• 締切済み

家族が好き、大切に思っている方に聞きたいです

うまくまとめられる自信がないですがお付き合いくださればうれしいです。 質問の前に自分が育った環境を聞いてください 構成  3人兄弟5人家族。弟と姉がおり、自分は真ん中です。 幼少の頃 感情のコントロールがうまくできずよく物にあたったりするような手の付けられない子供だったと記憶しています。これは親族らの眼差しを見て後から感じたことです。 7歳頃 両親は離婚、兄弟はみな母親に引き取られる、引っ越し(自分に原因はありません) 父が一人ぼっちになってしまったことを目の当たりにし、子供ながらに母に反抗を示し だす。相手がこどもだからかまともに向き合ってくれることもなく自分は暴力も手段として抗議していました。 8歳頃 吃音症になる。発表等が全くできず別教室(今でいう支援教室等)で過ごす 10歳頃 急な引っ越しにより転校。吃音症や新しい環境も伴い不登校に ある朝、担任が来て母はついに痺れを切らしたのか、担任を家に上げました。私は怖くてたまらず押し入れの中に逃げ込みますが、こどもが本気の大人の力に逆らえるわけもなく無理やりその場から引きずりおろされました。 なおも抵抗を続けますがマンションのロビーで顔を殴られ私は諦めて学校に行きました。 このことを家に帰って母に話すと「よかったねぇ、愛の鞭だよ」と言いました。 そういう意図もわかりますし結果だけ見れば学校には行ったので母なりに良かったと思ったんでしょう。 でも、きっとこのときに私の中で何かが狂いました たった一つの居場所である家から守ってくれるはずの親が教師と結託して自分をハメた。 本当に本当にショックで、今でもトラウマで恐怖が染みついています。 この頃からよく父に会いに行っていました。もともと父は怖い人だったんですが一人になったせいか、たまに会うせいかすごく優しくなっていて自分もしょっちゅう遊びにいっていました。 父はゲームが好きでよく64やPS1のゲームを一緒にプレイしたりしてました。本当に楽しくて幸せな思い出です。 13歳頃 また不登校に 母は基本的に放任主義で仕事も忙しかったのも相まってこの頃の不登校ではとくになにも言ってくることはなかったです。そして話を聞いてくれる向き合ってくれるということもなかったです。 この頃に3つ転機がありました。 まず一つ 父に「一緒に住まないか」と言われました。 自分があまり学校にもなじめず家庭でも問題を抱えているのを知っていたからか、自分ひとりならなんとか養えるからその気があるなら一緒に住もうと言ってくれました。 離婚してすぐのころ自分は父の一人ぼっちな姿を見て母にあたり散らかしていたように、一緒に住んでみたい父が好きという気持ちはありました。 でも、結局のところその気持ちには応えることができませんでした。 怖くなったんです。一人父のもとへ行って父と一緒に暮らすイメージが全く湧かなかった。結局、自分はたまに会う優しい父が好きでそのチャンスが会っても一緒になれず結果父を一人ぼっちにしてしまうのは自分だったんだと、今でもこの時の後悔があります。 2つ目は母親の再婚、もう一つが父親の再婚です。 母が連れてきた人とはうまくいきませんでした。表面上も仲良くできないとかではないです。 はじめは、こどもながらに仲良くなろうと自分が好きなもの(ゲーム等)をどうにか一緒にやらないかと色々行動に起こしてみましたが当の再婚者は特に興味を示すことはありませんでした。 この時に、「ああこの人は自分たちに興味がないんだろうな」と気づき、距離を縮ようとすることを諦めました。 そのころから母はよく再婚者と二人きりでご飯を食べに行っていました。 自分はそれがとても気に食わなくて「なぜ二人だけで行くんだ、ずるい」と駄々をこねたりしていたんですがある時再婚者に殴られました。「少しはお母さんのことを考えろと」 ショックというより、純粋に何を言っているのかわかりませんでした。「こいつは何なんだ」と、そんな気持ちでした。 父の再婚(厳密には彼女だったかもしれません) この人は父と同じくゲームが好きで自分とも等身大で接してくれて3人でモンハンしたりして毎回遊んでいました。モンハン2nd全盛期です。 とても気さくな人で父も一人ぼっちじゃなくなったのでうれしかったです。 しばらくは毎月のように父の家に行っていましたがある時父から「来るのを控えてくれないか」と遠回しに言われました。父の彼女はとても気さくな方で自分とも友達のような距離感でよく遊んでくれていましたが父が言うにはやはり自分の子供ではないこどもを可愛がることには限界がある、という話でした。 ショックは大きかったです。