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最近のほうが保守的になっている?
- 最近の社会は保守的になっているのでしょうか?
- 昭和の時代と比べて、人々の考え方が変わったのかもしれません。
- 流行が短期間で変わる現代社会において、一緒にする意味を問われる時代かもしれません。
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質問者が選んだベストアンサー
昭和は経済成長が続いて世の中に活気があった時代で、インフレ物価高、高金利、地価高騰が常識だった時代でもありました。昭和の終わりまでバブル景気が続いていましたし、今のようなデフレ社会とは正反対の時代でしたね。 同時に言えるのは、昭和はインターネットが無かった時代でもあります。インターネットが普及したのは平成になった後です。そういう意味では、インターネット社会である現在から昭和を見ると、マスコミに支配された独裁体制時代に思えますね。インターネットで何でも書ける今とは違い、新聞社や出版社に投稿すると、あちこち削除される校正が多くて、自由が無いのがわかる時代でした。出版が衰退したのは自由が無いからだと思いますね。 今の方が保守的だというのは、ちょっと引っ掛かるものがありますが、昭和の頃は保守的な考え方を民衆を騙して植え付けるメディアファシズムが酷かった時代で、当時のマスコミ報道やテレビ番組を見ると嘘がわかる例が多いですね。 今の時代は自己保身しか考えない人が増えたという意味では保守的ですが、昔の保守的だった時代とはずいぶん違うと思いますね。
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- Postizos
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昭和のころは外国に兵隊を送ってがんがん戦争を始めた時代でもあります。 お国のために戦死することが名誉とされた時代で、実際兵隊も一般民も大勢死んだ時代です。 たいへんに冒険主義的で、安全とか確実性はないがしろにされた時代です。 さてこういう書き方をしているのは、質問者様が「昭和という時代」という広過ぎる区分でくくってなんらかの時代評論をしようとしているのが無理だと言いたいからです。 こういう問題を「元号」で区切る論議にはそもそも無理があるように思うのですがどうでしょうか。
お礼
「昭和という時代」でも戦争があったので、それを考えると今のほうがはるかに平和で良いです。
- yaasan
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昭和の頃、良い事と悪い事を知っているというか、少し悪い事をしても他人に大きな迷惑をかけないなら、やっていいという風潮がありました。そこでバランスを崩してやりすぎた時に、周りが諌めて本人が反省したなら何度かは許す、それが多くの人が共有する考え方でした。故に大人は悪いことを知っていて、どこまでなら問題がないか、許されるのか、やっていいか悪いかの境目までよく知っている人が多かった時代だと思います。 平成に入り、あらゆる事が細分化され多様化され、その多くを許容するような流れになりました。しかし多くを許容しようとするあまり、良い事悪い事に関しては「絶対に悪い事はしてはいけない」しか許されないようになってしまいました。悪い事をしない事自体はいい事であり、問題はないのですが、さっき書いた境目を知る人はぐんと減ってしまいました。この境目を「常識」と捉えるなら、常識のない人が増えたように思えるのは当然かと思います。 一つ例を出しましょう。最近問題視された飲食店などでのバイト中(もしくは終了後)のイタズラです。 昭和時代でも同様の行動はあったでしょう。しかし、現場にいる身内以外に広めないようにしたでしょう。上司が見つけたとしても程度が酷くなければ、その場で怒り、後は不問、それが昭和の対処だったと思います。 それが今ではSNSで拡散してしまい(身内だけに公開したつもりでも誰でも確認できる状態に)、多くの人が知ってしまったという点も含めて上司(会社)は解雇を伝えないといけなくなってしまい、果ては損害賠償の話までに発展しかねないようになってしまいました。「境目」を知らないからこそ、悪い事を一切許さない社会になってしまったからこその弊害だと思います。 先に書いたように悪い事をしないのが一番なのは間違いないです。しかし、人は臨機応変に対処し、解らずに悪い事をやってしまった人に対して、内容に応じつつできるだけ寛大な処置をするのも大事なんだと思います。 多様性を許容しようとした結果、極論まで許容しようとして逆に画一的な主張しか許容できなくなってしまっているのが現在です。昭和時代が完璧だとも思わないですが、真に多様性を許容できる社会を実現できればいいなぁとは常日頃思っています。
お礼
>「境目」を知らないからこそ、悪い事を一切許さない社会になってしまっ>たからこその弊害だと思います。 熱心なお答えをありがとうございます。 保守的というより、回答者様が書いた境目の問題だと私も思います。 なにが境目かは決まってないと思いますが、昔はなんとなくその境目が守られていたのが、今はその境目があいまいというかゆがんでしまっているようにも思います。 例を挙げると、(新聞に書いてあったことなのですが)例えば宿泊施設で大きな騒音がずっとしていたら、客はフロントに「なんとかしてくれ。」と言うでしょう。 ところが、大自然の中にある山小屋風の宿泊施設でのことです。 ある家族連れがフロントに言った「音がうるさい。」苦情に驚き、という記事がありました。 その音とは「山小屋のそばの川が流れる音」です。 絶句ですね。ネタかと思うぐらいです。
- NOMED
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私も最近、書かれている「常識」について考えています 例えば、自動車の法令速度などを守ることが常識であるとしたら、多くの「速度を守れ」「スピード落とせ」などの注意看板がないはずなのですが、あるということは逆に、法令速度を守らない人が多く、守らないことのほうが「常識」化していると思うのです つまり、常識である(訴える)ことが非常識であり、非常識であることのほうが常識なのでは?という考えに至っています 選挙がありましたが、各候補者(極左除く)は常識(当たり前)のことを演説しているように聞こえます つまり、世の中がすでに常識ではなく、非常識で構成されていると各候補者は言いたいのだと思うのです 無秩序というよりも、常識と非常識の本当の意味と境界(境目)が、あいまいなのだと思います 書かれているように、そのような状況であり続けている中で、スマホやSNSなどの媒体が増えていますから、確かに移り変わりが激しく思います ただ個人的に、正しい常識人でありたいという・・・意味のわからない目標をもってしまったことは確かです
お礼
ありがとうございます。
- tzd78886
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現実的になってきているのでしょうね。共産主義国家の中国、北朝鮮がとんでもない独裁政権であることが知られるようになりましたし、そういう国に囲まれていて「自衛隊反対」なんてスローガンを掲げる政党は信用できなくなるのは当然でしょう。
お礼
>現実的になってきているのでしょうね。 そうですね。ネットなどであいまいな情報が氾濫していて、夢を持っても、叶わない時代だと思います。 某大型遊園地で着ぐるみを来たバイトの人が、客の子供から「時給いくら?」と聞かれ、「なんだか夢がなくて悲しくなってきた。」とテレビで言っていました。 お答えありがとうございます。
お礼
>昭和の頃は保守的な考え方を民衆を騙して植え付けるメディアファシズム>が酷かった時代で、当時のマスコミ報道やテレビ番組を見ると嘘がわかる>例が多いですね。 そういわれてみればそうですね。 マスコミに支配されてました。今はマスコミより視聴者のほうが賢いと思いますし、今の時代のほうが良いと思います。 少し話が変わりますが、昔は接客業で客がひどい応対をされてもひたすら我慢すするかなかったです。