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女子大生が卒業時に着飾ることを批判する人について
科学者の湯浅年子さんが、著書の「続・パリ随想 る・れいよん・ゔぇーる」(みすず書房)という本の中で、女子大生が卒業時にあでやかな着物を着飾っていることに対して、 「大学の卒業のよろこびという事をああいう形であらわす精神的な低さにがっかりする」 と書いていました。 この人のように、女子大生が卒業時にあでやかな着物を着飾ることを批判する人は多いのでしょうか。 批判する人はどういう人たちが多いでしょうか。 大学は真摯に学問を修めるべきところなのだから、女子大生が派手に着飾って卒業を祝うのは学問らしくないので駄目だというのでしょうか。 こういう意見に反対する意見はあるのでしょうか。
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- fict923ikayoma
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臨機応変って事でしょう。言われていることは判ります。景気の良い時はそうでも景気が後退していますので控えてはどうですかと言う事だと思います。自分家は自営業で、10年位前に姉が成人式に着物を着たいと言いましたが、父が「景気判っているのか」言われ、渋々スーツで行きました。それで大学の卒業式もスーツでした、何れもモテモテで二次会も三次会もラッキッーだったそうです。口では個性を生かしてとかいう女性が、右に倣えは馬鹿にみえますが。我が家では合格は労いますが、卒業は当然で何もありません、就職した時は外食します。
- koncha108
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「大学の卒業のよろこびという事をああいう形であらわす精神的な低さにがっかりする」 そもそも卒業式が大学卒業の喜びを表現する場とも思いません。社会人としてより大きなチャレンジに向かっていくか大学に残ってより高度な研究に進む節目だし、友達と学園生活に別れを告げる区切りの式典。しかも女子大生が好んであでやかな服装をしていると言うよりは、その式典でみんなが着るような袴を履いて場にふさわしいと思われる服装をしてるだけだと思うのですが。逆に私はなんで一生に一度しか履かない袴を画一的に履くのかなあと不思議に思いますが、儀式の暗黙のしきたりに合わしてるだけでしょう。 湯浅年子さんは物理学者なのであらゆることにセオリーを見つけようとして考えすぎてるんじゃないですか?
- santana-3
- ベストアンサー率27% (3891/13901)
科学者は自分の研究以外には、全く興味がないので、一般人の常識とかけ離れている場合が多々あります。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6892/20379)
批判する人はどういう人たち 単なる妬み嫉み お金の使い方について もっと有意義な使い方があるという人 ( 和服に袴 という めったに使うことのないスタイルなど ) 着飾れない人たちに配慮しろ などということでしょうか。
- eroero4649
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日本には「ハレとケ」という文化がありますからね。卒業式はハレの日なんだから「晴れ着」を着るのは当たり前のことです。それは文化の問題ですもの。 湯浅先生は根っからのリケジョだったので、そういう日にわざわざ服装を替えるのは非合理的に見えたんじゃないでしょうかね。 またあのくらいの時代は、知的な文化人は「こういうのがあるから日本はダメなんだ。それに比べて欧米は・・・」と西洋文化を持ち上げて日本をディスるのがお約束の時代でもありました。そういう時代を知っている者としては、「日本スゴイ!」の礼賛が盛んな昨今はちょっと気持ち悪く感じる部分もあります。
- human21
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女子大生が卒業時に着飾っても、何も問題ないと思います。 成人式に着飾っても問題ないのと同じです。 湯浅さんの意見は、個人の意見であって多数意見ではないと思われます。 着飾ることを批判するのは自由ですが、女子大生が着飾る事も自由です。 本当に精神的に低いのは、成人式などで暴れている人間だと思っています。
- iwashi01
- ベストアンサー率17% (187/1051)
着飾る人間は頭がカラッポ、というのはまあ1つの偏見ですね あでやかに着飾って、且つ、学問でも好成績という人だっているわけです 批判するなら、 日本の大学は学問を真摯に修めなくても卒業できる、という点なんじゃないですかねえ まあ、昨今は昔ほど楽じゃないようですけどね
- NOMED
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- g27anato
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あでやかさを求める人は、そこに何らかの価値が有ると信じているのでしょう。 時代の流れや歴史を知る人は、人生の通過点に如何なる意味が有るのか疑問を感じているのでしょう。 個人が物事を如何様に捉えようと、それ自体は個人の自由です。 「がっかり」という表現は個人の感覚を示す表現です。 それを「批判」とするには無理が有ります。 「大学」というものを肩書きや名誉の象徴と捉えるか、 自らの人生に重要な知識を得る場と捉えるか、 或いは単なるイベントと捉えるか、 同じ場に集った者全てが同じ目的、同じ価値観、同じ意味を求めなければならないという決まりはない筈です。 全ての者が同じ考え、同じ捉え方であるべきという、主義を押し付けるべきではないと考えます。 考え方は自由なんだろうし、行動も自由なんだろうから、 感じ方だけ自由であってはならないということにはならないだろうと思いますよ。 どちらも自分なりに感じてる事を自分なりに表現しようとしてる事です。 どちらか一方が、もう一方を規制しようとするなら、 その時点で自由主義は全体主義に移行することになります。
- bunyago
- ベストアンサー率40% (179/441)
私は、50代の主婦です。 世の中が着物離れしてきてると言ってるのに そんな事を言う人 いるんですねぇ。 アニメの『ハイカラさんが通る』が ヒットして 卒業式に袴を履く人が出てきて 私も履きたかったなぁと思いましたよ。 電車や街中で 着物姿を見かけると 卒業シーズンかぁ 成人式かぁ 花火大会かぁ と 忙しい私達に季節を教えてくれます。 卒業式に着物?!いいじゃないですかぁ。 肌の露出が多いわけじゃなし 脚までも隠れてるのに…。 もしかしたら 湯浅年子さんが生きてた時代の日本が フランスと比べて科学における女性の地位が低い事で 着物に対して 不快な印象が有ったのかもしれませんね。 着物って動きにくいから 女性を縛り付けてるイメージも有るから 「知的な貴方達が なぜそれを着るの? 日本の女性は、もっと開放されなきゃいけない。」 と言いたかったのかも しれませんね。 でも現代では、女性を縛り付けてるイメージなんて ありませんよ。 『ハイカラさんが通る』の主人公は、誰よりも 活発でしたからね。
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お礼
湯浅年子さんは、「着物」を不快に思ったのではなく、「あでやかな服」を不快に思ったのだと思います。 回答ありがとうございました。