父が大好きで彼女を含めても3人でわいわいゲームをする時間は自分にとってすごく特別で幸せな時間だったから でも自分はこのときはじめて大人の階段を上ったような気がします。 「わかった」とまだまだこどもなので完璧に自分の気持ちを隠すことができたとは思いませんがそれでも引き下がることができました。 「自分が一緒に住んでいればきっと違ったんだろうな」「自業自得だ」と、そう思いました。 そういった転機もあり家に居場所もなくなり父の家に行くこともなくなりました。 その後の父とはたまに父方の実家等で顔を合わせ学校のこととかいろいろとアドバイスをもらう程度の接触しかありませんでした。そのころにはもうあまり父に対する気持ちもなく「偉そうに言うなあぁ」と感じることさえありました。 高校は不登校向けのすこし変わった高校に行きました。心機一転不登校から抜け出しはしました。色々と緩い学校だったので吃音症のことがあってもなんとかうまく切り抜けつつ楽しむことができました。 この頃から自分は自分を偽るようになりました。 こどものころの自分を見ると「すぐに物に当たる」「手のかかるやつ」だったのでよく弟とぶつかっていました。 自分はとくに「伝わらない」「わかってもらえない」「わかろうともしてくれない」そんな行動にたいしてひどい憤りをおぼえ強硬手段に出る人間でした。 高校在学中家を引っ越す機会があったんですが、弟との仲が悪すぎて「引っ越すがあんたは別で暮らしてくれないか」と母から言われました。 父が来るのを控えてくれと言ってきたときと同じような気持ちになった記憶があります。 「あぁ、自分はありのままじゃ受け入れてもらえないんだろうな」と思いました。 姉が一人暮らしをしていたのでそこに一緒に住まわせてもらいました。 その頃から私は「好かれる人間になろう」と努力を始めました。 他人を気遣い、面倒なことも引き受け、感情の起伏もなく、いい人間になろうと 努力していると今まで鬱陶しがっていた親や姉、祖父母や親戚までもが手のひらを返してくれました。 「〇〇はできたやつだ」「こんな子供に育ってお母さんは幸せだな」と 素直にうれしかったです。もともと処世術としてはじめたのでそこに気持ちがないのは自覚していましたが、それでもうれしかったんです。 でもそれと同時に、ここまでしないと自分は好かれないのか、と気づいてしまったんです。 それは今までの自分、ありのままの自分を全否定するにほかなりません。でもそうするしかなかった。一人にならないためには、迷惑をかけないためにはするしかなかったんです。 そうこうするうちに 高校を卒業して父が癌で死んで浪人した末に入った大学を吃音症が気になる3授業のためだけに半年で辞め、ニートになり鬱になりパニック障害を患い今に至ります。 そして、母の再婚者が別居するそうです 私は今ずっと実家にいます。働けないかわりに家族のご飯を3、4年の間ずっと作り続けています。良い子としての仮面を被ることもまだ続いています。 別居については単純にうれしかったです 再婚者とはとくにぶつかることもなく興味もなく、ただ他人が家にいる居心地の悪さだけが気がかりだったので、それが解消されることに喜びを感じます。 やっと本題です 家族親族含め、誰一人として信用できません。嫌いというわけでもなく。自分とは違うところで幸せになってほしいと思っています。 10年一緒に暮らした再婚者が別居の末孤独死しそうになってもどうでもいいですし仮に母が要介護状態になったとしても見捨てると思います。育ててくれたことへの感謝や今家においてもらっていることへの感謝はもちろんありますが、それとこれとは別だと思っています。 家族に対して大事だと思うことはないです でも、自分の中でやっぱり家族に対しての憧れがあって、自立すらできていない自分が…という気持ちにも苛まれます。 自分は本当に憶病で繊細で心配性な人間です。今すぐに見捨てて強引にでも住む世界を変えるとか新しい人間関係を築いてありのままぶつかってみるなんて行動を起こす勇気がありません。大切だと思っていなくてもどこかで幸せになってほしいと願っているように、母やそのほかの人間の不幸を望んでいるわけでもありません。 そんなふうにどっちつかずにわからないことだらけです。ただただ関わってきた人間すべてを憎めたらもっと楽だったのにと思うこともあります。 愛着障害(AC)です 幼少のころからの吃音や現在のパニック障害含め、不安傾向もつよくHSP気質もあり生き辛いなぁと日々感じています。自分の本当ののぞみもわかりません。 滑稽だなと思います。生きるのがへたくそだなって これから自分らしくいられる生き方、または読んでの率直な感想が聞きたいです。 長くなってごめんなさい。よろしくお願いします

