「先輩」とはご自身の責任者でしょうか。
少なくとも、OJTとの記載がありますため、教育責任はあるものと察します。
「機嫌」という単語より、社会人として感情というものが出てしまうこと自体が
悪である、との主張に感じます。 そして、ご自身も感情の割り切りについて
当然ながらお悩みに至り、当投稿へ、という境地は、筋が通っているなと思いました。
「教えてくれなかったせい」という表現がございますが、
例えば、学校であっても、先生がとあるクラスでだけ教え忘れてしまい、
かつテストに出た、なんてことはあるかと思います。
その場合、ノーコンテストで以て全員に点数を与えるなどの処置が下されます。
しかし、社会組織になりますと、全てにおいてOJTが存在するとは限りませんし
(教育期間無しで、いきなり現場なんて会社もありますからね。私みたいに)
教育を責任分解点として、被教育者と教育者(責任者)というポジションを
割り振るのが当たり前ではありません。
無論、先輩といえど、数年経てばライバルかもしれませんし、
ライバルを自ら育てるほど、お人よしが揃ってはいないかと。
OJTということで、スタートから、先輩ガチャがハズレとなり、「理不尽」の一言に映りました。
ですが、今後もお客様ガチャ、案件ガチャ、上司ガチャなど様々な「理不尽」のあるなかで
どうしましょう?
「どのように感情の整理をしたらよろしいですか??」という感情論でしたが
(1)どうしても割り切れない場合
例えば、所属の会社なり組織として、ホワイトを経営方針や社是に掲げていて
どうしてもこの社風で働きたいと、念願叶って入社したなど。
きちんと教育も受けられると思っていたところを、裏切られたような形になり、
キャリア設計がもはやぐちゃぐちゃ などを想定します。
このような状態であれば、先輩の過失をOJTの責任者(先輩の指導を管理評価する人が居るはずです)
に訴えればよいのではないでしょうか。人事でもよいでしょう。 話が違う、詐欺であると。
ほとんどの場合、環境を変えるしかないでしょうが、正当な理由をお持ちと思います。
(2)上記(1)に該当しない場合、
厳しいかもしれませんが、ご自身の甘えです。
挨拶の無視、不機嫌な態度、について、一旦は自由にすればよいと思います。
言いたいのは、サバイバル下において全て自らの意思で責任を持って行うしかない、ということ。
感情論や感情のコントロールだけが解決策ではないと察します。
例えば、「教えてくれなかった」なんて、情報提供を受け身のみで
計画通りに進行できる仕事なんで、今後無いものと認識したほうが正しいです。
聞いてねぇよ! なんてザラに出てきます。
そういう時にどうすべきなのか、これを学ぶほうが良いように見えました。