※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自己犠牲が出来る勇気はどうすれば生まれるでしょうか)
特攻隊員の勇気と自己犠牲について
このQ&Aのポイント
特攻隊員が自ら戦艦に突っ込む勇気は、絶望的な状況と使命感から生まれました。
家族が受けるいじめや詐欺について、なぜなのか疑問を持っています。
父の死や創価学会との関係、そして自身の精神疾患についても不思議に思っています。
自己犠牲が出来る勇気はどうすれば生まれるでしょうか
私たち家族は50年以上前から、いじめや詐欺などにあい、特に父は働きすぎていました。
命をすり減らすばかりだったと思います。
ある時、弟は三輪車、私は自転車で、友達の家に向かっていました。
弟のほうが私より前を走っていました。
途中で若者が自転車をこぎながら、柿のようなものを食べながら、前方から向かってきました。弟とすれ違いざまに、その男は突然、弟の頭に向けて、食べていた柿を思いっきり投げつけました。
そのとたん弟が痛さのあまり大声で泣き始めました。
私は驚いて前方からやってくるその男に、自転車でぶつかり横のどぶ川に落とそうと思いました。しかしぶつかる勇気がなく、すれ違いました。
急いで弟のそばに行って、なだめることしかできず、遠くに消えていくその男に、
小さな震える声で「ばか野郎」としか言えませんでした。
このように私は怒りながらも、弟より自分の安全を優先する勇気のない男です。
質問です。
特攻隊員はどうして自ら戦艦に突っ込むことができる勇気があったのでしょうか?
私もそれぐらいの勇気が欲しくてたまりません。
どうして私たち家族は、世間や、ときに同じ学会員から、「いじめ」という犯罪行為を受けなければならないのでしょうか?
父は病院に行ったらすぐに入院させられるから今の仕事が片付くまで待ってくれと言いました。しかし、あっけなく脳出血を起こして亡くならなくてはならないのでしょうか?
創価学会の一部の人は、返す当てもないお金を、なぜ父や家族から借りに来るのでしょうか。母によれば父は「あのお金はあげたつもりで、当てにするなよ。」と言っていたといい、実際、誰一人お金を返しに来たことはないと言い切りました。
他の公明党議員も創価学会も、お金を借りに来た人たちに、お金を貸してあげたという話は聞いたことはありません。
父が死んだあと、なぜ大石寺の坊主は母を土下座して泣かしてまで、「市議会議員なら、もっと金を持っているだろう」と、平気で言うことができるのですか。
なぜ私たちは、字も読めない小さな子供の分まで、聖教新聞を5部、その他の書籍や公明新聞を数部もとる必要があったのですか?
なぜ遠く離れた富士山のふもとに作られた墓苑を購入したのですか。交通費だけで一人10万円以上もする寂しいところ、タクシー代も3,4万円もする、簡単に墓参りできない場所に墓があるのですか?
なぜ父は、入院ではなく効果のない民間療法だけで、血圧を下げようとしたのですか。
なぜ毎日、選挙のために有権者と酒を飲んで、朝にはのどに手を突っ込んで酒を吐き戻す
ことをしないと当選できない状況にまで、追い詰められ、父は、短命で死亡したのですか?
なぜ父の死後、父の選挙区の定数を1人減らしたのですか。まるで父に入るはずの票を、二つに分け、二人の公明党市議が確実に通るようにしたかったかのように?
なぜ私たち3人兄弟がそろって「いじめ」という犯罪の犠牲者になり、様々な病気に悩まされているのですか?
なぜ普通の会社に入社できたのに、突然、何の連絡せずに、夫婦の学会員が新聞の勧誘をしに来て、その結果、寮長は会社全体に報告して、私の直属の課長が、創価学会を心底嫌っている課長が、他の人に聞こえるように大声で創価学会の批判を続け、私は会社に在籍中に、大学病院の神経科を受診して「うつ病」の名前が付いた診断をされ、いったいなぜ課長は自分を守るために、気に入らない人間をつぶし、精神疾患にさせ、いじめ抜かれ、その代わりに働かない役員の娘には、何も言えないのですか。ほかの障がい者にすべてを任して、自分たちは何処かに雲隠れしてしまうのか。
どうして、定期的にパトロールが来る、私が管理していた実験場や研究室に、
ヌード雑誌が置かれているんですか?
なぜ人事部長も総務部長も、一度も私が研究している現場には来ないで、私の休職時間を短くして、退職に追い込んだのですか。
なぜ横浜の労働基準監督署の窓口の公務員は、全く話を聞かずに「帰れ」と言って、どこかに消えていくんですか。仕事はしなくていいんですか?
なぜ私が休職中でも年金が引かれ、金持ちの老人たちを支えなければいけない仕組みを作ったのですか。
私が仕事で最終便の飛行機で羽田に帰り、さらにバスで横浜駅近くのバス案内所につきました。しかし道に迷ってある扉を開けたら、夜のようで目が慣れるまでしばらく時間がかかりました。目が慣れてくると黒い塊が並べてあり、20個ぐらい所狭しと並んでいたのですが、それがカップルで人間の男女がくっついていました。
気持ち悪くなり、すぐに扉を閉めましたが、「俺がここで働いているのは、こいつらを養うためではないと」心の底から叫びました。
お礼
やはり、創価学会員には人を救うことなどできないと実感し、父は命を奪われました。 生きていた時の父は純粋だったかもしれません。しかし結局創価学会から命を奪われました。 父は何かを自分に残してくれたのかもしれません。それは創価学会の国会議員や市議会議員の質の悪さを示し、ほかの人の言葉を借りれば、創価学会とは距離を置きなさい、ということだったかもしれません。人生の窮地にあっても、学会の本部は切り捨てるように、「学会は動かないからな。」と乱暴に電話を切った創価学会の体質を実感しました。実際、昨年、うつ病で家で寝ているときに、創価学会の3人組が自宅に入り、特殊な武器を頭に照射されたことから、創価学会が犯罪者集団を抱えていることを実感しました。懸命に祈っている人間が何人死んだって意に返さないのでしょう。世間からの悪評以上の存在であることははっきり理解したので、今後はナショナリズム的な勤行に徹したいと思います。
補足
良いことは、亡くなった父が生まれた時から、亡くなるまで自分のことを大切にしてくれたことです。母もしょっちゅうけんかしていますが、大切な人です。もちろん兄弟も大切です。そして猫たちもです。災いはいつも外部から来ます。ただ学会二世というだけで一方的にいじめてくれた課長と寮長には「うつ病」にしてくれました。私の父が亡くなっていたおかげで、彼らは命拾いしています。よかったですね。