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障碍者への経済的優遇はなぜ起こるのか
- 障碍者への経済的優遇がなされる理由について考えてみましょう。
- 障碍者への経済的優遇には問題点も存在しますが、老人や子供とは異なる視点で考える必要があります。
- 障碍者の真の支援は、健常者と同等の待遇を受けることではないでしょうか。そのためには社会全体が理解を深める必要があります。
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無能な健常者ですか。 どこをもって無能とするのかは分かりませんが、教師の決めつけなのか? 自分で無能と思うのか、それとも親に言われてなのかで違ってきます。 確かに仕事であったり、趣味であったりの差ははっきりでます。 私の趣味だった鮎釣りもトーナメントに出る人、出られない人でも差が ありましたし、そのトーナメントでも上位に行ける人、行けない人で も差がでます。 でも、それを言うのは良くありません。 無能と言われる人の中には、口先でごまかしたり、できるような振 る舞いをして有能に見せることをする人もいます。 私の親も弟もそうでしたから良く分かりますが、正体がバレた時の 悲惨さは目を覆うことがありましたね。 人間は、限界があってそこで納得するのも理性の一部です。 私は、成人する前からクローン病と言う難病に冒されていて、何度も 入院してはなんとか生き延びてきました。 もう二度と川に入っての鮎釣りはできませんし、川の流れが恐ろしく なってしまいました。 よくニュースで川に流されて溺死する事故が報道されています。 鮎釣り師も川は熟知しているのですが、それでも流されて死んでしま った人は大勢います。 もしも、鮎釣りの際に体の具合が悪くなって、足を滑らせて流された らと思うとゾッとします。 ですから、人間引き際が大事だと思って止めました。 やはり、今を大事に生きることが大切なことだと思いますよ。
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そもそも何をもって障害の有無を判断するかにもよります。手帳を持ってれば全員が障がい者なのか。優遇されるべき立場なのか。そうじゃない、普通に社会生活を送ってる人でも実は障害があったということも少なくない。大人の発達障害と言う本が最近売れてます。自覚がないけど障がい者だったってこともよくあります。 人間は完璧じゃないし、誰かがどこか欠けていて、それを補いあって生きてるんです。 パワハラする人は前頭葉に問題があったりするのです。だけど、障がい者の扱いは受けていない。 高血圧もいるし、糖尿病もいる。けどみんな、仕事をして苦労を押して頑張ってるんだと思えば感謝がわき出てきます。あなたの言う健常者ってなんですか?なにもない人って世の中にいますか? 重度軽度など関係なく。人はささえあって励まし合って生きていくべきではないのでしょうか? 人によって感性も違う、同じ障害を持ってもその人の許容範囲は違う「これくらいで大したこと無い」という人もいれば「とてもつらい」と思う人もいる。平等に受け入れられるべきなのですよ。 寄り添えない人ほどなにか人として大切なのが欠如してるサイコパスなのかもしれない。 しかしながら、こういう人様の事情や感情を考えず、一定の型にはめ、「こういう型に合わない人」=障がい者にしちゃう人って何て言うか多様性の時代においてけぼりにされてしまった人なのかなとも思います。 いずれ事故に遭って下半身不随や、寝たきりになっても俺は政府のお世話にはならないというのなら勝手にすればいいと思います。 私も完璧な人間ではないので、いつどうなるかはわかりませんので人には、優しくしていたいと思います。 所詮人なんていたい思いして地獄を味わないと わからないことってあるんですよ。
- kon555
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>>社会保障があるからつけあがる どちらかというと、健常者に対して「万が一の時には保障があるよ」という安心感を与えるのが各種社会保障の目的です。 人は誰でも病気やケガが身体が不自由になる可能性があります。あるいは自分の子供が障害を持って生まれてくる可能性もあります。 仮に社会保障がゼロだと、そうした事態には個々人がそれぞれで備える必要が出てきます。備え=貯蓄です。 そんな事になると経済的に大ブレーキですから、それを避けるための社会保障です(実利的な側面だけに注視すると、です)。 >>無能な社会人は誰も助けてくれない こういう人も、仮にどうしようもない経済状態になれば生活保護が受けられますね。
- kzr260v2