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  • sp550uz
  • ベストアンサー率49% (544/1091)
回答No.9

No.4です。まだ開いていたので、貴殿からの返答をふまえて、少しお話しさせて下さい。 ニート長女の件は、そこそこ複雑です。公立高校卒業後、成果専門学校へ行き、海外留学から帰国した後、元々引っ込み思案で神経質な性格だったので、無理がたたったのでしょうか、「燃え尽き」「対人恐怖」等々が発症。 家では明るくのんびりなのですが「場面かんもく症」のように、人と打ち解けるまでに、カナリの時間を要するようです。私自身、人見知りな方なので、その気持ちは十分分かります。「働きたい気持ちはあるけど、いろんな事が怖い」のだそうです。 次女は、幼少期から発達遅延を指摘されて、保育園や小学校時代も、支援施設への通級を並行していました。中学の普通級へ行ったのですが、1年次の6月から早退気味の不登校傾向。2年次から支援級へ移行して、現在3年生です。IQテスト等々ではグレー判定なので、養護手帳はありません。 当方は、元看護師の現在自営の料理人 兼 主夫です。長々と自己紹介でスミマセン。背景を知って欲しかったので。 1.仮面:立場に応じて言動が変わる(変える)のは、基本的に無意識ですが、意識的にする事もあります。子どもの乱暴な言動に、同じような態度で応じる事は、大人として有り得ません。ありのままを受け入れたくても、『ならぬものはならぬ』と、(心を鬼にして)厳しい態度を取らざるを得ないときも多々あります。 こればかりが状況がわからないと、親と子ども、どちらが正しいか(養護されるべきか)は、判断出来ません。ただ、貴殿の背景においては、少々、育児放棄的な部分も伺えますので、苦しかった事とお察しします。当方は逆に(未だスマホもなく)、育児に懸命すぎたのかも知れません。 2.親の背中:仰るとおりです。『背中』で語るべきだったのかもしれません。逆に私は、元看護師という経緯がありながら、発達障害や支援級に関わる知識が不十分だった事を反省して、子供たちにも『関わりすぎた』ように思います。 『親も自分の好きな事をして欲しい』と、私も、中学・高校時代に思ってました。でも、親になると、ムリですわ。『鶏が先かタマゴが先か』みたいですが、子どもが苦しみ悩んでいるのに、好き勝手な事など出来ません。 私の趣味は、カメラ・バンド(音楽)・小旅行・映画・小説・ゲーム等々です。子供たちが小さい頃は、キャンプに映画にと出掛けるのが楽しみでした。今は誘っても行きません。だからといって、(ソロキャンプ好きでも)子どもを置いては行けません。 子供たちが元気で仕事・学校に行っていれば、「じゃ、ちょっと行ってくるから、留守お願いね」なんて言えるかもしれませんが…。コレ、どっちが正解ですかね。親が好き勝手な言動を取るような、「俺も好きな事やるから、お前達も自由にやんな!」って、『背中』を見せた方が良いんでしょうかね。 貴方自身が見せた『偽りの姿』でも、ご家族は喜んでくれたとの事。当然です。貴方自身は苦しかったでしょうけど、「空かれようとする努力」は、誰もが行ってる『偽りの姿』のように思います。だからこそ、一人になったときの開放感があるのでしょう。 3.望み:「自分自身に望みのない親には尊敬の念を抱けない」。どうやらLGBT傾向もあるようなので、『孫』とかも言いません一軒家を建てて、仕事を持ち、車を持ち、家族を持ち、一応は借金もなく・・・。。望みは、記述の通り『子どもの自立』です。ソレが難しいとなると、ホント、困ったもんです。 4.頼れる親:私自身も、親は「頼れない」存在でした。金銭的に苦労をかけてた事もあり、言いたい事は言えませんでしたね。「わがままを言うと悪い」みたいな。かといって、学校や部活のグチを言えば、結論「子どもだから」という説教が来るし。 今に思えば分かりますが、愚痴を聞いて貰えるだけでいいのに、親は懸命に「解決策」を説いてくるんです。『男脳と女脳の違い』も有るんでしょうけど。「こうしろ、ああしろ」と言われる事で、またイライラしてくるんでしょう。なので、子どもが「親には頼れない」「あまり相談したくない」という事態も、まーまー、わかります。でも、言わざるを得ないのが親なんですよ。 だからこそ、社会に出て(仕事に就いて)、同世代の人と交流して欲しいのです。上司の事、上になって部下の事、今の悩み事、皆でウサバラシに呑んで、カラオケ行って、小旅行に行って・・・と、楽しんで欲しいんです。 テレビ、観てますか? NHK教育の「バリバラ」とか「ハートネットTV」とか。過去には「ねほりんぱほりん」も有りました。ソコでも、様々な世界(異境)で暮らす人達の『日常』が語られています。録画して観せて「苦しんでるのは、自分だけじゃないんだよ」「だから、頑張ろう!」って伝えたいんですが、何かが違うようで・・・。 これらの番組を含めて、バラエティ番組が大好きで、家族で観て笑ってます。自分自身の現状を『不幸』だとは思ってません。貴殿のお言葉の『滑稽な家族』だと思ってます。紆余曲折で七転び八起き。五里霧中でなお、暗中模索。子どもには「そういうケセラセラ的な、お気楽な姿勢もイヤなんだよねー」って、笑いながら叱られてます。 5.『生意気な物言い』なんて、とんでもない事です。大変、参考になるご意見でした。ありがとうございました。そして、度重なる回答に『語弊』での返答。見解の相違は、実社会でもまま有ります。相対して(表情を見て)意見しない文章だけの場面では、尚更多々有り得る事です。だからこそ、社会の他人と相対して欲しいのです。 6.ラジオを聴いてみませんか? 武田鉄矢氏の「三枚おろし」なんて、結構面白いですよ(当方、歴史嫌いなんで、時たま「ウゼぇなー」って聴いてますが、その中にも「お!?」てな時があります)。自己の師は親の他に、「高校時代の部活の先生、バイト先のAおじさん、町内会のYさん」です。 7.次女が通ってる放課後支援スクール(民間経営)では、様々な経緯を持った人達が『講師・先生』として活動しています。教員免許は持っていませんが、皆、本当に、生徒に優しく(時に厳しく)してくれます。貴殿と似たような境遇の先生も居ます。中にはその先生ですら手を焼く生徒も居るそうで、(精神疾患なので)指導方法もカナリ難しいそうです。 さて、貴方が知ってる世界は、どのくらいの広さでしょうか? ゆくゆくの親の面倒は見なくても良いです。でも、自分自身と、似たような境遇で悩む人達の境遇や奮闘は、どうでしょうか? 見る事が出来ますか? そんな余裕、無いですか? 『家族に対しての憧れがあって、自立すらできていない自分』は、今の状態で見つけられるでしょうか? 最後になりますが、是非とも、社会に出て『面白い大人』に出会って下さい。イヤな事も多々ありますが、『関わってきた人間すべてを憎めたらもっと楽だった』と思う中で、『この人と出逢えて良かった・面白かった』って思えるような大人も居ます。きっと、年齢を問わず『心の友』と言い合える人と出逢えると思いますよ。 ~生きるのがへたくそな『人見知りで内向的で気にしすぎの大人』より。長文・乱文・誤字陳謝。

