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生きる価値

生きる価値 生きてる価値 この二つの文言の解説を出来る方がおられましたら、是非ともお聞かせくださいませ。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tomy-eye
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回答No.3

生きる価値 生きてる価値 そんなもんはない。 腹が減るからおまんま食べて糞して寝ているだけ 本能に忠実に生きているだけ こんな愚門に答える人こそ、無駄に生きてるだけの無価値人間 私はその筆頭にいる。 嘘だと思ったら青空爺地蔵の他の回答を見やしゃんせ。 でも若しかしたら、生きる価値、生きてる価値を滔々と述べられる哲学者もいる。かな?

agnes20
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 哲学する事を生業とされてる人のご意見を拝聴するまでもありません。 人それぞれが考える事、それこそがそもそも哲学なのですから・・

その他の回答 (2)

回答No.2

【補足】労働こそが人間を人間足らしめている最大の要素。  人間は、労働をもって自然を改変することで文明と社会とを築いてきたことは周知のこと。そして、全ての人間が働くことを止めたら全世界は一夜で崩壊することは自明。労働こそが、それぞれの人生を築く最大の要素であることは疑う余地もない。  さて、そうは言うものの、現実社会では労働者は搾取と収奪をされる側として存在していることも真実。しかし、だからと言って、《労働が、それぞれの人生を築く最大の要素である》ことには違いない。そこで大事なのは、己の階級としての自覚を持ち、己の階級的立場を堅持して生きるかどうか?それは、決して、労働の日々と距離を置くことを意味はしない。 >働きたくても働けない! と言うが、我が孫はIQ=45という障碍者であるが、立派に工場労働者として働いている。相当な理由がない限り、人それぞれの条件に応じて労働をもって社会参加することが肝心。それが、生きると言う事。  「働けど、働けど…」と時には嘆きつつも、搾取と収奪とは無縁の社会へと前進する歴史の流れの存在に確信があれば、労働者は労働者としての誇りをもって生きることができる。己の損得を横に置きつつ多少なりとも世の為、ひとの為に、その労働の成果を還元することをもって、誇り高く生きることができる。  生きる価値云々と思弁的に語るのは哲学者に任せよ。大事なことは、世界を変革することである。我々は、マルクスが、かのフォイエルバッハ論で述べたテーゼの一節を決して忘れてはならないと思う。再度強調しておけば、大事なことは、労働疎外社会を否定する社会の実現に我が労働の成果を役に立てること。もって、人生に働く者として働く者なりの価値を付与すること。肝心なのは、解釈ではなくて、その実践の様ですよ。  「労働こそが人間を人間足らしめている最大の要素!<>働く者食うべからず!」とは、余りにもプロレタリアートにあるまじき発想ですよ。

agnes20
質問者

お礼

PS ありがとうございます! 私は生きてる価値を働くことに見いだしてません。 ジャンボ宝くじの一等に当たれば働くことなく人生を謳歌することでしょう。 社会貢献の為の労働でもないし、ただ今を生き抜くための手段として働かざるおえない現実が在るからです! 井の中の蛙大海を知らず 世界には私達が知らない風景や暮らしが沢山ありますが、その一端を知るのはもっぱらメディアからのみで、自分自身の五感で知り得たものではありません。 そういう体験をする原資が無いので、自ら働いたりスポンサーを捜したりするのですが、未知の世界を知ることは結果の良否の判断は別としましても、生きていてこそ知り得る可能性があるものです。 日々の労働に明け暮れ、家と職場の往復のみで年月を費やし、働くことこそに生きる価値・生きている価値 があると断言される回答者様は、極身近な日常にも日々刻々と変化され行く姿に鈍感なのかもです(失礼) 経験上の面積が狭いと、どうしても視野が狭くなり考えに柔軟性が乏しくなります。 私は働くことは生きる価値・生きている価値とは思いません。 あくまでも生きるための手段の一つです。

回答No.1

1、生きる価値・・・・命があり働き続けることに意味を見出している意。 2、生きている価値・・命があり働き続けられる状況に意味を見出している意。  まあ、どちらも大して意味のない解釈です。大事なことは、如何に己の労働を価値あるものにするのかということ。大事なことは、己の労働を価値あるものにする状況を如何に維持していくかということ。そういう日々の生き方を抜きに、生きる価値がどうのこうの、生きている価値がどうのこうの。単なる思弁的な言葉遊びにしか過ぎませんよ。

agnes20
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 働くことの定義の範疇を何処まで広げるか? 回答者様のご意見は正に自営業をされてる方々にに当てはまります。 資本主義社会では、そもそもが好むと好まざるとに関わらず生まれ育った環境に資産のある環境に身を置いている人々がおります。 投資をして利益を得る、株の配当金もそうです。 こういう立場におられる方々をマルクス主義ではブルジョア階級と呼び、大企業の株を手にしていて株主総会での発言権をも持っている方もおられますが、世界の人工比率から換算すると極々少数のブルジョアの人々に世界は動かされており、私たちプロレタリア階級の者は社会構造をピラミッドに例えればピラミッドの底辺で労働をしておりますが、労働代価は少なく日々のささやかな楽しみや家族の幸せを生きる糧とし、企業や労働現場で働いて正当に得るべき賃金はコストカット上搾取されているのが事実です! では、回答者様の労働は回答者様が生きている上で大きな価値となっていることは確かでしょうが、生きる価値・生きている価値=働く? 原資であることは否定しませんが、 働きたくても働けない人もそれぞれの環境・事情により多く存在している現実も分かって頂きたく思います! 回答者様のご意見は、言うなれば働かざる者食うべからず! ということに帰結してしまいます。 生きる価値 生きている価値 それは人それぞれの価値観に委ねられます。 回答者様のお考えは分かりましたが、そもそもの根元的な次元で発想の違いを感じました。

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