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遥か胃袋の記憶〜戦時中の食の苦労と現在の食事事情〜
- 若い頃に飲んだ安酒の記憶と、現代の豊かな食事事情について語られています。
- 戦中派の父の話では、戦争の記憶は食の苦労と重なり、戦争中の食事は非常に限られていたそうです。
- 提案として、子供たちを北朝鮮に武者修行させることで、自分たちがどれだけ幸せな社会に生まれたかを実感し、親のありがたさを感じることができると述べられています。
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>記憶の襞に刻まれた、食の思い出 そうですね、小学生の頃に母と一緒に作った「トリュフ入りミートソースパスタ」ですね(笑)。 当時、父の仕事の関係でドイツから何人かの技術者の方が私の住む街に来ていて、ある時その技術者の方が「我が家で食事をしたい」とのリクエストがあったそうです。 母も「ドイツ人に何を食べさせたらいいのか判らんわ」とか言っていましたが、まあ和食よりも洋食系がいいだろうと、とりあえずパスタでも食べさせようと思ったようです。で、ちょうどその頃自宅の近くの地中にトリュフが自生しているのを発見していたので、私が「ミートソースにトリュフ入れたらいいんじゃない?」と言って、母と二人でトリュフにハーブ・スパイスを適当にミートソースにぶち込んで(笑)、「トリュフ入りミートソースパスタ」をそのドイツ人に食べさせたら、わざわざ鍋を見に来るくらい感動してくれたようです(笑・イタリアで食べたパスタより美味かったとか)。 >サントリー ホワイト ・ レッド に ハイ・ニッカ 学生時代によく飲みましたが、「レッド 」と「トリス」はいただけませんでしたね(笑)。「ホワイト」や「ハイ・ニッカ」はOKです。 今となっては、うちの近所のドラッグストアでは「ハイ・ニッカ」は「ジョニ赤」より高価になりましたけどね(笑)。
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- kamejrou
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こんばんはisokenさん 胃袋の記憶? 本題の前に 少し雑談なのですが サントリーの ホワイト 懐かしいですねえ 私は酒と名前がつけば何でも呑んで おりましたが 学生時代は ビール、 友人は皆 日本酒なのです いわゆる「 もっきり」です ビールの方が高いのですよ 友人達に お前と呑むと 割り勘負けする 顰蹙を買っておりました 会社勤めをするようになってからは 専ら ウイスキーでした サントリーのダルマ、 ニッカのひげ 今でもすすきのの一等地に ネオンがありますが それから リザーブに変わっていったようです 日本の経済成長と共に呑む ウィスキーも 変わってきました 本題ですが 私の食の記録と言いますと 私は小学生の頃の 学校給食であると思います コッペパンと シチュー、 まだ 今のように スーパーで 肉が簡単に買える時代ではありませんから 肉の代用品は秋刀魚でした 港町ですから 魚は豊富だったのです 母がたまに ライスカレーを作ってくれましたが 肉の代わりは さつま揚げでした たまに思い出すことがあります 万景峰号で 北朝鮮に連れて行く?アハハハ 今は 飽食の時代と言われております 私は別にそれをどうこう言うつもりはありません 今はそういう時代なのですから ただ 戦後 日本にも食べ物のない時代があった そういう時代があったことを 今の若い方々に知ってほしい まあ、 無理なことでしょうが 昨日の友は今日の敵という言葉もあります 一朝ことあらば 日本の食料自給率を考えるときに 誠に 惨憺たる事になる 私は心配するのです ですからコンビニなどでの 弁当の廃棄処分 なんともったいないことをするものか? 鯨の 話をしておられる? 