  • LOTUS18
  • ベストアンサー率31% (1807/5783)
回答No.8

私には小学校中学校時代の記憶がほとんどありません。 数少ない記憶のなかで一番最初のものが 小1の時高学年の男子に嫌がらせを受け 母親に訴えたら「ご近所のこともあるし我慢して」 と言われたことです。 小4くらいで 大人としてどうなんだろうという人が目につくようになり 大人は身体は大きいけれど中身はこどもだ と思った記憶があります。 ということで大人に過度の期待をしないこどもで 今から思えば 可愛くなかったからかわいがられなかったのだ というのもわかります。 親に聞いてほしいと思うことはありません。 両親ともなんでこどもを設けたんだろうというぐらい関心がなかったし もちろん遊んでもらった記憶もありません。 何時も本を読んでいました。 人それぞれ視点が違うことが日々の生活でわかっていたから イメージする「親」というものは あくまで自分のイメージだというのが 小学校高学年ぐらいで悟った気になり 求めても無駄なものは求めないようにしました。 そして 必要と思われることへのヒントの多くは 家族ではなく絵画の先生や大学の教授や バイト先の人などの他人がくれました。 という私が思うのは今思う家族が思ってるのと違うなら 大切と思える家族を作るように行動することです。 私の10代は真夜中20代は夜明けぐらいでしたが 30代40代くらいでやっと日が当たり 楽しいことうれしいことを そのまま感じ取ることができるようになりました。 特に今は家も建て、面白くて器用な夫と 本能のままに生きるこどもたちと 念願だった音楽のある暮らしをしています。 こどものころ母親にしてほしかったことをすることで 自分自身の子供時代を生き直している感じです。 食卓をみんなで囲み、話しながら食事をすること。 コミュニケーションが成立する親子関係。 自分のストレスは自分で何とかできる、メンタルの安定した親。 こどもは親を選んで生まれてくる、というのが いつしか言われるようになりましたが それは子育てをするうえで親が拠り所とするための 考え方かなと思います。 子は親を選べない、が現実的です。 読んでの感想は 過去は変えられないし親も変えられないし いざ困った状況になればこどもに連絡はくるので そのとき後悔のないように行動することと 自己分析をもう少し細やかにやってこれからの自分の軸を 再構築すること あと、先に述べたように自分で家庭を作ること、です。

