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昭和時代は自民党 大企業は批判されなかった?

 終戦後から高度経済成長の終焉時代(昭和20年から50年頃迄)は  自民党の政治家と企業や地元自治体の癒着があっても、  自民党が力があったので、それを「記事に書くな」といえば、  右寄り(産経 読売)左寄り(朝日 毎日)も抑制し、  野党(当時の最大野党は社会党)にも「これ以上批判するな」という形  で通っていたとされています。  正しくはないが、国家によって優遇され、その縦社会で成立し、  国家は批判されない、これが「古き良き時代」という事だったのでしょうか?  ご回答お願いいたします。

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  • eroero4649
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回答No.5

昭和時代はイデオロギーの時代でもあったので、極左テロ組織による大企業への爆弾テロとかありましたよ。 1974年には、三菱重工ビルが極左組織による爆弾テロ攻撃を受け8人が死亡、385人が重軽傷を負いました。これらの事件を起こしたテロリストグループは「大地の牙」「狼」「蠍」なんていう中二心をくすぐる名前を持っていました。 批判の手段は今よりよっぽど暴力的です。武装闘争路線がありましたし、スターリンの時代は世界同時革命なんて言葉もありましたしね。意外に思うでしょうが、あのあさま山荘事件のときは国民の多くはテロリストである学生たちを少なからず支持していたんですよ。だからライフル銃を持っていた学生たちに対して警察側が銃を使えなかったのです。今考えるとこっちは銃を持たないで銃を持ってる相手のところに突入するなんてメチャクチャなんですけどね。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 極左テロ組織による大企業への爆弾テロとかありましたよ。 1974年には、三菱重工ビルが極左組織による爆弾テロ攻撃を受け8人が死亡、385人が重軽傷を負いました。 確かに、民主主義の世の中に成っても、大企業 与党は優遇される様な時代が、戦後はあったのだと思います。 水俣病の被害者への口止め、加害企業への訴えを阻止するために暴力団などの癒着があった事もあり、仰られた学園紛争や企業爆破もあり、開かれた社会へ変わっていったのだとも思えます。 だからライフル銃を持っていた学生たちに対して警察側が銃を使えなかったのです その様なこともあったのですね? が、当時のテロリストは共産主義に傾倒し、北朝鮮等が「理想の国家」とされたが、 拉致や内政干渉等があり、対応できない政府、故に、この時代に掲げられた理想とは違うものになったと思います。 だから、又現在は保守層の方がやや支持されているのかと思います。

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  • Broner
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回答No.4

 『終戦後から高度経済成長の終焉時代(昭和20年から50年頃迄)は、自民党の政治家と企業や地元自治体の癒着があっても、自民党が力があったので、それを「記事に書くな」といえば、右寄り(産経 読売)左寄り(朝日 毎日)も抑制し、野党(当時の最大野党は社会党)にも「これ以上批判するな。」という形で通っていたとされています。  正しくはないが、国家によって優遇され、その縦社会で成立し、国家は批判されない、これが「古き良き時代」という事だったのでしょうか?』ですか。  違います、戦勝国米国の方針を自民党に指示して、日本を民主国家、不戦国家に改革していたと思います。 日本の状況  韓国の李氏朝鮮、李承晩を引きずった現政界を見ても解るように、国際性が無い、国際条約を破っても平気、国家の目先の利益のため至上主義、そのためには、司法立法行政、マスコミも従う、反すれば、親日罪で、拘置する。  日本も終戦直後は、こんなものでした。  この性格は、韓国を観れば解るとおり、なかなか治りません、中国も似たようなものです。  米国政府は、日本全土の大都市を焼きつくし、広島、長崎の原爆に、少しは反省し、復讐をしない国に改革しました。  教育制度改革で、民主主義、宗教でなく科学的合理的な考えをするようした。 そして、憲法9条の戦争の放棄、非核三原則、北は北海道から南は沖縄までの米軍の駐留して、実現した。 こんなところだと思いますよ。 国家は、国民の知能以上の国家は持てないと言われます、随分と国民の知能は向上したと思います。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。  韓国の李氏朝鮮、李承晩を引きずった現政界を見ても解るように、国際性が無い、国際条約を破っても平気、国家の目先の利益のため至上主義、そのためには、司法立法行政、マスコミも従う、反すれば、親日罪で、拘置する。  日本も終戦直後は、こんなものでした。  この性格は、韓国を観れば解るとおり、なかなか治りません、中国も似たようなものです 戦争末期、軍部の暴走で日本もこの様なものだったと、それが米国が主導で従属される国民にさせた事が要因だという事が伺われました。 今、弱腰とか言われているが、あの体制が続いていると、(日本は島国だから韓国や中国の様には成らないが)戦闘行為を繰り返し、国際法に違反する事もしていたかと思います。 国家は、国民の知能以上の国家は持てないと言われます、随分と国民の知能は向上したと思います。 これは頷ける話です。

