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人が亡くなる日の不思議な感覚とは?考えすぎ?
- 人が亡くなる日には不思議な感覚を覚えることがあるのか気になるところです。先月、私の父が亡くなりましたが、亡くなる日には偶然とは思えない出来事が続きました。これらの出来事から、何か超自然的な存在があるのではないかと信じるようになりました。
- 具体的には、亡くなる日に母や叔母がやって来たことや、父が意識のない状態で私の手を握り返したこと、気分の落ち込みや鬱状態が強くなったことなどがあります。また、病室を早く去るタイミングや病室で泊まることを許されたことも不思議な体験でした。
- さらに、最期のときの連絡が準備が整った後に来たことや、父が涙を流していたこと、私たちだけが父と会えたことなど、さまざまな出来事が起こりました。これらの経験から、私は亡くなる日には何か神秘的なものが関与しているのではないかと感じています。
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私自身が不思議な体験をしています。 人自体が不思議な存在だと思いませんか。逆を言えば存在する不思議さ。なぜこのような形、脳、感覚などを持つのか、いまさら進化論を信じる気にはなれません。その本人は終わる時が分かるのではないかと思います。私もいつか迎える最初で最後の機会に答えを知ると思います。あなたも考えすぎとか思わないで、いつか一生に一回知ることのできる時が来ると思われてはいかがですか。お父様は本当にあなたやお兄様に感謝なさっていたのでしょう。人の不思議さ、私はあなたのような体験があってもおかしくないと思います。
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- eroero4649
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意識がなくても話しかけたら反応があったということは、別に不思議なことでもないですよ。自分から反応を返すっていうのはものすごくエネルギーが要るんですけれど、音を聞いたり触れられたりといった受信の感覚はそんなにエネルギーがかからないですからね。 叔父が亡くなったとき、亡くなる一週間前くらいに見舞いに行ったらもう意識もほとんどない状態で、目も開いても濁っていて見えていない感じに思えたので、顔だけ目に映るところに持っていって「おじさーん、お久しぶりです。eroeroですよ。分かりますかぁ?分からないかなあ」って声をかけたら「ワカリマスヨ」って返事が返ってきてびっくりしたんです。たぶん精一杯声をあげてくれたんだと思います。 私も病気で死にかかったことがありますが、そのときも混濁した意識の中でやたら看護師さんに「eroeroさーん、eroeroさーん」と呼びかけられていたことはよく覚えています。うるさいから黙ってくれっていいたかったけれど、エネルギーが残っていませんでした・笑。でも手を握るって行為は人間にとって基本かつ重要な行為なので、手を握ると握り返してくれるっていうのはよくある反応です。 格闘家のアンディ・フグさんが亡くなったときは、心臓が停止したときに耳元で「ワンー!ツー!スリー!」とカウントしたら心臓が動き始めたそうです。ダウンしたら立ち上がらないといけないという格闘家の本能がそうさせたのでしょうね。それが何と3度も続いたそうで、しかし3度目のときはお医者さんが「もう楽にしてあげましょう」と声をかけて静かに旅立っていったそうです。死ぬ間際でも人間は聞こえているんです。 あとのことは、まあ後付けでなんとでもいえる部分かなとは思います。だって何気のない一日で思わぬ事故に巻き込まれて亡くなってしまう人もいるわけですからね。内田裕也さんの綺麗な亡くなり方を「気遣いの人だった樹木希林さんが連れて行った」という人もいるわけで。
お礼
>私も病気で死にかかったことがありますが、そのときも混濁した意識の中でやたら看護師さんに「eroeroさーん、eroeroさーん」と呼びかけられていたことはよく覚えています。うるさいから黙ってくれっていいたかったけれど、エネルギーが残っていませんでした・笑。でも手を握るって行為は人間にとって基本かつ重要な行為なので、手を握ると握り返してくれるっていうのはよくある反応です。 よくある反応なのですね。体験談を聞けて有り難いです!! 確かに看護師さんからも、死ぬ間際でも人間は聞こえているとの話は聞いていましたが、本当なのですね。 そうですね、、言われてみれば後付けと言われることも多いですね笑。私の考えすぎみたいです。 回答ありがとうございました。
- まさしろ(@masasiro)
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これは偶然のコレクションというやつですね。 外れのない当たりくじを沢山集めた。という感じです。 また、フロイトなら無意識の霊媒と説明するかもしれません。 人間はどんな出来事に対しても、自分の思惑を付け加えてしまいます。 よって人間は、事実をありのまま受け入れることが難しいのです。 人間が死ぬ時にだけ不思議な出来事が起こるということには私はとても懐疑的です。 宇宙に内包される自然の摂理は常に不思議に満ちていて、人間の理解は遠く及びません。今生きている。今生きていることの不思議。そういう世界に私達は暮らしているのです。 普段何気ない瞬間にも不思議は(気が付かないだけで)数多く存在しています。人が亡くなる時にだけ「特別」何かが起こるということではなく、それはありとあらゆるところに存在するのだと思います。
お礼