回答No.7

ありのままの自分をなんの努力もせずに認めてもらう、愛してもらう、というのは違うと思います ありのままの自分、とは、 ただ、腹が減り、飯を食い、眠くなれば寝て、 糞をしてたまにムラムラする、のが、ありのままの人間という生き物です いろんなことが起きて、脳内の神経回路を通して喜怒哀楽が生まれますが、それは生き物としての標準機能です 人間社会は、個人では存在はするものの、それだけでは何も価値がないほど、社会的な役割を担う生き物になってます つまり、人間は、社会の一要素、としてしか存在価値がありません 貴方が引きこもりをしている間は、無価値でした ただ、その辺の道端で花が咲いているだけ。 自分の考え、境遇、だけではなく、社会の中での貴方の役割はなんなのか、を考えてみませんか そりゃ、生きてれば辛いことは沢山あります 貴方も、私ほどではないにせよ、沢山苦労されたと思います でも、それだけです 自分のやりたいこと、こうあるべきだ、を全て一度捨てませんか 社会に役に立つ人間になり、 その結果が貴方に巡ってくる、という経験をしてみませんか 人生なんて死ぬまでの時間つぶしですが、 どう生きるのか、だけは自分で決められるのです 貴方が自分でこうしよう、というよりは、ご家族の都合で影響を受けた幼少期のように流されるのではなく、今は貴方が生き方を決められます 過去のトラウマを、全部忘れて第二の人生を生きるのです 知らない土地で、聞いたこともない言葉を話し、そこで新たな経験、知識をインプットして、過去の全てを忘れるのです 自分のやりたいことではなく、自分が必要とされることを試してみてはどうかと思いますよ メキシコの巨大農園でアリのように働く、とか、 アフリカの紛争地区で毎日毎日生き死にスリルを味わいながら虐殺から人を守る、とか。 感想でも、とのことなので好き勝手書かせてもらいました

回答No.6

壮絶な人生だなと思いました。 そして、今の自分を変えたいけど、それも難しい という葛藤と悩みを感じましたね。 今のあなたは、洞窟に住んでいる感じ。 外に出てみれば、明るい太陽があるし、海もあるし きれいな山もある。もちろん、危険もあるけど、 楽しいことやいいことも多いです。 あなたもいつか外の世界を満喫できるようになれば いいと思います。

noname#240330
noname#240330
回答No.5

ごく普通の人生です。 こんなつまらない投稿をしたくなるあなたは、小児性自己中です。 自己中さえ止めれば、このままで良いんじゃありませんか?

xps2300
質問者

お礼

読んでくれてありがとうございます。それでは。

  • sp550uz
  • ベストアンサー率49% (544/1091)
回答No.4

人生の序盤ですけど、かなり壮絶な経歴の持ち主ですね。当方、発達障害の子どもを持つ親です。支援教室や特別学級等々に通う、子どもさんや親御さんや先生の話も、一応知っています。 優しいご意見が多いし、貴殿の文才から人生の背景もアリアリと分かりましたので、多少、厳しい意見を述べます。 『もともと処世術としてはじめた良い子としての仮面』。大げさに言えば、皆、そうですよ。相手の立場や気持ちを読んで、自分を変える事なんて、皆やってる事。それは、『仮面』じゃなくて『思いやり』とも言えるんじゃないでしょうか。 私は現在、「父親」「夫」「子ども(実母と義母健在)」「ありのままの自分」「社会人(地域や会社)」という様々な立場があって、それごとに顔が異なると自覚しています。全て同じなら、単なるわがままな野郎でしょう。 複雑な家族背景から、幼少期の暴言・暴力等は必然的だったとも思えます。ご両親の態度は、貴方にとっては望まない言動も、ウラを返せば「自分に正直」な親御さんなのでしょう。親の面倒も見る必要はないでしょう。ただ、そのためには、『自立(仕事)』か『支援(資金的・公共的)』は必要になります。 『自立支援サポート』が有ります。市役所や市民センター等々に出向いて、相談してみると良いでしょう。あなたが「生きるのがへたくそだな」って思うのと同じように、(自分の子どもを元気づける事が出来ない)私は親として「子どもへの助言がへたくそなんだろうな」って思って、時々ヘコんでいます。 貴殿にオススメの本もあります。こういうのを買って、自分で読んでみて良かったので「読んでみたら?」って勧める事も、20歳を過ぎて働けないニート状態の我が子には、(良かれと思ってやったことさえ)そういう行為こそが「プレッシャー」なんだそうです。 『「なんとなく生きづらい」がフッとなくなるノート』 https://www.amazon.co.jp/dp/4295403210/ref=nosim/?tag=biglobe06-src-link-22&linkCode=as1 『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。』 https://www.amazon.co.jp/dp/4804762698/ref=nosim/?tag=biglobe06-src-link-22&linkCode=as1 公共の図書館に置いている場合もあります。近隣の図書館のサイトで「在庫検索」が出来る所も多々あるので、調べてみるのも良いでしょう。 家族に対しての複雑な想いは、親としても同じです。貴殿が今までの経緯で、お父様やお母様を恨みながらも、感謝があり、「幸せでいて欲しい」と願う気持ち。上手く言えませんが、子どもに対しては『期待に添えない、不甲斐ない親で申し訳ない』という気持ちかな。 でもやっぱ、子どもから「自分の居場所がない」「頼れる人が居ない」なんて(SNSで)言われると、哀しいんだよねー。どうすれば良いんだろ? ・・・って、大人も悩みながら生きてるんですよねー。今の私の望みは『子どもの自立(仕事と家庭を持って欲しい)』なんだけど、自分自身に対する望みは…無いかなー。それがイカンのかなー。 回答じゃなくて、親としての自己反省になってしまいました。ご紹介した本を読んでみて下さい。滑稽である事は、別に悪くないと思います。自分の幼少期の貧乏時代の四半世紀も、(当時は本当にイヤだったけど)振り返ってみれば大いに滑稽ですから。長文・乱文陳謝。

