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他人の眼を気にしないと、「無視」も悩まない?
- 他人の評価や気にすることなく、自分の考えや行動を大切にする生き方をすることは可能なのか疑問に思います。学校や職場、家族などでの人間関係や意思疎通の悩みは、社会生活において避けることのできない問題です。しかし、他人の目を気にせず、自分に正直に生きることでストレスを減らすことができるのか、またそれは幸福な生活を送るための条件なのか疑問があります。
- 一方、他人の目を気にせず生きることによって、自己実現や自己成長を追求することができるかもしれません。他人の評価に左右されず、自分のやりたいことや夢に向かって進むことができるのです。しかし、他人との関係が薄くなることによって寂しさや孤独感を感じることもあるかもしれません。
- このように、他人の眼を気にすることなく生きることは一つの選択肢ではありますが、その結果には賛否があります。自分自身の幸福や人間関係の構築、社会的な評価を考える上で、他人の眼を気にすることは無視できない要素であることも事実です。どのような生き方が自分自身にとって幸福なのか、その答えを見つけるためにも、他人の眼を気にすることも必要なのかもしれません。
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>無視されても平気」「他人にどう思われても良い 想像でしかありませんが、何を人生に大切にするかで人を区分けするのではないでしょうか。ある人には無視されても結構、でも肝心な人は抑えると言う具合です。人間社会で生きれば、すべての人に無視されるはずはありません。様々な利害関係、金、権力などが絡むからです。それは特定の、その人にとっていらない人限定と思います。 例えばその女性にとってはお金が一番で不義理は問題にはならないのでしょう。お金にマイナスだから先祖祀りもしないのです。ご先祖や人間関係を重んじる人には信じられないでしょうが、そういう人もいておかしくありません。彼女が傷つくとすれば、それは人からの無視ではなく、お金からの無視です。お金があるうちは社会で孤立はしないのも事実です。繁栄は良きも悪きも呼び寄せます。生きるうちに何らかの経験が加わり、その彼女はその態度を貫く事にしたのではないでしょうか。
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- yaasan
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他人と触れると必ず傷がつく、と考えるのが一番いいかと思います。 そして、その傷が気になるか、気にならないか。気になるから治そうと思うと悩む、ということかと思います。そして、そこには相手もいて、相手がどう考えるか、ということも考えると余計に悩むのだと。 気にならない上に相手のことを考えない人もいるということだと。
お礼
ご回答ありがとうございました。 》他人と触れると必ず傷がつく、と考えるのが一番いいかと思います。 そして、その傷が気になるか、気にならないか。気になるから治そうと思うと悩む、ということかと思います。そして、そこには相手もいて、相手がどう考えるか、ということも考えると余計に悩むのだと。 多分多くの人は、他人との兼ね合いに悩んでいるのだと思います。そこで違いを認めて円滑に事を進めて行くと云う事が理想だが、それが出来ないから悩むと云う事に成るのだと思います。 》気にならない上に相手のことを考えない人もいるということだと。 その様な事が煩わしいと思うと上述の彼女の様な選択をされるのかとも思います。
- Granpa1969
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簡単に言えば、何を「楽にしたいか」の違いでしょう。 文章中に登場する方は、「コミュニケーションを減らして頭を使わずに済む」を徹底して選んだ結果の生き方で、知らないうちに人望で大損しています。 私が思うに、「八方美人」と「唯我独尊」の間で自分に合ったバランスを早いところ見つけられた人が悩まず生きていけるということだと思っています。
お礼
ご回答ありがとうございました。 》「コミュニケーションを減らして頭を使わずに済む」を徹底して選んだ結果の生き方で、知らないうちに人望で大損しています。 確かにそうだと思いますが、人望が無く離れられても、 金銭でやり取りし、「迷惑かけません」で多分通せ、 「法律に触れていないからOK」と云う事で通せているのかとも思えます。 》私が思うに、「八方美人」と「唯我独尊」の間で自分に合ったバランスを早いところ見つけられた人が悩まず生きていけるということだと思っています。 合わせる処(八方美人) 譲れない処(唯我独尊)の兼ね合いが大事だと思うのです、前述の人は「唯我独尊」が強いのだと思います。
- ao5k080126
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無視されても平気他人にどう思われても良い 発明者 創始者はその様な人が多いですよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。 》発明者 創始者はその様な人が多いですよ。 自分の信念があるので、当初は批判も有ったが、 「これが大切だ」と思い、その道を突き進んだ、 エジソンや豊田佐吉等はそうだと思います。 が、「自分の思う道を突き進む」から「人付き合いは嫌」 「義理を果たさない」と云うのとは少し違うと思います。 彼女は彼女なりの信念(生活設計)はあってそれはそれで良いのですが、主人の親族や仕事関係の人を「関係ない」と全拒否しているのですが、これも「信念」なのでしょうか?
補足
ご回答ありがとうございました。 ≫何を人生に大切にするかで人を区分けするのではないでしょうか。 ≫様々な利害関係、金、権力などが絡むからです。それは特定の、その人にとっていらない人限定と思います。 確かに言われてみればそうかと思います。 利害があると絡む事はそうですが、私等それが無くなり 疎遠に成っても、露骨に関係を切る事はしませんが、 自分にとっての利害や権力 金と云うものの時にだけ 関係を持ち、それが無くなると切り捨てて行くという 典型的なタイプでそれを露骨に表しているのかとも 思えます。 ≫例えばその女性にとってはお金が一番で不義理は問題にはならないのでしょう。お金にマイナスだから先祖祀りもしないのです。ご先祖や人間関係を重んじる人には信じられないでしょうが、そういう人もいておかしくありません。彼女が傷つくとすれば、それは人からの無視ではなく、お金からの無視です。お金があるうちは社会で孤立はしないのも事実です。繁栄は良きも悪きも呼び寄せます。生きるうちに何らかの経験が加わり、その彼女はその態度を貫く事にしたのではないでしょうか。 多分、金に成る事だと近づいて、それ以外の事は無視されても平気と思っているのかとも思えます。