• 締切済み

もう誰もいません

いつも助言してくれ、支えてくれ、説教もしてくれ、そばにいてくれた友人、20も歳は離れていましたが、唯一の友人でした。半年前に亡くなりました。もう私には誰もいません。そう思うとどうしようもない気持ちになります。喪失感という言葉では言い表せません。してもらうばかりで、私からは何もしてあげられなかった、後悔ばかりです。親しい人の死、どう受け入れたらいいですか。また、どうやって、これから一人で生きていけばいいですか。

みんなの回答

  • harpo333
  • ベストアンサー率20% (29/142)
回答No.4

私はたまたま教会のバザーによったりしてたらプロテスタント教会に誘われて牧師さんは岡山の普通の教会にいたけどあいりん地区にどうしても来たかった、大阪市民はあそこには行くな、と言われてるらしいけど 同和問題とかの研究?とかしていたらしく理不尽な不平等をなくしたいらしい。 そこで何十年もホームレス支援をやっている、教会に来る人も概ねいい人。世の光、FEBC オンラインに頼めばいい教会紹介してもらえるだろうから一度行ってみたら?酒のんで来るとかじゃなければ誰でも歓迎です。 エホバ、統一教会など異端には入らないように注意が必要です。 私のとこの牧師は行けない事情があると丁寧な手紙や電話をしていただける。 私は中高一貫進学校でカソリック系なので宗教の時間ありましたが、いくら真面目に聞いてもわからないので、教科書に隠して筒井康隆の小説読んでたらバレて怒られました。 それから大分たちうつ状態で暗ーい顔で夜中トボトボと歩いていたら明るく挨拶してくれた女性がいました。 そんな男に声かける女性なんてまずいない 近くに教会があったからクリスチャンだったのか?とかあってその後やっと縁があった感じです。 まだ洗礼は受ける資格はないと思っているが、節目節目で神が助けてくれてなんとか生きてこれたのかもしれないと思っている。 大阪市近くに住んでいるなら、西成めぐみ教会、日本バプテスト大阪教会いい教会です。 バプテストの牧師夫人と息子さんが犬の散歩から帰ってくるとき、クリスチャンで本当に良かったねと言っているのをたまたま耳にしました。どんなことがあっても信仰に忠実であれば救われるという意識だろうと思います。 私は教会でホームレス支援もやっていますし、あちこちのクリスチャンから支援物資が届きます。 ホームレス支援しているのはキリスト教団体が多く、お寺とかは遥かに多いのに殆どやっていないようです。 時が来れば導いてくれる、苦しんだ時間も無駄じゃないかもしれないと思う。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.3

誰でも自分のことしか考えられないという事でしょう。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.2

昔は、年上の人から受けた恩は、自分より下の者に返していきましょうって言われていたんですよ。 人との縁は、巡り巡っていくものだから。 亡くなった友人との関係をすぐに築くのは難しいかもしれませんが、まずは自分なりに、友人から受けた恩を少しずつ周囲に返してみてはいかがですか。 亡くなってしまったから終わりでなく、質問者さん自身の中にある、友人から教わったことが生き続けるように。 何もしてあげられなかったと後悔せずに、質問者さんを通じて「素敵な友人がいたんですね」と言ってもらえるように。 それが一番じゃないのかなと思います。

noname#251417
質問者

お礼

とても救われました。ありがとうございます。少しずつでも、恩を返していけるような生き方をしていきたいです。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.1

あなたが生きている限り、その人があなたに与えてくれた価値も生き続ける。確かに進行形で更新し合える関係ではなくなってしまった。それでも、あなたの中にはその人が与えてくれた、その人があなたに残してくれた沢山の財産がある。その証拠こそ、今のあなたが感じている途方も無い喪失感。喪失感が強いという事は、あなたはその人からとても多くのものを頂いていたという何よりの証。その頂いたものは、たとえその人が目の前から去ってもあなたの中に変わらずに残り続ける。そのかけがえのない財産を、あなたは残りの人生をかけて丁寧に噛み締めながら生きていく必要がある。あなたの気持ちも分かる。相手が存在しなくなった事で、恩返しという帳尻合わせが出来なくなってしまった。いつか恩返しできるような自分になりたいという気持ちはあったけれど、あなたはあなたでいっぱいいっぱいだった。確かに今思えば後悔はあるけれど、じゃあ当時のあなたにその方に何かをしてあげられる余裕があったか?といえばそれも難しかった。亡くなってしまったという事実があって、それを知っていたら(あの時もう少し)という気持ちで後悔を感じる気持ちも分かる。でもそれは結果論であって、当時の自分に今のあなた以上のパフォーマンスを求めるのは無理な話。ゆっくりと深呼吸を。あなたには唯一の友達と言える存在がいた。喪失感は充実感を感じた人にしか生まれない感情。あなたは今強い喪失感を感じている。その時点であなたはそのお友達から多くを「得て」いる。そのお友達から得た多くの物を大切に、これからのあなた自身に活かしていく。それは、あなたの「中」で行われる亡くなったお友達との共同作業でもある。今の自分をお友達が見たらどう思うか?その目線があるあなたは、これからの日々を今まで以上に大切に生きていけるんだと思う。直接的にお返しは出来なかったけれど、その人が生前に与えてくれたものを大切に胸に抱きながら、あなたなりに前に進んでいる限り、お友達はあなたの「中」で生き続ける。本当は中でも外でも生きていて欲しかった。それでも、あなたは既に自分とって特別な存在というかけがえのない価値をそのお友達に「与えて」いる。お友達も生前に感じていたと思うけれど、今もかけがえのない友達だと思ってくれている事が何より嬉しい。それはそのまま、そのお友達が誇り高く生きた何よりの証だから。ゆっくりと深呼吸を。あなたは独りでは無い。お友達はあなたを悲しませる為に亡くなった訳じゃない。こうして書き込んでみたからこそ、ただの哀しみのディレクターズカットで終わらせないで、そのお友達があなたに与えてくれたものを優しい気持ちで思い出してみる事。それが出来るのも親友の証だから。今は思い出すと悲しい時間帯だけれど、いずれは思い出すと温かい気持ちになる(前向きな気持ちを思い出せる)、そういう存在としてそのお友達はあなたの中で昇華されていく。それを信じて、これからのあなた自身に活かしていけると良いよね☆

noname#251417
質問者

お礼

丁寧にありがとうございます。涙がでました。その人が残してくれたもの、大切にします。いずれは温かい気持ちになれるとのお言葉、信じます。

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