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今さらの築地問題

NHKスペシャルで、築地の歴史を振り返っていましたが、 何が問題で移転したのでしょうか。 手狭になったから? 土壌から薬物が出たから? (その場合はなぜ薬物が?) それ以外?

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  • eroero4649
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回答No.5

そもそも築地に市場が作られたのは、関東大震災によってなのです。それまでは主な魚市場は日本橋にあったのですが震災で壊滅し、じゃあどこにしようかとなったときに当時は「閑散」としていた築地に作られたのです。 築地に作られたのには、場所が鉄道線に近いという理由もあります。築地市場が扇型のユニークな形をしているのは有名ですが、これはかつてここに貨物線が引いてあって貨車から直接荷捌きをしたからです。 ところが戦後になって都内が発展するようになって、手狭になったのと大正時代以来ですからさすがに老朽化が激しくなりました。火災に対する備えも不十分ですし、なにより大地震が来たらもう大変なことになります。それに流通の主流が鉄道からトラックになったら交通面でも不便となりました。 そこで都内中心地からは少し離れていて、できれば高速道路へのアクセスも良い場所に立派な施設を作って移転しようという話になるのはまあ当然というか必然というか、そういうものですよね。 移転計画そのものは悪いことではないですし、防災面から考えてもいい考えです。築地では拡張することもできません。移転先は埋立地になるのもまた当然でしょう。都区内でまとまった土地を確保したいなら埋立地しかありません。ただ、ちょいと移転先に問題がありました。豊洲市場が計画された場所は、かつて東京ガスの工場があったところだったのです。化学工場だから、土壌が汚染されているのはお勉強が多少できて常識がある人なら誰でも想像がつきそうですが、なぜかそこに決定されたのです。それを決めたのは、石原慎太郎のお爺ちゃんでした。 で、ここからはあくまで「噂」です。なぜ曰くつきになりそうな場所になったのかというと、当初は旧東京ガス跡地は大型マンションなどを計画していた。けれども場所が土壌汚染されているとなると、当然のことながら公けになると売れない。だからマンションは建てられません。けれど企業などを誘致するといってもお台場でさえちょいと余り気味の状況では企業は入らない。なのでここに市場を作るってことになったと。その過程では結構裏工作のためにお爺ちゃんに対して裏金が動いたとかどうとか、ま、いろんな噂があります。 そしてここからは私の意見です。同じく老朽化と建替えが計画されていた国立競技場をお台場辺りに作るって計画があったんですよ。東京オリンピックの招致活動のときにそんな話が出ました。東京ドームと神宮球場も手狭なので、競技場とドーム球場を作ろうって計画がね。 それがいつの間にやら市場になりましてね。まあ競技場も何万人もの人が集まりますが、そこに住んでいるわけでもないし、あの辺りだったらスポーツイベントやコンサートで大騒ぎしてもあんまり近所迷惑にならないと思うんですけどね。まあ競技場ならゆりかもめだけでは客をさばききれないですから他の交通手段を整備しないといけませんけどね。

gesui3
質問者

お礼

そうでしたか。 詳しくありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • g27anato
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回答No.6