私の若い頃は 居酒屋のマスターが 今日は良い尾の身が 入ったと 注文しなくても出してくれたものです 最近は 家内が スーパー2 クジラが ありますと 私が好きですから 買ってきますが パサパサしてまあまずい! 日本は脱退したようですがあれでいい! 日本の昔からの 食文化を 他の国に とやかく言われることはない お父上は 戦中派で いらっしゃる まあそうでしょうね あの「 焼夷弾」と 言うのは 恐ろしいものだったらしく 空から パラパラと音がしまして 着弾しますと 一面 炎に包まれて 焼け野原に なったそうです 私の父も 戦争には行ったようですが あまり 私に 戦争の記憶を語る事がありませんでしたが 自分は 連隊長の馬の轡を とった それを自慢げに話していましたが 現代の我々には わかりようもありませんが 名誉なことであったのかもしれません 上等兵で 終戦を迎えたとか言ってましたが isokenさんなら ご存知でしょう 勝新太郎と 田村高廣さんで「 兵隊やくざ」 田村高廣さんが古参兵 父は体格の良い方ではありませんでしたから おそらくらのような感じだったのでしょうか? さて最後に 今年も 楽しい話をさせていただきました どうぞ良い年をお迎えください 来る年が isokenさんは元より、 奥様、 ご両親に 良い年になりますように 願っております
お礼
kamejrou さん、おはようございます。 お礼が遅くなりました、申し訳ありません。 のっけから 余談ですが、新型株の増殖気配 他 、こうも 次から次へと出てきますと 気持ちが萎えてしまって、 旅行に出掛ける気にすらなりません、暇は売るほど有るし マイルは山ほど貯まっているのですが。 一方 kamejrou さんの東南アジアが、一体 いつの事になるのやらと考えますと、暗澹たる気持ちになります。 日本の寒い季節 ・・ タイ は今が 一番良いのですよ、空港に到着し ボーディング ブリッジ から漏れて来る、 モワっ とした熱帯の空気を 肌で感じるその瞬間が。 >サントリーの ホワイト 懐かしいですねえ 新歓コンパ に 合コン ・・ 学生時代の懐かしい記憶ですが、あの頃 パブに置かれた酒の主力は ホワイトでした、贅沢に慣れ 口が肥えてしまった今では 飲む気になりませんが。 >サントリーのダルマ、 ニッカのひげ >今でもすすきのの一等地に ネオンがありますが >それから リザーブに変わっていったようです >日本の経済成長と共に呑む ウィスキーも 変わってきました 本当にそうですね、かつて サントリー ・ オールド は 高級な部類に入ったでしょうか、 リザーブ もそうでしょう、今や気軽に買える 「 シルクハットのおじさん 」 が、海外土産の一番人気だった時代があったりしまして。 >私は小学生の頃の 学校給食であると思います >コッペパンと シチュー、 私の時代も コッペパン でした、その何年か後 ・・ 妹の時代に至り、給食に米飯が登場したようです。 >肉の代用品は秋刀魚でした サバと並び 安魚の代表選手でしたねぇ、子供の頃 どれだけ食べさせられた事か、あの サンマ ってやつは、ついでに言っちゃうと 実家に常備されていた 蒲焼の缶詰 。 サバ ・ サンマ ・・ 余りに登場機会が多いので 嫌な顔をしますと、お袋が 「 それなら 食べなくていい ! 」 と 激怒しまして、あの頃 恐らく 日本中の御家庭に在った、 丸美屋 の 「 のり玉ふりかけ 」 で 飯をかき込んだものです。 ところが 昨今は、 不漁に依り 価格高騰だとかで、時代を感じさせますね。 >ただ 戦後 日本にも食べ物のない時代があった >そういう時代があったことを 今の若い方々に知ってほしい まあ、 無理なことでしょうが 私が子供の頃、最早 飢えとは無縁の時代でしたから、余り大きな事は言えないのですが、それでも尚 クオリティ面を考えれば 長足の進歩だろうと思うのです、今とは比較になりませんね。 何せ 食料品・ 日用品が べらぼうに安い・・、本当に良い時代になりました、何だかんだ言って 日本は天国でしょう、世界との比較に於いて。 >最近は 家内が スーパー2 クジラが ありますと >私が好きですから 買ってきますが >パサパサしてまあまずい! 大人になり 食べてみて、あんなに 不味いとは 驚きでした。 >お父上は 戦中派で いらっしゃる 戦争の悲惨さ ・・ 食えない辛さを、 身を以って体験した訳ですから 無理も有りませんが、 「 日本は 戦争に負けて良かった 」 と言って憚らないほどの、徹底的な 反戦主義 ・ 平和主義者です、軍人で スパルタ教育だった 爺さんへの 反発も 恐らく込みで。 ただ そんな親父が戦争を語る口調は、必ずしも 暗いトーンばかりではないのです、思うに 悲惨な過去すら 美化する センチメンタル な習性 ・・ 、神が人間に与え賜うた 或る種 崇高な能力なのかも知れません。 最後になりますが、今年もまた 本当にお世話になりました、奥様共々 良い年をお迎え下さい。 回答ありがとうございました。
補足
kamejrou さん、こんにちは。 急に 拠所無い 用事が出来てしまいまして、 今から出掛けねばなりません。 お礼の方は 明日以降になります、御容赦下さい。
- cicibo
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私の父は病弱で、我が家は決して裕福ではありませんでした。 それでも、年に2回くらいはデパート最上階の食堂に連れて行って くれました。でも、注文してよいものは、「中華そば」だけ、つまりラーメンです。他のものは、注文してはいけません。 当時はラーメンと言えば、醤油ラーメンで、みそ味とか塩味なんて ありません。周りの家族は、子どもはお子様ランチと決まっていたのに、私の家族は4人全員で「ラーメン」です。 美味しいというよりも恥ずかしくて、同級生に目撃されないかと、急いで食べた記憶があります。 ですが、成人してからその食堂に行く機会があり、注文した「しょうゆラーメン」は深い味わいのスープで、とても美味しく、感動したことを覚えています。 かなり前に、その食堂は閉店してしまいましたが、もう一度食べたい地元の味のラーメンです。
お礼
cicibo さん、こんにちは。 >それでも、年に2回くらいはデパート最上階の食堂に連れて行ってくれました。 デパートの食堂 ・・ 嬉しかったですね、タクシーの初乗りが 80円 ぐらいの時代ですよ、よく母に連れて行ってもらってたのは。 今の テナント方式とは違い 直営店だったでしょうか、思い出すのは ウエイトレスのお姉ちゃんが、食券をもぎった半券を テーブルに置いて行った事です。 ところで cicibo さんの御年齢が分かりませんから、何とも言えませんが、少なくとも 私が子供の頃は、 裕福な家庭ってのは ほんの一握りで、 貧乏が当たり前の時代でした。 もっとも 最早 飢えるという段階ではありませんでしたが、食の クオリティ 全般は、現在とは比較にならないほど 低かった気がします、時代と言ってしまえば それまでですけど。 >かなり前に、その食堂は閉店してしまいましたが、もう一度食べたい地元の味のラーメンです。 美味いラーメン屋ってのは 宝物ではないでしょうか、ここ 2 ~ 30年 通い詰めたくなるラーメン屋に 出会った事が有りませんから・・、能書き垂れるラーメン屋ほど 逆に不味かったりしまして。 個人的な NO1 ラーメン は、その昔 地元商店街に在った 小汚い店構えの 東京風ラーメン・・、何でも 警視庁OBの親父さんが、定年退職後 奥さんと始めたとかで それは美味かった、懐かしさも込みで あれ以上のラーメンは その後もお目に掛かった事がないのです。 回答ありがとうございました、良い年をお迎え下さい。
- 投稿削除メガネ(@chacha0035)