  • SPROCKETER
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回答No.3

 与野党談合による揉み消しは多かったですが、談合が決裂して激しい衝突に発展した事件は数多くありましたよ。何もかもうまく行っていたという話は、情報操作ですから信じてはいけません。歴史の改変です。  安保問題、米軍基地問題、核基地問題、贈収賄事件、インフレ物価高、権力の横暴、教科書改竄など、数え上げればキリが無いほどの衝突が国会で繰り広げられていました。喧嘩も多かった時代です。昭和は権力闘争が激しかった時代でしたよ。  今のような時代になったのは、マスコミが政界に進出を始めて権力とマスコミの癒着体質が定着を始めた頃から、何もかも権力の言いなりになった報道がおこなわれるようになりましたね。マスコミが死んだとか、メディアファシズムだと言われて、罵られるようになりました。昭和のマスコミなんて、何もかも政府に決められてテレビ番組も自由に作れない時代でしたよ。民放の労働組合が告発本を出すぐらい酷かったです。  有名な国会中継の議論を覚えていますが、野党が米軍の先制核攻撃作戦(Z計画)について与党を追及した事があったのですが、与党がしばらく待ってくれと言って、数日、間を置いたのですが、その後で与党が言った言葉が全てを物語っています。次のようなものです。  「その議論はもうやめてください。漫画が出ましたから、テレビ漫画も放送されますから、もう終わりにしてください。」  与党の回答に対して野党は全てを悟って怒鳴りつけた言葉が印象的でした。「揉み消したから、黙れという事か!」  説明しますと、米軍の核戦争計画(Z計画)を揉み消す為に、マジンガーZという漫画が永井豪によって執筆され、テレビアニメとして放送されるのが決まったわけです。ロボットアニメは米軍の核戦争計画の揉み消しから始まっているのですね。  シラケたと思いますが、政府とマスコミの癒着体質なんて昭和から現在までずっと続いています。テレビ番組の多くで政治事件の揉み消しがおこなわれているのが実態です。それは今も変わりません。  冷戦時代だった昭和は、それが非常に露骨におこなわれていただけの話です。インターネットが無かったので、告発する場所が無かったのが原因です。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 野党が米軍の先制核攻撃作戦(Z計画)について与党を追及した事があったのですが、与党がしばらく待ってくれと言って、数日、間を置いたのですが、その後で与党が言った言葉が全てを物語っています。次のようなものです。  「その議論はもうやめてください。漫画が出ましたから、テレビ漫画も放送されますから、もう終わりにしてください。」  与党の回答に対して野党は全てを悟って怒鳴りつけた言葉が印象的でした。「揉み消したから、黙れという事か!」  説明しますと、米軍の核戦争計画(Z計画)を揉み消す為に、マジンガーZという漫画が永井豪によって執筆され、テレビアニメとして放送されるのが決まったわけです。ロボットアニメは米軍の核戦争計画の揉み消しから始まっているのですね。 マスコミに規制をし、もみ消す事は昔からあったのですね? 佐藤首相の折、沖縄を戦闘行為の拠点にする事や有事の時、共に戦闘行為が出来る確約があった 事が随分後に成って報道された事がありましたが、マスコミには伝えない様に工作があったのですね? インターネットが無かったので、告発する場所が無かったのが原因です。 故に、表沙汰に成り難かったのですね?