No1 質問本題は 「何が問題で移転したか?」 でしたね。 あくまでも移転理由の中心は「施設の老朽化」だった筈です。 築地の汚染を移転理由とした場合、ワザワザ強い汚染不安のある豊洲に移転するのはオカシイということになります。 確かに築地にも汚染不安は有ったでしょう。 でも、移転理由は施設の老朽化と衛生環境だった筈です。 それに対して移転反対者の多くは築地への愛着から移転したくないというのが本音だっただろうと思います。 だからこそ豊洲の不安リスクが解消されない限り移転に賛成できないでしょうね。 本題に戻りますが 「手狭になったから」は理由の一つにすぎません。 「土壌から薬物」 築地なら水銀の話でしょ? 米軍のクリーニング工場と水銀の関係は解説してましたか? 終戦当時のクリーニング工場なら施設の大半が地上の設備です。 築地市場開設時には、当時の技術の範囲で汚染除去は行われた筈です。 水銀が問題だとしたなら、築地開設から今まで数十年もの長いあいだ、何も問題にならなかった事のほうが大問題ではないでしょうか。(都民の食と命を預かる施設なんですから。) たとえ築地にも汚染不安が有ったとしても、豊洲の工場跡地のほうがより土壌汚染の危険不安が強いのに、築地の汚染だけを理由の中心にはにはできなかったという行政の都合も有ったかもしれませんね。 築地の汚染が表向きの当初理由にはなってなかったと記憶してます。 豊洲の汚染不安が大きくなってから、移転反対派を説得するために「豊洲なら対策できる」という話だったと記憶してます。 それが豊洲で手抜き工事と思われる事態が発覚して、汚染物質も検出されたことから移転反対が再燃したというのが、問題の経緯だったかと思います。 「それ以外」 行政には行政の都合は有るでしょう。 築地の来訪者が増えた事も手狭とする理由になるでしょう。 築地を別の用途に使いたいという話も聞いた記憶はありますが、 築地の業者が移転を希望したという話は聞いたことがありません。 どちらか一方の立場から見ると相手側の考えが理解しにくい部分も多いのではないでしょうか。 移転を決定した「行政」には行政上の都合も有ったのでしょう。 反対した業者にしても「愛着」があれば移転したくないと思うのが普通でしょう。 行政が業者を完全に説得できたとは思えません。 業者が移転問題を完全に納得したとも思えません。 以上、私が知る範囲で回答を進めましたが、 何某かの問題が積み残されたままだからこそ、この質問のような疑問が残っているのではないでしょうか。

gesui3
質問者

お礼

3度の回答、大変ありがとうございました!

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.4

No1 「なぜ反対論?」 築地では問題にされてなかった、移転先豊洲の土壌環境が理由です。 移転先決定時から豊洲の地下で環境汚染物質の存在が懸念されていたからです。 実際に豊洲完成時も、使用されない地下とはいえ手抜き工事と思える部分が見つかり、更にその地下部分から汚染物質が検出されて、 築地に対する愛着から残って営業を続けたい業者を中心に大問題となりました。 (そんなに古い話ではないので、当時のニュースを検索すれば分かるかと思います。 「なぜ薬物が?」という疑問についても、以前豊洲に化学系工場が有ったことから懸念として紹介されてました。) …その汚染物質検出問題が不安に火をつけ、移転時にも反対論が残ったものです。

gesui3
質問者

お礼

汚染物質も薬物も、築地のことで言及しました。 NHK番組では、米国駐留軍のクリーニング工場とかと言っていましたね。 どちらに行っても、汚染物質はあったのではないでしょうか?

  • souji77
  • ベストアンサー率34% (489/1427)
回答No.3

営業しながらの改修では維持していくのが難しくなっていたから。 取り壊して建て直す場合、営業するために仮移転、出来上がったらまた戻すとしても結局同じくらいの土地が必要になるため、移転としたのでしょう。

gesui3
質問者

お礼

営業しながらの改修よりは、断然、移転でしょうね。 ありがとうございました。

noname#252929
noname#252929
回答No.2

施設の老朽化と、同じくらいの問題として。 築地というのは、銀座のほぼ隣で、東京の一等地です。 そこに比較的広い土地があり、その土地を再開発に使えば、大きなお金が動きます。 老朽化より、再開発の方が大きいとも言われています。

gesui3
質問者

お礼

大資本が食指を動かした、ということですね。 これならありそうなことですね。

  • g27anato
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回答No.1

急に問題が起きたとかではなく、施設全体が古くなってる事が大きな問題となりつつあったのです。 現在地での増、改、新築、いずれも敷地が狭く不可能な状態で、かといって市場を長期間休場するのは東京の食流通を考えると無理だという判断だったようです。 そこで様々な条件を考慮しながら新たな候補地を探した結果が豊洲移転という結論だった。 …どうもそういう事らしいです。 確かに手狭まということもありましたが、 それよりも旧時代の老朽化した設備が衛生上の問題として、現代の事情に適応できないという指摘も有ったようです。

gesui3
質問者

お礼

> 旧時代の老朽化した設備が衛生上の問題 とするなら、廃止は必然ですが、 ではなぜ反対論なども根強くあったのかが、逆に疑問です。