>人間はどんな出来事に対しても、自分の思惑を付け加えてしまいます。 まさにその通りかもしれません、自分の思惑を付け加えてしまっていたかもしれません。 今生きていることの不思議、そして尊さを父の死を通して感じました。 おっしゃる通り、亡くなるときだけでなく何気ない瞬間にも、不思議は存在しているのかもしれませんね。普段は気に止めないだけで。 回答ありがとうございました。
1、4、5の事象は、世間でよく聞きます。 11番の内容は、「・・・守ってくれるから大丈夫だよ。と声をかけた」の守護がないので、内容の理解不能で、スルーします。 >天から祖父や祖母がこうさせた?、神様が見てたような気がしてなりません どう思おうと人の勝手ですから、そう思うなら、そうでよいんじゃないでしょうか。 >それとも私の考えすぎですか? こまかく言うと、2の「→わかったよ、安心して逝くよ、という意思表示? 」とかは、考えすぎのような気がします。 10だって、「→これ以上生きる人に迷惑かけるまいと、あちらに連れて行った? 」。11だって「安心させるため、言わせた?」とあなたは言うけど、それって、こっち側の勝手都合のよい解釈にすぎないよ。よい方へ解釈してるだけ。そう思いたいという感情*が、そうさせてる。真実はどうなのか、だれもわからないよ。 *:そのように思った方が、精神的にこっち側が楽なんですよ。だから、そう解釈しちゃう。 でも、別に悪いことじゃない。心理的に、そう働くのは自然じゃないのかな? 気にしなくていいよ。 それから、ついでにいうと、私はあの世肯定派です。否定したくても、あっちの人たちが放っておいてくれんので(こっちは迷惑なんだけど)。 夢枕に義叔母が立ったと思ったら、その数日後に他界されました。そういう虫の知らせは霊感の有無にかかわらず、どなたでも経験する可能性はあります。 (あなたの「3」は、虫の知らせとは言わないと思います。私には何というのかわからないですが別の言葉があると思います。) 文中で、いやなのは、2の「→わかったよ、安心して逝くよ」です。この言い回しでは、本人以外の誰かが迷惑がってて、「はいはい、わかりましたよ。私が主になのですね。さっさとあっち(天国)へ行きますよ。」みたいな感じに聞こえます。 霊は、そんな風には言いません。 この世に残していく子孫たちの心配はすることはありますが、「自分が邪魔もの扱いされてるから、さっさとあっちへ行くのだ」みたいなことは言わない。言うなら、「私を邪魔もの扱いしやがって!」くらいは思うことはあるだろうけど。 納得して落ち着いてる凡人の霊なら、通常、死亡後、3年くらいは向こうでおとなしくしてらっしゃいます(その間、力をつけるというか、エネルギーを蓄えるというか・・・)。こちらに夢枕とかででてくるのは、それ以降です(かなりのエネルギーが消耗されるそうですので、N〇K朝ドラのサキちゃんみたいに、しょっちゅう夢枕にでることはありえない)。 ところで、「母は父に暴力を振るっていたため」とありますが、お母さんが?なのですか? ?
お礼
1、4、5の事象はよくあることなのですね! なんとなく、自分のなかでそう思う方が楽だから、というか、安心するから思い込んでる部分が多いのかもしれませんね。。確かに真実は誰もわからない。その通りだと思います。 確かによくよく考えたら3は虫の知らせではないですね、なんという言葉が正しいのでしょう、、日本語ちゃんと勉強します( ;∀;) 夢枕に出てくるのってそんな先なのですね!初めて知りました! すごく読みにくい感じでごめんなさい。 感情で書いてしまって、主語無かったり、文章めちゃくちゃで( ;∀;) 回答ありがとうございました。
補足
ご指摘ありがとうございます、暴力振るってたのは、父が母にです。ありがとうございます
- zabusakura
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お父様、亡くなられるには、少し若く、お辛いですね。 私も祖母の時に色々と経験しました。 祖母は亡くなる前は全く食べれなくて意識も朦朧としていました。 もう危ないからと連絡が有り、たまたま、その日は仕事が休みの日で 皆で病院に。 ところが危ないどころか、意識も、はっきりとして、お腹がすいたと ご飯も食べ、ひ孫である、うちの子とヤクルトの取りあいをする くらいで。 たまたまカメラを持って行ってたので笑顔で皆で写真を撮りました。 その、すぐ後に亡くなりました。 長年、県外で、会えなかった祖母の妹が葬儀に来てくれ、写真を 見せると、ものすごく喜んでくれました。 親友が闘病後、亡くなった時もモルヒネで会話が出来る状態ではないと お姉さんから聞いていましたが、私が、お見舞いに行った時には 意識が、はっきりしていて、お姉さんも驚かれていました。 その前に実家近くの病院に転院する話になっていて、「転院したら お弁当、作って来てくれる?」って話しました。 もう一人の友人は、遠くに嫁いだので、間に合いませんでした。 祖母も親友も二人とも同じことを言ってました。部屋中に花が、いっぱいで 香りで、むせかえるようだと。(実際は、花瓶にあるぐらいでした。) なので何かしら有るのかもしれないですね。 父の時は急に入室時にアルコール消毒をしてくれと言われ、アルコールアレルギーの 私は入れませんでした。 でも、会えなかったことが、いまだに父が病院に生きてると言う感覚で 亡くなった悲しさは有りません。
お礼
やはりなにかしら、有るものなのですね。 亡くなる前の人のお話で「お花が~」というのは、なんとなく聞いたことがあったのですが、本当にあることなのですね。 回答ありがとうございます。
お礼
そうですね。人って考えてみれば、本当に不思議な存在ですね。 私も亡くなった一日を見ていて、本人は終わるときは分かるのでは、、と感じました。 そうですね。いつか知ることができる。と思って生きてみます。 「あなたのような体験があってもおかしくない」、「考えすぎと思わないで」、と言われて、なんだか安心して少し泣いてしまいました。ありがとうございます。