xps2300
質問者

お礼

こんばんわ 発達障害ですか、私の弟も発達障害持ちであり高校もそういった人間の集まる学校だったので少しだけ親近感が湧きました。 厳しいご意見ありがとうございます。 >『もともと処世術としてはじめた良い子としての仮面』。大げさに言えば、皆、そうですよ。相手の立場や気持ちを読んで、自分を変える事なんて、皆やってる事。それは、『仮面』じゃなくて『思いやり』とも言えるんじゃないでしょうか。 そうですね。「思いやり」とは言いえて妙でやさしい感性だなと思いました。 少しだけ語弊があるようなので補足します 私は「仮面をかぶらなければいけない人間関係」そのものに落胆したわけではなく、「仮面を被らなければそもそもの土俵に立てない自分自身」に気づいたことがひどく悲しかったわけです。 そして仮面を被らなくても等身大としての自分と相対してくれる相手・家という場が心から安らぐ居場所ではなかったことがさらにそれらの感情を加速させたのだと思います。 自分の力量不足で語弊がありました。すみません。 >複雑な家族背景から、幼少期の暴言・暴力等は必然的だったとも思えます。ご両親の態度は、貴方にとっては望まない言動も、ウラを返せば「自分に正直」な親御さんなのでしょう。親の面倒も見る必要はないでしょう。ただ、そのためには、『自立(仕事)』か『支援(資金的・公共的)』は必要になります。 「自分に正直」 そうですね。母はほんとうに正直な人だと思います。 自立は最もです。自分の人生を自分の価値観を押し通すのであればそれは当たり前なことだと自覚しています。 本の紹介 本を読むのは好きでこういった本もよく読むので教えていただきありがとうございます。 >私は現在、「父親」「夫」「子ども(実母と義母健在)」「ありのままの自分」「社会人(地域や会社)」という様々な立場があって、それごとに顔が異なると自覚しています。全て同じなら、単なるわがままな野郎でしょう。 それぞれの立場があり、それごとに顔が異なる 未だ傘の下にいる自分とは比べようもないほど「仮面」もとい「おもいやり」を持たれて生活されていることかとおもいます。 私は親に対して思うところはたくさんあります しかしそれでも女手一つで育ててくれたこと・ごはんを食べさせてくれたこと・帰る家があったこと。感謝していることは多々あります。 親にしかわからない大変さ、金銭面、こどもの安全 親ではない私には計り知れないほどの重圧があるのだろうなと感じます。 だからこそ私は親を憎んではいませんし違う場所で幸せになってほしいと思っています。 ずっとそういうことも含めて考えてきたおかげか、私は親と呼ばれる人たちに対して嫌悪と同じくらいリスペクトを感じています。 回答者様が仰られるように 「子どもへの助言がへたくそなんだろうな」というのも致し方ないと私は思います。 どれだけ科学的に正しいとされていようと、育てるのはただの人なのですから しかし、私がそう言えるのは今まで長い間考え抜いてきて不貞腐れずに済んだ故かと思います なので今現在お子さまを育ててらっしゃる回答者さまにはぜひ、こどもがなにを感じてどこをみているか 落ち着いて向き合ってみてほしいと、そう思います。 回答者様は 「頼れる人がいない」とSNSで言われるのはかなしい や 「自分自身に対する望みはない」 と書かれていますが、こどもはコミュニケーションに重きを置くのと同じくらい大人の背中を見て育ちます。 個人的な考えではありますが、自分自身に対する望みがない親に対して尊敬の念を抱くことはありません。事実私の親も仕事ばかりで家ではお酒を飲んでスマホを弄ることしかしていない様子からはこの先の人生に暗雲が立ち込めるような気持ちになったりしていました。こどもにとって親とはお手本であり未来なのだと思います。 親にも自分の好きなものがあり、その好きなものに夢中になっている背中というのに子供は憧れ夢想し世界に興味を抱くのだと思います。 頼られる人がいないとお子さんに思われるのが悲しいのであれば回答者様自身が人生を楽しんでいる姿を見せるのが一番手っ取り早いかなと思います。 経験ですが普段どれだけ話していなくてもやっぱりこどもとしては教師や友達といった第三者よりも親に話を聞いてもらいたいものです。 こどもが「頼れない」というのであればそこにはなにかしらの理由があるのだと、私は思います。 親になったこともなくまだ20数年しか生きていない若輩ではありますが 未だこどもであるが故気付けることもあるかと思い、気になったことを書いてみました。 生意気な物言いと感じられたのであれば申し訳ありません。 自分の質問への回答が、親としての自己反省の場になったということ 質問者冥利に尽きるな、と変なことを勝手に思いました。うれしかったです。 質問ともども、長文を読んでいただき、ご意見までくださりありがとうございました。 お子さんとの良き関係を保てることを祈っております。それでは。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34517)
回答No.3

