人間の正しさについて
22歳学生です。
自分の生き方や信念に関して色々考えることが好きでよく考えるのですが、その中で一つ、思ったことがあります。
一般的に言われる「正しさ」(あるいは「間違い」)は、結局人間の好き嫌いに基づいて出来ているものなのではないかということです。
数学などの正しさは「こうであればこうである」と正しさが絶対的なルールによって決められているのでそれは別物とします。そういうものではなく、例えば法などで、なぜ犯罪が裁かれるべきものであるかというのは、結局大勢の人がその犯罪を何らかの形で「不快に思う」からではないかと思うのです。法は大勢の人が不快に思うものを禁じ、罰するものだとしたら、それは「正しさ」に基づくものではなく人間の「感情」に基づくものであると考えました。
そうなると、「正しさ」とは人間の感情を正当化し覆い隠すものになります。本当は、人間の行動は「正しい・間違っている」という次元で考えるのはおかしいのではないでしょうか。つまり人間のする全ての行動は「正しい」...と言ったら語弊を生みますが、つまりは「あってもいい」という結論になるのではないかと思いました。相反する行動であってもです。人それぞれ自分の信念、感情、経験に従って自分が「正しい」「正しくない」と思った行動をする、しかし、それはつまりは自分の感じ方、感性に左右されるものであるということです。
人生に答えはない、とよく言いますが、それと同じことだと思います。
もしも人が己の正しさを信じそれに基づいて行動すれば、当然正しさ同士がぶつかるはずです。自分の正しさを信じ行動することが大切なのかもしれませんが、それはあくまで自分の好き嫌いから起こるものだと理解していないと、正しさの押し付け合いが始まるのだと思います。
そこで、私はこれから自分の行動は全て「あってもいい(間違ってはいない)」と認識することにし、自分の行動がたとえ自分で納得いかないものだったとしても、それは間違っておらず一つのあり方であると考えることにしようと思いました。また、人と考え方が違っても、相手の考え方は間違ってはおらず、ただ自分が嫌いなだけなんだと認識することにしました。
あまり日常的にこのような考えを喋る機会がなく、このような考え方に対して何か批判があればと思い、投稿致しました。