  • staratras
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回答No.2

>昭和時代は自民党 大企業は批判されなかった? 回答者は昭和20年代生まれですが、ひとことで言えば「そんなことはない」です。昭和41年の夏休みの宿題(自由研究)に新聞のスクラップをしてニュースをまとめたことがありますが、「政界の黒い霧事件」という項目がありました。下にある通り実にさまざまなことがあって、それなりに批判されています。この一連の事件で、12月に衆議院は解散され(「黒い霧解散」)、翌1967年1月に総選挙がありましたが、自民党は微減にとどまり、「大騒ぎした割には…」でした。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E3%81%84%E9%9C%A7%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(%E6%94%BF%E7%95%8C) 一方内閣総理大臣の辞職にまでつながったのが、昭和49年の「田中金脈問題」です。「文藝春秋」11月号の調査報道がきっかけとなって、時の田中角栄首相に対する批判が巻き起こり、12月に内閣総辞職に至りました。この「田中金脈問題」あたりから重要視されるようになったのが、報道機関が独自に取材する「調査報道」です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%87%91%E8%84%88%E5%95%8F%E9%A1%8C 直ぐには刑事事件にならないように見えたことについて、粘り強い「調査報道」を重ねるうちに、社会の批判が高まり、刑事事件として摘発されるに至った事例が、その後いくつもあります。 「田中金脈問題」でもそうでしたが、いくら自民党の有力者が「記事にするな」と言っても、政治部はともかく社会部の記者にはむしろ反発をかって、かえって不利になるおそれがありました。まして週刊誌や月刊誌を舞台にしているフリーのジャーナリストを押さえることは無理でした。政府・自民党、大企業は批判されなかったかといえばそうではないのです。 もちろん昭和30年の保守合同で自由民主党が成立したのち、昭和時代はずっと自民党政権(ごく一時期新自由クラブとの連立)が続いていました。とくに保守が強い地方では自民党が他を圧倒していました。このような地方で自民党を批判するのは勇気が必要だったでしょう。しかし大都市圏では反自民・非自民勢力も強く、一時期は東京都知事や大阪・京都府知事なども革新系でした。労働運動も21世紀の令和の今よりずっと元気があったように記憶しています。 世の中が「熱かった」という意味では「古き良き時代」と言えるかもしれません。もちろん男女の不平等(差別)などの「古き悪しき慣習」もありましたが。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 、「政界の黒い霧事件」という項目がありました 早速、リンク先の項 拝見させて戴きました。 癒着や利権が取り沙汰された事が伺われましたが、 減額に留まった事で片付いたそうですが、 「田中金脈事件」が総理辞職にまで追い込まれたのは、 粘り強い「調査報道」を重ねるうちに、社会の批判が高まり、刑事事件として摘発されるに至った事例が、その後いくつもあります。 「田中金脈問題」でもそうでしたが、いくら自民党の有力者が「記事にするな」と言っても、政治部はともかく社会部の記者にはむしろ反発をかって、かえって不利になるおそれがありました。 このような地方で自民党を批判するのは勇気が必要だったでしょう。しかし大都市圏では反自民・非自民勢力も強く、一時期は東京都知事や大阪・京都府知事なども革新系でした。労働運動も21世紀の令和の今よりずっと元気があったように記憶しています。 その様な事から保守も批判はされ、改革されてきたと思う事も伺われましたが、 革新や労働組合系も「悪しき慣習」「利権」がある事から批判され、今は保守に回帰しているが、それに拮抗する野党がいないので、イエスマンを生み出していると思えるのですが? その様な背景があった事も伺われました。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.1

その説、私の記憶とは大きく異なります。 昭和の労働組合と社会党と朝日新聞は、社会に影響を与えていました。 だから政権を握ってる自民党が、各方面から大きな力を加えようとしていた。 …そう解釈するのが正しいでしょう。 世論にも今以上の自由が有ったので、反政府的世論を押さえ込む為に、 当時は右翼や反社会的団体にも自民党の一部が関係を持っていたり取り締まりの手が緩かったり、 政府支持派にも反政府側にも、更には反社会的団体にも一定の自由が有ったので、 …そういう意味での「古き良き時代」だったのではないでしょうか。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 昭和の労働組合と社会党と朝日新聞は、社会に影響を与えていました。 だから政権を握ってる自民党が、各方面から大きな力を加えようとしていた その様な歴史があったのですね? 頷ける話です。

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