時制の表現とその意味について(名詞編)
こんにちは。taked4700 です。
今回の英語文法の説明方法についての投稿も5回目になりました。今回は。「時制の表現とその意味について」の名詞編ですが、自分の考え方のある意味、核心になり、今までの説明を統合するものでもあります。
この考え方が正しいか、または、これと同じような考え方が、以前、誰かによって言われていたか、それを知りたいと思います。
時制を表現すると言うことは、動きがあると言う意味だと思います。つまり、「時間よ止まれ」というとき、実際に止まると感じるのは動作、動きが止まるわけです。言語において「動き」とは意識の焦点が動くことに他ならないと思います。
まず、動きが無いものの典型は名詞です。だからこそ、名詞に時制表現は無いわけです。文からそれを句にする時に、もし元の文がbe動詞のない文ならbe動詞のある文に変形して、そこからbe動詞を取り去ると句になると言う説明を自分はずっとしてきましたが、この操作の本質は文にある時制表現を取り去るということにあるわけです。
名詞に対する前置修飾か後置修飾かも、こうした時制意識が大きく作用しています。前置修飾は意識の動きが無いのです。より具体的に言えば、視点の移動が無い。焦点が対象に当たったままで言えるのが前置修飾です。a dancing girl は、「踊り子」の意味だけではなく、「踊っている少女」が実際に見えていれば、または、そのように意識できれば、問題なく使える表現です。つまり、a girl を見ているだけでdancing の状態だということが分かれば前置になるわけです。
前置修飾の典型は、冠詞であり、a,the などは、正に対象物がちゃんと完全に視界に捕らえられていないと言えない事です。つまり、一つか二つかなど、対象物が決まらないと判断できません。
位置情報を示すbelow とか、displayed などは名詞に後置されますが、始点が動かざるを得ないからです。つまり、位置情報は対象の名詞そのものだけを見ても分からないからです。
同様に、imaginable など-ableで終わる形容詞は後置されるとされますが、これも、「創造出来る」などの意味は、「今無いもの」、「新しく作られるもの」と言う意味になり、そのものが最初は無いのですから、前置修飾するわけに行かないのです。
また、a guitar-playing student などの「-」を使った前置修飾は、そういった意識の中での一体化を表現しています。
視覚的な一体化と前置修飾か後置修飾かの判断については、
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2119239.html
の補足の部分に述べてあります。
ヨーロッパの言語の多くで、主観的な修飾語は前置になると言われていますが、これも、主観的な形容詞は意識の中で対象と一体化できると捕らえているからではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 いろいろ探したんですけど結局 「はじけてる」「やんちゃしてる」っていう意見が 多いみたいですね。 「hatch a quet」(不可能なことに尽力する意) から来ているなんて意見もありましたし、 茨城の方言で「はっちゃぎ」というのがあってそこから なんていうのもありました。 あと、奇声を発する様子とか。 無理やりまとめると楽しくて仕方ない様子 ってことですかね。 みなさんありがとうございました。