家形成の歴史では初期の中心地でした。ロシアの起源がウクライナの地にあるとも言え、これは高校の世界史の教科書にも簡単に書かれています。(以下引用は『詳説 世界史』山川出版社2003年発行版)
◎北ヨーロッパからは、リューリク(ルーリック)にひきいられたヴァイキングの一派(ルーシ)がスラブ人の地域に進出、9世紀にノヴゴルド国、ついでキエフ公国をたてた。これがロシアの起源である。
◎東方ロシアに拡大した東スラブ族(ロシア人・ウクライナ人など)の地には、はやくも9世紀にスウェーデンのヴァイキングがノヴゴルド国、ついでキエフ公国を建設した。しかし彼らはまもなくスラブ化し、キエフ公国は10世紀のウラディミル1世のとき最盛期に達した。彼はギリシア正教に改宗し、ビザンツ風の専制君主政を模倣したため、文化の上でも西ヨーロッパとちがった道をすすむことになった。…(中略)…
◎しかし15世紀のころから商業の中心地モスクワのモスクワ大公国が強力となり、1480年大公イヴァン3世のもとでモンゴル人から自立し、東北ロシアを統一した。彼はほかの諸侯をおさえて強大な権力を握り、ビザンツ皇帝の後継者としてツァーリの称号を用いた。また勅令で全国の農民の移動の自由をうばい、農奴化を進めるなど、専制君主の地位を固めた。こうして16世紀のイヴァン4世の時代には、ロシアはポーランドにカわる東ヨーロッパの大勢力となり、モスクワが第2のコンスタンティノープルの地位を占めるようになった。(引用終わり)
こうした歴史的経緯を踏まえると、プーチン大統領がめざしている「強大なロシア」が何であって、ウクライナ国民がなぜ受け入れを拒絶して戦いつづけるのか、理解の助けになります。蛇足ながら、イヴァン4世は、改革を行ってロシアを強国にした一方で、家族でも大貴族でも敵対する(と彼が疑った)国の人民でも容赦なく殺害する苛烈な性格で「イヴァン雷帝」と恐れられた人物です。
お礼
歴史的な経緯はともかく、こういう戦争が行われることはやはり納得しにくいですね。台湾も同じような状況になることも考えらえ宇のでしょうか。人類はあまり賢くないというのがこの頃の感想です。