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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:上尾事件。高崎線にお詳しい方。ヘルプお願いします。)

上尾事件とは?高崎線の問題とは?詳細を要約します

このQ&Aのポイント
  • 上尾事件は、1973年に起きた高崎線の問題です。当時の高崎線は特急・急行列車が多く運行され、沿線はベッドタウンとして成長していました。
  • しかし、線路容量の限界や通勤通学客の増加により、普通列車の増便が厳しくなりました。国鉄は車両不足を補うために急行型電車を投入しましたが、これにより普通列車は混雑してしまったのです。
  • さらに、冬の特急・急行列車は日本海側の大雪による遅延が多く、これらの優等列車を優先的に通過させるため、普通列車は遅れや運休が続いていました。これらの問題が堪忍袋の緒を切らせ、上尾事件が起きることになりました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • meitoku
  • ベストアンサー率22% (2258/10048)
回答No.4

当時高校生で熊谷駅から水道橋へ通っていました。 上尾事件以前より順法闘争により電車の遅延や混雑が当たり前でした。 当時の高崎線は上野が終着駅です。 3.早朝の時間帯は2ドアの急行車両が使われており遅延で混雑時間帯に走る様になり乗り降りに時間が掛かります。 途中で降りたい方はドア付近へ滞留します。 中ほどはガラガラでホームで乗れない乗客の怒りを助長します。 2ドア車は座席が向き合った作りです。 座った方の間にも立った乗客が入り込みます。 上野駅では出入り口まで行けずに窓から降車する様な状態でした。 5.混雑をしているホームへ雪で遅れた特急電車や急行電車 夜行電車(余裕で座っている)は停車駅以外では乗せてくれません。 どんなにこの電車へ乗せてくれたら助かるのになとおもいました。 この様な状態の電車が前の電車が動かないのでホームに止まっている訳です。 6.長時間待ちやっと乗れた電車で混雑で動かない! で隣りのホームの電車が先発するとなれば乗客はいらだちますよ。 上野駅へ入線した電車は折り返し運転が常でしたからホームも混雑していました。 上尾事件当日 ホームに入れない3台目の電車に乗っていました。 線路に飛び降りて旧17号線でヒッチハイクをして大宮駅まで車に相乗りさせて貰い。 京浜東北線で赤羽→池袋→東武東上線→東武バスで自宅へ戻りました。 定期試験の時でしたので学校へ連絡をしたら帰れとの事でした。 ストで電車が動かない日が何日も有りましたね。 定期券に期間延長のハンコが押されました。 60代

keaget09
質問者

お礼

meitokuさまご回答をどうもありがとうございました♪ 当時利用されてた方からの回答をいただけて、当時のことがよく伝わってきました。 事件の後も大変だったんですね~。 >ストで電車が動かない日が何日も有りましたね。 電車が動かない・・・・ですか~。 考えただけでもぞっとします。 本当にありがとうございました♪

その他の回答 (4)

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6877/20339)
回答No.5

1 線路容量 単位時間あたりに運べる人数=車両数 2普通列車の増便 列車の数は無制限にあるわけではないので 所有する数しか出せません。 線路の数も上り下り1本ずつしかありません。 駅のホームに入れば 複数の線路がありますが ホームに各駅停車の列車が止まっているときに もうひとつの線路を急行が通過する。 そのとき 普通列車は 待っていないといけない。 車両が無制限にあったとしても こういう待ち時間があるで本数が制限される 3:『2扉しかない急行型電車を朝夕時間帯の普通列車用に 出入口が少なければ 乗り降りに時間がかかる。 5:『冬の特急・急行列車は日本海側の大雪で遅延 毎日ではない。「遅延することも多く」です。 下の図 48年度は特に多い。

keaget09
質問者

お礼

nagata2017さまご回答をどうもありがとうございました♪ 添付図もつけてくださり、すごくよくわかりました。 そうなんですね・・・・・。 雪が多いと大変ですものね。 遅延していたのも納得です。 本当にありがとうございました♪

