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人生の短さを感じる
- 人生は短いと感じる
- 残された時間は限られている
- やり残したことはほとんどない
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質問者が選んだベストアンサー
お互い、ぼちぼち頑張りましょう。やり残したことが無いなら 後は、おまけの人生です。おまけで誰かの役に立つことが1つでも 出来て、生きていて欲しいと思ってくれる人が居るのは幸せなことです。
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- qwe2010
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永くいきすぎると、しんどいようですね。 私にとって、人生は、丁度よい長さです。 自分がしなければならないことは、ほぼ終わっています。 毎日、やりたいことを探して、自由に飛び回っています。 目標は、楽しく生きる事。 運が悪ければ、苦しむこともあるでしょう。
お礼
ありがとうございます。 ご回答者様も楽しまれてください。 人生は一度きりです。 わたしは楽しみ過ぎました。
拙宅父の場合は、側から見ていて、苦しみを超えた、仏教でいう悟りの境地、究極の安らぎみたいなものをかんじました。 痛みの苦しみは終末医療医師と相談してペインコントロールをしておりましたので、一定以上痛くはならなくできました。 自分が失われる、生存への欲求や執着を手放す精神的な苦しみは、他の方のネット記事にある「死の受容5段階」に似ておりまして、否認と孤立、怒り、取引、抑うつ、受容というステップがあり、まさにその通りであるなと思いました。 この五段階の最終ステップの受容は、冒頭述べたような仏教でいう涅槃、あらゆる欲、執着からの解放のようには見えましで、傍からは、一方では究極の諦めと絶望、一方では究極の欲と執着からの解放で幸せなようには見えました。 苦しみだけではなく、その先の執着からの解放と自由があると思いました。
お礼
どうもありがとうございます。 生老病死の苦しみの死にはそうした段階があるとは知らなかったです。 あまりの浅学に恥ずかしくなりました。 先をいく人を見てきましたが心の中は読めてなかったです。 まだまだなんだと思いました。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15945)
何歳の方か判りませんが、母や母の友達は80歳を超えてる方が ほとんどで、楽しんでますよ。 70を過ぎてからの友達関係です。 何か楽しいことでも見つけられたり、されたら、どうでしょう? まだ、どこで、どんな、御縁が有るか判りませんよ。 あなたと出会うことで、良い未来が開ける方も、いらっしゃるかもしれません。 ほんの小さなことでも人の為、社会の為に何か、しませんか? 私も持病が有り、医師から、いつ死んでも、おかしくないと言われてますが 母が生きてるうちは死ねませんが、思い残すことは有りませんが 困ってる方が目の前にいれば、声を掛けて「大丈夫ですか?手伝いましょうか?」 と言うことにしています。 何か一つでも自分と出会うことで良かったなって思ってもらえれば (思ってもらえなくても、まぁ、いいんですけども)それも自分が生きて来た 証というか(そんな大げさな物じゃないんでしょうが)役に立って良かったなと 思って日々、過ごしてます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 わたしも持病があります。 世の中の為に人の為に生きる事も生き甲斐です。 出来ないながらもやってました。 まだまだだと思いたいです。 ただ世の中のお荷物になってるので悔しさあります。 生きていなければ悲しむ人がいます。
お礼
どうもありがとうございます。 実は医療がなければとうの昔に危うかった人間です。 おまけの人生長いです。 医者は神かと思いました。 これからも医療機関やその他にお世話になっていかなければなりません。 その分何某かの世の中の為になる事をしようと思い言動してました。 人生は舞台です。演じます。