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来月が誕生日 未来への気持ちと時間のスピードの関係
来月が誕生日って人いる?まぁザックリと言えば 日本人の12人に1人は来月が誕生日なんですけどね 誕生日って楽しみですよね。何しろ1年に1回しか来ないから でもね、待ち遠しい日があった場合、途中の時間が面倒に なり、出来れば省略したい気持ちにもなる 自分の時間は自分のものなので 省略したい気持ちが強ければ、自ずとその時間は早く進む つまりは自分の限りある人生を一部放棄していると言える 自分の誕生日という個人的な行事と自分の人生時間を うまく振り分ける方法があれば回答よろ https://www.youtube.com/watch?v=REcBXyBvlzk
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…ナルホド。 「放棄」 …つまり「無駄に捨てる」という事かな。 「自分の時間」 …過ぎた時間は「二度と手に入らない」。 誕生日は「待たずとも必ず来る」。 ならば、単に「誕生日を待つ」だけの行為には意味が伴わない。 「楽しみに待つ」 つまり「待つ」という行為そのものを「楽しむ」という「時間の消費」なら、 「楽しむ」という行為自体に意味は成り立つ。 或いは、「待つ」という行為を有意義に楽しむことが不可能な状況だとしても、 自分だけに与えられた(一度棄てたら二度と手に入らない)時間を無駄に浪費するのは、 …さすがに勿体ない。 「無駄に浪費」するくらいなら、 常日頃から時間を要すると感じている「別の用途」に使う事を考えたほうが、 自分にとって「限られた時間」の有効活用に繋がるのではないだろうか。 人生の中で自分の思いどおりに使えるほど「丸ごと自由」な時間なんてのは、そうそう有るものではないと考えるが。 要は考え方、捉え方なんだろうと思うが、 …如何かな?
お礼
ご回答ありがとうございます 誕生日だけに限らず、いろいろと楽しみな行事はありますが それだけを 「早く来い早く来い」と願ってしまうと、間の時間をおろそかにしがちになりますよね おっしゃるように、その間の経過も楽しむ心って大事です でも 「誕生日が来るの、いやや~」って気持ちになる人は、もう年なんで 日々の暮らしの充実に専念できます あえて言えば(誕生日が来るのを恐れる)それくらいの 歳を経て、ようやく人生のスタート地点なのかな~ 知らんけど・・・