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isoken先生、こんばんは。 私は小学生の頃に両親が離婚したため、母親に育てられました。 思春期の頃を思い返すと、母と喧嘩した記憶しかありません・・・ そんな母ちゃんが作ってくれた手料理で、今でも一番に思いだす料理が、「焼きうどん」です! 私を育てるために、昼の本業の他に、夜は水商売でバイトしてた母ちゃんが、時間が無い中ちゃちゃっと出勤前に作ってくれてた「焼きうどん」。 それを晩飯に一人寂しく食ってましたが、冷え切った焼きうどんはクソ不味でしたw 今でも「焼きうどん」は苦手な料理です。
お礼
chacha 師匠、こんにちは。 昔は 結構おられましたね、師匠のお母様のように ガッツがある女性が。 水商売だ何だって そんなの問題じゃない、女手一つで 子供を育てるってのは 大変な事ですよ、しかも 安易に行政に頼る事をせず・・となると、真に 尊敬に値すると思います。 ただ 紙切れ1枚で 赤の他人になっちゃう夫婦とは違い、親子は 未来永劫 親子ですから、 喧嘩は良いのではないでしょうか、もっとも 私の場合、母には 絶対服従ですが。 >今でも「焼きうどん」は苦手な料理です。 焼うどんの場合 仮に 「 チン 」 しても、 独特の ねっとり感 が 消えないかな ~ 、 ちょっと分かる気もします。 ところで 今年一年 大変お世話になりました、お母様を含めた 御家族の皆様と共に、是非 良い年をお迎え下さい。 回答ありがとうございました。
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お礼
lolipop-sapporo さん、こんにちは。 >小学生の頃に母と一緒に作った「トリュフ入りミートソースパスタ」ですね いや ~ ~ 豪勢なパスタですね、今時 そこいらの ビストロ で食べたら、目ん玉が 飛び出るぐらい 取られるのではないでしょうか、もっとも トリュフ なんて物は、 大人になって 初めて知りましたが。 >母も「ドイツ人に何を食べさせたらいいのか判らんわ」とか言っていましたが、まあ和食よりも洋食系がいいだろうと、とりあえずパスタでも食べさせようと思ったようです。 実際 何度か ドイツ で食事した際の 率直な感想ですが、世間の評価ってものは 概ね 正しいと思いましたね、彼等には 正常な味覚ってものがあるのだろうか ? ・・ って、全てが大味と言いますか。 その点は ゲルマン ・ ノルマン、 更には そこから派生した アングロ、 サクソン ・・ その全てに当て嵌まると感じます、依って アメリカ を含め 旧 イギリス植民地は ほぼ全て 飯が不味い、言っちゃ何ですが 北欧も似たり寄ったりですね、 オランダ もそうでしょうか。 >ちょうどその頃自宅の近くの地中にトリュフが自生しているのを発見していたので、私が「ミートソースにトリュフ入れたらいいんじゃない?」と言って、母と二人でトリュフにハーブ・スパイスを適当にミートソースにぶち込んで(笑)、「トリュフ入りミートソースパスタ」をそのドイツ人に食べさせたら、わざわざ鍋を見に来るくらい感動してくれたようです(笑・イタリアで食べたパスタより美味かったとか)。 割と 味覚が正常な ドイツ人だったのでしょうね、ところで トリュフ の自生という話に驚いて 検索を掛けましたら、我が国の広い範囲で 見られるとの事・・、全く 知りませんでした。 >学生時代によく飲みましたが、「レッド 」と「トリス」はいただけませんでしたね(笑)。「ホワイト」や「ハイ・ニッカ」はOKです。 トリス・バー や ニッカ・バー ってのも、繁華街にたくさん ありましたっけ。 学生時代は 専ら 安酒専門でありまして、 悪酔いなんて しょちゅうでした、例えば 高田馬場 で飲んで 山手線に乗り 帰宅する際 気持が悪くなり、 原宿 の反対ホームでゲロを吐き・・なんて 酷い経験もあるぐらいで。 その点 就職後 自前で飲めるようになった 高い酒は、 やはり 後に残らない気がします、もっとも 無茶飲みする事も 無くなりはしましたが。 さて 今年 1年 大変お世話になりました、良い年をお迎え下さい、回答ありがとうございます。