  • FEX2053
  • ベストアンサー率37% (7991/21371)
回答No.3

順に >質問1、線路容量って・・・軌道幅のことですか? 違います。単位時間にどれだけ列車を運転できるか、ということを「容量」と表現しているだけで、要は「詰められるだけ列車を詰め込んだ」ってことです。大宮から先、東北本線と高崎線は線路を共用していますから、湘南新宿ラインや埼京線のない時代、大宮-上野は「設定できるだけの列車が設定済み」だったんです。これを部内用語で「線路容量がいっぱい」っていうんですね。 > 質問2:普通列車の増便は厳しかった。とのことですが、 ということで、大宮-上野で「設定できるだけの列車が設定済み」だったので、これ以上の列車は設定できなかったんです。 > 質問3:『2扉しかない急行型電車を朝夕時間帯の普通列車用に投入していた。』 急行型電車は、今の185系のような「ドアが両側にしかない電車」です。この電車は上野に到着次第、下りの急行として発車するための列車だったんです。急行用電車は籠原や新前橋の所属でしたから、朝のラッシュ時に一緒に「送り込み」をしないと、下りの急行が運転できないんですね。 3扉の115系に比べて2扉の急行用165系は、同じ編成でも乗れる人数が少ないですけど、高崎線は大宮以南の線路容量が満杯だったために、ラッシュ時に入り込んだこの電車は常時超満員だったんです。 > 質問5: 『冬の特急・急行列車は日本海側の大雪で遅延することも多く』 往年の「あけぼの」を思えば当然っちゃ~当然なんですが、上越線の夜行列車は豪雪の清水峠、信越線の夜行列車も長野北部の峠を越えてきます。一晩で1m以上積もることが珍しくない地域を経由した夜行列車が何本も(10本くらいあったはず)朝の上野を目指してやってくるんで、これが少しでも遅れたらラッシュ時にダイヤがめちゃめちゃになります。「あけぼの」1本だけでも、首都圏の列車指令は大変だったと聞きますから、これが10本まとめて遅れてきたらどうなるか。 > 質問6:『先に到着した832M列車よりも、後に到着した1830M列車を先に発車させること。』→これの何がいけなかったのでしょうか? そりゃ、「超満員で待たされているのに、あとから来る空いている列車が案内なしで先に行っちゃう」と頭に来ますよ。まあ、上野駅の発車順から考えて仕方ないっちゃ~仕方ないでしょうけど。

keaget09
質問者

お礼

FEX2053さまご回答をどうもありがとうございました♪ ひとつひとつの回答に答えてくださり、本当に助かりました。 >そりゃ、「超満員で待たされているのに、あとから来る空いている列車が案内なしで先に行っちゃう」と頭に来ますよ。 この一文で、上尾事件のきっかけとなったいきさつが手に取るようにわかりました。 そりゃ怒りますよね。暴れたくもなりますよね。 我慢が限界だったんですものね。 納得です。 本当にありがとうございました♪

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.2

「線路容量」というのは、平たく言うと一定時間内に運べる人間の数のことです。最大本数と定員数をかけ合わせれば算出できます。当時は上の駅ですべての列車が折り返していたので、プラットフォームを占領している時間が長く、本数を増やすのにも限界がありました。急行車両も折り返しの都合などで普通列車に使用することが多かったのですが、ドア数が少ない上に乗り降りに時間がかかり、混雑に拍車をかけていました。 当時は新幹線の開通前で、長距離を走る特急や急行も頻繁に運転されていました。ですから普通列車の運行本数を増やすのにも限界があったのです。言うまでも無く定期券では特急や急行には乗れませんでした。 長距離列車、特に特急や急行が遅れると深刻な問題になります。当時も今もラッシュ時にはターミナル駅に下り特急、急行は乗り入れないようにし、通勤列車を優先するようにしていたのですが、夜行列車が遅れたりするとラッシュ時間に入ってしまうことが頻繁に起きていたのです。2時間以上遅れると特急、急行料金を払い戻さなければならず、国鉄としては大損になるので、そういうことはなるべく避けたかったうえ、退避可能駅で遅れている特急、急行の通過待ちをさせられたりすることも多くなってただでさえ遅れが日常化していた通勤客の不満は高まったのです。 6については言うまでもありません。当時は情報が錯綜していることが多く、遅れが増幅していつ動くか分からない状態なのに後発の列車が先に発車するとなれば洗髪の列車に乗っている人からすればたまったものではないからです。ましてや乗客の大半は身動きすらできない状態で、後から来た先発列車に乗り換えるなどほぼ不可能、これでは怒りが収まらないのは当然のことです。 当然ですが、長距離を走る列車ほど遅れ時間は蓄積されやすくなります。当時は東北各県、上信越、北陸といった遠いところからたくさんの列車が上野に向かっていたうえ、高崎線と東北本線が合流する大宮以南のダイヤは凄まじいものとなり、冬になって遅れが出ると深刻な問題になりました。

keaget09
質問者

お礼

tzd78886さまご回答をどうもありがとうございました♪ 詳しく書いてくださり、感無量です。 線路容量についても、よくわかりました。 6については、当時の方のご不満が、手に取るようにわかりました。 本当にありがとうございました♪

noname#262666
noname#262666
回答No.1

私は当時、大宮駅まで高崎線ではなく東北線を利用していた一人です。 高崎線沿線は住宅の建設ラッシュで電車はいつも満員状態でしたね。(東北線はそうでもなかった) 質問5:これが非常に重要な質問です。 『冬の特急・急行列車は日本海側の大雪で遅延することも多く』 これについては新潟くる電車の屋根には毎回のように雪が載ってましたね。大雪だったんですよ。 質問6:『先に到着した832M列車よりも、後に到着した1830M列車を先に発車させること。』 誰よりも早く着きたいのがサラリーマン なお、こんなサイトもあります。 https://www.ne.jp/asahi/junta/h.p/ageo.index.htm

keaget09
質問者

お礼

yamaseiokさまご回答をどうもありがとうございました~♪ 当時をご存知の方からの貴重な回答、本当にありがとうございます。 すごく助かりました~。 特に5と6は、そういう事情だったのですね。 >新潟くる電車の屋根には毎回のように雪が載ってました 毎回だったんですね・・・。 大変だったのがよくわかりました。 ほんとうにどうもありがとうございました♪