>でもそれと同時に、ここまでしないと自分は好かれないのか、と気づいてしまったんです。 ちょっと手厳しいことをいいますが、そうなのだと思います。 だけどさ、しょうがないじゃない。質問者さんは自分の感情がコントロールできなくて、暴力に出る人を好きになりますか。それは難しいよね。 「自分を分かろうともしてくれない」ことに非常に憤りを感じるのは分かるけれども、質問者さん自身はお姉さんや弟さんのことを分かろうとしましたか。 ここの回答者さんで昔、こんな名回答をした人がいたんです。 「ありのままの誰かを受け入れないのに、ありのままの自分は受け入れて欲しいなんて、そんなわがままな」 って。ごもっともだなって思いました。 自分は努力しないと愛されないのかというのはちょっとキツいですけれど、でもさ、考えてみれば愛される人ってどんな人でしょう。 少なくとも、感情をコントロールできない人、怒る人、暴力的な人ではないですよね。私が知る限り愛されキャラの人はだいたい朗らかで大らかな人です。 いま日本で最も愛されキャラなのは出川哲朗さんですが、彼は90年代から20年くらい、ずーっとどちらかというと嫌われキャラでした。出川さんはよく「チーマーに目を付けられていたから90年代は渋谷を歩けなかった」とテレビ番組でいってますけど、あれは本当でしたからね。それでもあの朗らかキャラはずっと変わらなかったんです。愛されるって、大変ですね・笑。 「俺を理解しようとしねえやつは、ぶっ飛ばす」なんて人は、そりゃあ好かれない。それは無理です。だから社会と上手く折り合いをつけたいなら多少なりとも自分の感情はコントロールできないといけませんしね。 「自分らしく生きる」って難しいですね。まさか質問者さんも自分で自分らしく生きるってことは、俺にとって腹が立つやつは片っ端からぶっ飛ばしてやることだ、とはいわないでしょう?

xps2300
質問者

お礼

手厳しいコメント、ありがとうございます。 仰る通りだと私も思います。 暴力はなにも生みません、コミュニケーションの放棄です。 回答者さんが書かれているようにありのままで好かれるなんて そんなわけがありません。私も強くそう思います。 しかし、語弊があったようなので少し補足させていただきますね。 私は感情のコントロールが下手なこどもでした。だから暴力や物にあたることで自分を示していたんだと思います。 しかし、もともとコミュニケーションとは相互であるべきなんです。 感情のコントロールができないこどもが暴力をふるう・・・・悪いことだ そんな単純な話ではありません。 そもそもなぜ暴力にまで発展するのでしょうか。もちろん私の生まれつきの性質の問題もあります。 しかし一番大事なのは親の対応です そもそも幼少期というのは親からの無条件の愛情が感じられるかどうかでその後に強く影響します。(愛着障害について調べてみるとわかるかとおもいます。) 誤解のないよう申し上げますが私自身が幼少の頃の暴力を正当化しているわけではありません。罪悪感は山のようにあります。 しかし、感情のコントロールがうまいこどもばかりではないのです 暴力そのものを目的とした子供なんていません。 そこには必ず親とのコミュニケーションの欠如が伴います こどもは大人のように賢くありませんしコントロールもききません だからこそ向き合ってほしかった、コントロールが苦手なこどもなんだと認め自分を見てほしかった ありのままを受け入れてほしかったとはそういうことです 暴力を正当化するわけじゃありません しかしなぜこどもが暴力に訴えかけるのか、親族すべてにそこから目を背けられたこと そしてただただむなしくなるだけの感情の爆発でしか己を体現できない自分自身が悲しくてしかたありませんでした。 そういう気持ちを込めてあの文章を書きましたが語弊があったようで、これは自分の文章力に問題がありました。すみません。 >「自分を分かろうともしてくれない」ことに非常に憤りを感じるのは分かるけれども、質問者さん自身はお姉さんや弟さんのことを分かろうとしましたか。 わかろうとはしていません。親がわかろうとする姿勢を見せずに育ったのに未成熟のこどもがコミュニケーションとはそうあるべきだとわかるわけもありません >まさか質問者さんも自分で自分らしく生きるってことは、俺にとって腹が立つやつは片っ端からぶっ飛ばしてやることだ、とはいわないでしょう? 思わないですね。 ここまでくるともう補足せずともその気持ちは伝わっているかと思います。 虐待や教育、DV 世間にも暴力はあふれていますが何一つ正しい暴力などないと私は思います。 自分なりに愛着障害やACについて、こどもや教育について必死に調べて学んだことを自分の過去にあてはめ、なるべく客観的な視点から説明できるよう意識しました。 なのでもしかすると「やれ親のせいだの周りのせいだの」思うかもしれません。 ですがこれは過去の分析であり彼等が行ってきたこと、その責任を現在押し付け 問うているわけではないことをご理解いただきたく思います。 私自身幼少以来暴力は一度もふるっていませんがそれでも感情のコントロールが難しいときがあります。そのたびに「暴力をふるいたくなる、ものに当たりたくなる、だめだ押さえないと」と必死になります。必死になって必死になって取り繕ってやっと好かれたと思うと同時に「これだけしないとだめなんて。」となっていました。 こういうこどももいるのです。好かれるためには暴力はダメだなんてことは青年期になればアホでもわかります。ですが同時にその自身の性質をどう変えていくか、 頼ることを知らない正しいコミュニケーションも身についていないこどもには少し酷な問題です そこらへんをどうか頭の片隅にいれていただければ幸いです。 長くなってしまってすみません。 つまり回答者さんのコメントは私も同意見ではありますが元の質問に対しては的外れであり、その原因は自分の書き方に問題があったと思うので補足をさせていただきました。 改めて厳しいお言葉、長文ではありましたが読んでいただけたこと、うれしく思います。 ありがとうございました。