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弱い立場の人を助けるという考えが、人間が絶滅せず生き残り発展できた理由と考えられるからです。 特殊な訓練がされたとしても、はだかで山の中に放置されたら、(短期間なら別ですが)長期間人間が生存できたら奇跡となるようです。 普段の生活には他人が作成した品物やサービスがあふれています。それら無くして生きられません。さらには、それらは少なくとも何千年にも渡る先人たちの知恵や工夫が積み重なっています。人数にしたら、ほんとうに膨大になるはずです。膨大な人数の助けがあって生きられている、と考えることができます。 そして人間は脆いので、ちょっとしたことで障害者になりえてしまいます。例えば脳です。この臓器は大変柔らかいので、ころんだだけでも甚大な損傷を負うことがあります。その影響は一生回復しなかったり、回復まで数年単位必要とする場合もあります。 今、爆発的な感染拡大している新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、発症した人の中に、まさに脳に後遺症が残っている事例が確認されています。障害は身近です。 そして私が心配するのは、「一時的に意思疎通できない人」と「恒常的に意思疎通できない人」をどのような基準で判断するかです。悪意ある人が、始末したい人になんらかの薬物を使用し意思疎通できなくしたら、処分できてしまうことができてしまいます。これは大変恐ろしいことですが、間違いなく起こります。 ※ 経済的にも障害者に国がお金を使うことは良いことです。今の日本は緊縮財政や財政健全化に先進国中唯一とらわれています。英国などは同じものにとらわれていましたが、経済停滞など経験し今は真逆です。そもそも今の「お金」は地下資源や農作物と関連しないものです。実体はありません。そして税金は国の財源ではありません。よく国民の声で「私たちの税金を無駄遣いするな!」というものがありますが、これは間違いです。実体なく発行されたものを国に返しただけなのです。今の税は、インフレしたら増税してデフレ化させ、デフレしたら減税してインフレ化させるといった、経済の調整弁のような役割です。 海外の他の国では、弱い立場の人にお金をまわすことは、国全体の経済効果があるとされ、率先されているようです。 今回のことは、「日本の政治家は伝統的に国民のことを考えない」ことと「私たちの税金を無駄遣いするな」てきな考えなどが複合した結果だと思います。つまり「今の日本では今回のような考えが生まれても仕方ない」という状態です。 ※ 日本は、この30年間、緊縮財政と財政健全化にとらわれましたので、普通なら自然と上がる平均収入が横ばいか、下がっています。保育園も保健所も医療設備も削減され続けています。COVID-19患者向けのベッドが足りなくなったのは、国の30年に渡る医療削減の結果です。すぐに改善できる訳はないです。また国はCOVID-19患者向けベッドを増やせとは言いますが、医療全体でのベッド数を増やしてよいとするような対策はしていません。残念ですが、いまでも削減する方向のままです。 すみません。この状況を改善できるアイデアは、まだ浮かびません。 以上、参考にならなかったらごめんなさい。
- taikobowmeido20
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パラリンピックがすぐに開催されますが、よーく彼らを見てみなさい。 いずれも、名も無きアスリートです。 彼らのように努力を重ねている人は横柄にはなりません。 そんな暇は彼らには無いからです。 IOCがパラリンピックを開催したのは、戦後間もなくの東京オリン ピック、パラリンピックです。 それは、戦前のドイツがオリンピックを開催していた裏で障害者を ガス室で殺していた。という事実。 ナチスドイツが殺したのはユダヤ人ばかりではありません。 障害者も同様にたくさん殺されました。 その反省も込めてパラリンピックがあると思いますよ。 あなたの思想に、どうな理想がありますか? 障害者を家に閉じ込めて、税金を無駄遣いする官僚がお望みですか? 官僚の中にはそれを恥だと思って家に閉じ込める人もいるのです。 昨年の元高級官僚の息子殺害事件もそれの成れの果てです。 もしも、あなたの言われる通りの社会になったら、相模原障害者施設 襲撃事件の犯人は英雄になってしまいます。 ご一考をお願いします。
- nihonsumire
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私も福祉を学ぶまでは、少し自問自答したことがあります。考えるポイントは、まず好んで障がい者になっていないということです。次に、何かを手助けすると不自由のない生活を送れる可能性があることです。そして、最も大切なことは、弱者に対する配慮の気持ちではないでしょうか。
>俺様は障碍者様だぞ! 確かにこういう輩は存在します。 しかしごく一部です。 弱きを助ける社会機構でなければ世の中もっと 殺伐として健常者も結局暮らしにくい世の中になると 思いますよ。 そこら辺に死体があるような途上国のようにモラルが 崩壊するかもしれない。
補足
私はなにも障碍者の地位や待遇を貶めたいわけではありません。 無能な健常者は身体や脳こそ悪くないのになぜ同障碍者と同様に保護されないのか、というところが一番問いたいところです。 身体や心が健康であれば働けるはずだ、というのは押し付けです。 手のない障碍者が腕相撲ができないのと同じように、無能な健常者だってできないことがあるんです。 なぜ無能な健常者は守られないのですか?