※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:暴力的な人が順応できやすい体制(学校)2)
暴力的な人が順応できやすい体制(学校)2
暴力的な人が順応できやすい体制(学校)
https://okwave.jp/qa/q9931939.htmlと云う事で質問させて戴きました。
そのご回答の中で、「強靭な精神を手にいれると同時に人間にはテストステロンやドーパミンなど「精神」だけではコントロールできない部分があります。よくオリンピックの問題では、選手村での「血の気」の強さとか、話題になりますよね。
それはオリンピック選手に限らず強豪校や、スポーツで学校にはいれたタイプの人が全てそうとは言わないけど、人って言うのは心を整えることはできても全ての煩悩や欲望を理で片付けられるほどではないのですよ。
特に昔の慣習に倣ったところはそうでしょう。
泣き言言っても殴られる、今だとSNSで匂わせするだけでもいたい目に遭ってるんじゃないでしょうか。
どこにもぶつけられない感情が後輩に、また後輩はそのしたの後輩に負のループを作ってるのです。」
「私の見解では普段、ストレスを溜め込んで、何もかもを溜飲して頑張ってる反動でそうなってしまったんじゃないかと思います。先程も申し上げた通り、力で教えられた人は力でねじ伏せることしかできない。腕っぷしを鍛えた人は何かあれば腕っぷしでねじ伏せる。頭が良い人なら、暴力以外での解決方法も考えられます。しかし、スポーツの世界は今は科学や理論など、理で考えることも多くなったが40-50年前はまだそんなものは無かったはず。
「悔しかったら(物理的に)強くなれ」と教えられた世代なのかなと思います。
考えてみても暴力は暴力しか生まないし、破壊は破壊しか生みませんよね。」
というご回答を戴きました。
オリンピック等私には考えられないくらい、メダルを取る為に精神を奮い立たせると云う事は頷ける話なのですが、やはり、「血の気の多さ」がコントロール出来ずに「暴力的な行為が横行している例」もあります。
もしかして、指導者の体罰(全てがそうだとは云えませんが)
暴力的な行為は「勝つ」という閉鎖的な処で、その様な感覚のみで
冷静さを見失うと起こるのかとも思えます。
そして、「強く成れ」「相談は受け付けない」等と云う事に成ると、
結局暴力に頼る事に成るのでしょうか?
1典型的な例が軍隊や戸塚ヨットスクールだと思います。
現在では厳しく成りましたが、昭和40年代位の体育教師や高校野球の強豪校の指導者も生徒を正すと云うよりも自身が喧嘩好きで、
呑むと暴れたり、意味のない暴力行為を働いていた人も居たそうです。(地元の力で表沙汰には成らなかったそうですが)
2 昭和40年位に智弁学園の野球部の監督だった山本集と云う人は
監督退任後、暴力団組員に成ったという経歴です、やはり、「血の気の長」「勝てばよいそれしかない」と云う事に成るのでしょうか?
3 全てがそうだとは云いませんが、体育教師も運動部顧問も
教育学部や文学部や法学部理学部工学部等の出身の教員はその様な人は少なく、体育学部出身の教員に上述のタイプが多く、
「健全さ」よりも「強さ」「勝つ」事にこだわっていた様な気がします。
「勿論強くなる事は大事だが、メンタルを傷つけて迄したくない」
と云う様な人は嫌われ、「勝てば全て」的な人がこの様な形で生徒に接し、「苛めや暴力」も「自分に従い、内に囲めば(表沙汰にしない)良い」位に思っている様でした。
4 「平穏な生活」は嫌で「意味はないけれど暴れてみたい」
「喧嘩をして支配をする」
と云う衝動の人が、上述の体育大学→自衛隊 警察官 体育教師
と云う流れに成り、その様な人間性(暴力行為)を発揮できるので、
犠牲者は出るが、犠牲者は弱いから悪いという事に成るのでしょうか?(戸塚宏校長の苛め肯定論もそうかと思います。)
そして、不祥事で警察を辞めると暴力団にと云う人も居るので、
気質的に「血の気の多い」人の受け皿として上述の組織の様な者があるのでしょうか?
ご回答お願い致します。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >その1滴多いか少ないかの違いが人間を英雄ナポレオンにしたり負け犬弱者にしたりするらしいです。 普段自分勝手で扱いずらい嫌な奴でも生きるか死ぬかの大災害のような危機的状況になった時、決断ができて一番頼りになるのはこういう人だったりするものです。 戦国時代であればこういう人が生き残って軟弱な人は生きられない。 時代の社会背景ってあると思います。 危機的状況や戦国時代などは頷ける話です。 (横暴で問題はあっても強靭な肉体で迅速に動けるなど) スポーツの世界もその様な人がチームで結果を出せば 「勝てば官軍」的な者で許されてきた処はあったのだと思います。(が行き過ぎて解雇された日本ハムの中田翔氏の例もありますが)
補足
ご回答ありがとうございました。 >普段自分勝手で扱いずらい嫌な奴でも生きるか死ぬかの大災害のような危機的状況になった時、決断ができて一番頼りになるのはこういう人だったりするものです。 戦国時代であればこういう人が生き残って軟弱な人は生きられない。 時代の社会背景ってあると思います。 戦後(昭和20年代)私の地域でも中国韓国人が暴動を起こした時、収めてくれたのが地元の暴力団だったと云う話を聞いた事があります。それに似ているのだと思います。 だから、校内暴力が盛んな時に、その鎮圧にその様な教員が配置されたという事だと思います。