  • 5mm2
  • ベストアンサー率9% (329/3308)
回答No.2

こんにちは。 長い文章ですが、一気に読んでしまいました。 淡々とした文章ですが分かり易く読み易い、そして面白かったです(笑)。 御免なさいね。 真面目に書いてくれた文章でしょうが、この続きが読みたくなりました(笑)。 あなたは文才がありますね。 そんなに詳しく書かれていないにもかかわらず、登場人物の一人一人の性格や立場が良く分かります。 そして、それぞれの係わり合いもよくわかります。 勿論、あなたの気持ちも良く伝わってきました。 大変でしたし辛かったろうと思いますが、この子なら大丈夫だという気持ちが一番しました。 そしてよく頑張ったなと思います。 そこに行って抱きしめたあげたい気持ちです。 でもそれはできませんが、そんな相手がきっと現れるでしょう。 今のままで、今の考え方で生きていけば、将来は開けてくると思います。 障害のことはよくわかりませんが、無理せず素直に生きていけば、理解しあえ、愛を共有できる人は沢山いると思います。 その為には、自分で障害物を作らないことが大切かもしれませんね。 小説家も良いかもしれませんね。 ここの「アンケート」に、質問や回答をしてみてください。 僕も良くしてるので、心の通じる人に出会えると思います。 楽しみながら、生きる方向も決まるかもしれません。

xps2300
質問者

お礼

こんにちわ おもしろかった、ですか。そういった感想を抱かれるとは思ってませんでした。笑 読んでくださりありがとうございます。 私はよく裏やその裏を考えてしまう癖があるんですね。 それは「父にもこういった感情があったのではないか」「母にも、そして親族にもまた」といったように そして、質問とは短くはっきりとするべきだとは思ったんですが 端的に「家族に見放され信用できません、どうすればいいですか」としてしまうと主観のみになり、登場人物が悪人前提になってしまうのでは、と思いぐだぐだになるんじゃないかと思いつつも、長文にしました。 そのおかげかズレずに伝わったようでなによりです。読んでくださりありがとうございます。 そのような言葉をかけてもらえただけでも書いてよかったなって思えました。ありがとうございます。 今の自分には大切にしたいと思える人も抱きしめたいと思える人もいませんが、「優しくありたい」がモットーなので前を向き続けたいです。 小説は何度か書いたことがありました。私は昔から手紙やブログを書くことが好きで、書くときには言葉のテンポ「音」みたいなものを一番気を付けています。 なので読みやすかったと言っていただけたのはそういったものが作用していたのかな、と。 今回気にして書いていたわけではなかったですが、気持ちのいい文だったようでうれしかったです。 あなた様が書かれている 「心の通じる」「楽しみながら」「素直に生きる」「愛を共有」などなど 私が最もコンプレックスと感じていることで、また最も渇望しているものだと自覚しています。 自分という人間に一番寄り添い声を聞いて 無理せず楽しく生きていけるように、そしてそれらを自分と同じような人たちに伝播させられるように、していきたいです。 ありがとうございました。

  • ninkinoki
  • ベストアンサー率17% (268/1549)
回答No.1

うんうん 本当に大変な人生ですね。自分の家族環境からするとかけ離れすぎていて適切な感想の言葉も出てこないのが率直な意見です。とにかく、今のあなたの経験は貴重だと思いますし、同じ様に悩んでいる人がいるかもしれません、、、是非、その様な方の手助けや一緒に生きる方法を考えたりして救ってあげたりすると、あなたが体験したことがもっとすばらしいことに変化するのかもしれませんね。

xps2300
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね、自分自身今現在誰かになにかを望んでいるというわけでもなくて答え自体は出ているんだろうなって思います。 弱くてダメダメでどうしようもなく人間くさい自分だからこそまた違うだれかの支えになってあげられるんじゃないか。人に寄り添える人間でありたい。と、そう思っています。 だからこそ過去からなる自分の価値観というものを一度見つめなおして、殻を破りたいなと思ってここに投稿しました。 聞いて、意見をくださり、ありがとうございます。

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