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お金より信用だと思って生きてきましたが。実は逆で、
お金より信用だと思って生きてきましたが。実は逆で、信用よりお金なのでしょうか? 自分の経験ですが信用ほど疑わしいものはありません。少し何かあると人は離れていき助けてなんてくれません。 信用なんて向こうの都合にしか見えない時もありましたし。 信用よりもお金の方が本当に困った時に一番助けてくれますし。 極端な話、火事にあっても信用では住む場所も食事も確保できませんし。親戚の家に避難しても一週間もしたら出ていかないと親戚付き合いにもヒビが入りますし。 信用よりもお金です。
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私は父から、「信用さえあれば、××銀行○○支店の金庫の中の金は俺のものと同じだ。信用は大切だ」と教えられて育ちました。 父は信用を作るために、毎朝、銀行から営業資金を借りて、夕方にはそれを上回る資金を返済するというめんどくさい作業を何年もやり、一定の評価を得るようになっても、自分の信用を確かめるため、1年に1・2度限界まで借りて、数日後に返済するということをやったそうです。めんどくさいし、利息は取られたので損だったと言ってました。 質問者さんは信用を得るために何をして来られたのでしょうか? 信用を得るために一生懸命なにかをやってこられたのだとすれば、質問者さんは、「信用」の理解を間違えたんだと思います。 質問者さんのおっしゃる「信用」とは、「あの人は絶対に浮気をしない」なんていう、経済とは関係ナイ事項についての「評価」をおっしゃっているのでしょうが、 法律でいう信用(例えば「信用毀損罪」の信用)とは「現在の(正当な)給付に対して、将来必ず(妥当な)反対給付が行われる」という信頼、端的に言えば「相応の商品に対して相応の代金を払ってもらえる」という評価・確信です。 「あの人は粗悪品を高く売っている」というような評価を流すことは「信用」に対する罪ですが、「浮気をしない人」という評価に対する毀損は、「信用」毀損ではなく「名誉」毀損のほうになります。 > 少し何かあると人は離れていき助けてなんてくれません。 今する「援助」に対して、将来必ず代金的なものを払ってもらえる(相応のお返しがある)という確信を、質問者さんが皆さんに与えていなかった、ということなのです。 不快でしょうが、言い方を替えれば、お金も信用も大切だと「思わず」に生きてこられたのではないか、と思います。 助けてくれない親戚や友達が悪いのではなく、方向違いの努力をして満足してきた(あるいは何もしてこなかった)質問者さんの失敗なのです。 > 信用よりもお金です。 質問者さんの今後のために、あえて、あえて言いますが、「お金を産まない信用は、(ホンモノの)信用ではありません」。