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じぶんがわからない

今年から大学一年生の18歳、女です。自粛期間で自分と向き合う時間が増えたからかもしれませんが、今更自分のことがよくわからなくなってしまいました。主に自分の性的指向のことです。まずそもそも人を好きになったことがありません。好きかもと思った男性は過去に一人いましたが、すぐにただの憧れだったと気づきました。ちょうどわたしの周囲で恋愛のことで浮き足立っていた雰囲気があったので、それに引っ張られていたようです。ただどうしても恋人という存在に興味があったので、本当に最低なことをしましたが、自分に好意を抱いてくれた男性と一度だけ付き合いました。ただデートの時もLINEで話をしているときもなんだが気持ち悪くて遠くから彼氏のいる自分を見ているような、なんだかふわふわした気分でした。その人のことが嫌いなわけではないのですけど、男の人と付き合っている自分が気持ち悪かったです。それから自分の好きになる人は女性なんじゃないかと思うようになりました。加えて可愛い女の子に対してかなり心がときめいたり、ふとした仕草にどきっとする時がありました。男子のようにかっこよくエスコートしてみたいと思うとかがあります。ただここでややこしいのはわたしが高校一年生の時に男子からSNSでいじめを受けていたのでただ単にその経験からの嫌悪感を男性に対して抱いているだけかもしれないという点です。もしかしたらこのトラウマで男性に対して抱いた怖さを理由に自分の性的指向を都合の良い方向に無意識に変えてるんじゃないか、と考えてしまいます。 結局は自分の好きになった人が女が男か、という話で誰かを好きになるまで解決しない話だというのも自分でわかっています。しかし18歳にもなって未だに自分の性的指向がわからないのは怖いのです。このまま一生自分の性的指向がわからないままなので、人を愛したり愛されたりせず人生が終わってしまうのではないかと思ってしまいます。この気持ちはどうすればいいんでしょうか。

みんなの回答

noname#263248
noname#263248
回答No.4

まともな恋愛をしていないのですから性的指向など分かるわけありません 焦らなくて良いので素敵な出会いが来る日まで耐えましょう まだ恋愛のステージにも立っていないのです 今は自分磨きをしているだけでいいのです

  • kappa1zoku
  • ベストアンサー率29% (334/1137)
回答No.3

あなたは18歳にもなって自分が分からないと書いていますが、自分という人間を分かるという事はそんなに容易いことではないと、シニア世代のおじさんは考えています。 中国の古い文献『論語』では、不惑(ふわく)といって、四十歳になってようやく人生に迷わなくなるのがいいのだと語っています。 昔の四十歳ですから、もう老人に近い年齢です。人生五十年と言われた時代です。 性的嗜好というのも、難しい問題で人間は動物であるとともに、理性というものを持ってしまった頭でっかちの奇妙な生物なんです。 同性であってもこんな人になりたいとか、可愛いと思う気持ちは自然なことで、それを性的嗜好に直結するのは早とちりというものです。 瀬戸内寂聴という作家出身のお坊さんは(20歳で結婚をしたが、子どもを作ったあと旦那の後輩と不倫し、娘を家において飛び出した。その後、作家になり、50歳で出家した方です)、恋愛は雷に打たれるようなもので、不倫であろうがそれは逃れられないと語っています。つまり、あなたはまだまだ雷に打たれるような状況に一度もなっていないということです。一方、日本では、相手も分からないまま親の勧めでお見合いですぐに結婚をするということが一般的な時代がありました。それはそれで、なんとなく上手くいっていたのです。 自分とは何か? ちょっと、難しい話をします。インドの民話らしいのですが、「鬼に身体を食われた男の話です」。 男は旅人です。疲れてきたので、今宵の宿を探していた時に、ドンドンと大きな地響きのような音が森から聞こえてきます。音の方をよ~く見ると、なんと!森のむこうから死体を担いでこちらに向かってくる鬼が見えます。 男は驚き急いで、近くの納屋へと逃げます。すると、死体を担いでいた鬼もその納屋へと来るのです。 死体をドサッと置いた、その後に別な鬼も駆け込んできます。 二人の鬼は、その死体は俺の物だ、いや俺の物だと殴り合いのケンカをする勢いです。 後からきた鬼は、納屋の隅で震えている旅人を見つけ、どちらの言い分が正しいかとききます。 旅人はぶるぶる身体を震わせながら、どっちみち鬼に見つかったのだから助かりっこないと観念し、その死体は先に納屋に入ってきた鬼のものだと言います。 すると、その言葉に怒った鬼は、旅人の右腕をもぎ取ります。それをみた先に入った鬼は、死体から腕をもいで旅人の右腕にくっつけます。今度は旅人の左の腕がもぎ取られます。すると、また死体の左腕がくっつけられます。 そうこうしているうちに、旅人の身体は死体と全部入れ替わってしまったのです。 二人の鬼たちは、旅人からもいだ身体を仲良くたべて、納屋から出ていきました。 のこされた旅人は自分の身に起きた出来事に気も狂わんばかりです。急いで納屋を飛び出し、近くのお寺に駆け込みます。そして、お坊さんの今しがた自分の身に起きた出来事を話すのです。 「自分の身体は死体と入れ替わり、すべて食べられてしまった。今ある自分の身体はいったいなんなのか」 お坊さんはこう旅人に言います。 「それは<我>というものに執着しているからだ。自分というものは、周囲のできごとによりいつでも変化をしていくものだ。それを<我>は我はと固執をするから悩むのだ」と。

  • zabusakura
  • ベストアンサー率14% (2427/16191)
回答No.2

とりあえず誰かを好きにならないことには、判らないのでは? まぁ、人を好きにならないという人も居るみたいですが。

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1688/4748)
回答No.1

そのような時はまず、環境を変えることです もちろんコロナ渦の中ですから難しいことですが、新たな環境に身を置くことで人は価値観が外に向きます 今は内向、つまり自身に向いている思考を外に放つ方法を取ることが得策です 人は、幼少期・小学校~高校などの青年期は、家族を含めた周りの大人が、様々な環境を整え、安全も担保され、法律に守られ、その中で今の時代、SNSという温度が伝わらない中での環境に守られながら、心が内向に向きがちな時期です しかし、年齢的にも今後、その安全が徐々に剥がれていき、上手に脱皮しなければ、大人への成長をうまくできなくなります 大学生・18歳、この時期ぐらいから安全な環境を自らが作っていき、自らが道を選択し、親や周りの大人が持ってくれていた責任も、徐々に自己責任へと転嫁していくのです バイトを始めたり、将来への専門的な知識を高めたり、新しいことへのチャレンジをする時期なのです その中でできることが、最初に書いたように環境の変化から始めることとなります ボランティアでもバイトでも、新しい勉強でも、とにもかくのも、今の自分が新たに興味が引くものへと環境を変え、挑戦されることで、思考も変化していくはずです ので思考も含めて、内向から外向への道筋を、冷静に考えてみてはいかかでしょうか?