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手を合わせるのはなぜ?
神社仏閣においてとか、仏事の場においては通常手を合わせると思いますが、なぜそうするのですか? お聞きしたいのは、そうするようになった由縁についてではなく、とにかく “なぜそうするか” についてです。 由縁であれば、屁理屈含めて何とでも言えますから、それをお聞きしてはいません。
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- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
1。神社仏閣においてとか、仏事の場においては通常手を合わせると思いますが、なぜそうするのですか? インドのサンスクリット語: अञ्जलि, Añjali(アンジャリ、僕の梵語の先生はプランジャリ”アンジャリをして”と言う意味でしょう、とも言っていました)の漢訳です。 仏教と一緒に渡来した習慣ですから「神社仏閣」ではなく、仏教だけの仕草です。 2。お聞きしたいのは、そうするようになった由縁についてではなく、とにかく “なぜそうするか” についてです。 なぜ、はそう言う人々の理解によります。 例えばヒンズー教のナマステ、では挨拶、タイでは、「こんにちは」と日常的な挨拶、ですが仏教の僧侶の間では、礼拝の仕草で、相手に対する尊敬を意味します。 元々は相手に対する尊敬をあらわす合掌も、「挨拶」から、仏像に対する「礼拝」、さらに金貸してくれ頼むと言う「願い」など、使い方もいろいろです。 ただ合掌にも両方の手のひらをぴったり合わせる、手と手の間を開ける、両手の指を組み合わせて曲げる、などの種類があり、それぞれ名前がついています。 近くにチベットの人が住んでいますが、僧服の人や、在家の年配の人は、お互いに合掌し、僕も合掌をすると合掌を返してくれ、お互い無言ですが、何か心の通う暖かさを感じます。
- FattyBear
- ベストアンサー率33% (1535/4633)
この様な3つの説明をみつけました。 https://www.kongouin.com/4542/ http://www.rinnou.net/cont_04/rengo/2005-06.html https://www.konayuki-jodo.com/2020/08/20/1649/ それぞれに共通する部分があるのが興味深いですね。 私は、どれも屁理屈だとは思われません。 あなたはどう思われますか?
- q4330
- ベストアンサー率27% (768/2786)
http://www.kongosanmaiin.or.jp/preach/2011/29.html ここに詳しく書かれてますが、 合掌はその人の心を清浄なものとし、色々な動きをする両手を合わせて胸の前、または顔の前で合わせるのは人間が行う行為を投げ打って、神仏に帰依してすべてを任せるというという無我の心を現わすものです
補足
示して頂いたサイトを読むと、手を合わせることによる効果についての説明は書かれていますが、 私の“なぜ手を合わせるのか”については、結局説明しておられないように思うのですが…? つまり手を合わせることの意味の説明は、よく目にし、耳にもします。しかし、なぜそうするのか?そうでなくても大して問題は無いのではないか?と思う訳です。 左手が不浄というのも、“なぜそうなのか?”についての分かる理由が探せません。 ちょっとずれますが、防具で左胸をカバーしますが、これは心臓があるからですよね。解り易いと思う訳です。 こんな次元での説明をしてほしいと思っている訳です。
お礼
相手(人でも神でも)に対する意思表示であるという捉え方であれば、よく分かります。 ところが仏事などで、手を合わせるのが「当たり前だろう!」と言わんばかりの指導を受けた(主に親から)ので、なぜだろう?と思う訳です。 相手(人でも神でも)に対する意思表示ということであれば、他の方々がおっしゃっていることも変だとは思いません。 納得したような気分です。 ありがとうございました。