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母親を許す努力をしましたが、なかなか難しい
- 私は、母親と兄に対して許せない気持ちを持っていました。しかし、他人や友人からは「家に残されていることが愛されている証拠」と言われ、反論することが難しい状況でした。
- 私は母親の嫌がらせにより、統合失調症を発症しました。その後も服薬を続けています。しかし、あるブロガーの記事を読んで、母親を許すことについて考えるきっかけを得ました。
- 私はまだ母親と同居していますが、最近は彼女の非言語的なしぐさに対してあまり気にならなくなりました。物事を俯瞰してみることで、自分自身が落ち着きを取り戻すことができたのです。皆さんの意見を聞きたいと思っています。
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許すと言うことは難しく一生かけての仕事かも知れませんね。 人によるのでしょうが。あなたの場合は引っ付きすぎてるのも原因かな? 距離を置くのがいいけれど、それは無理なことでしょうか。 生活保護がどのぐらい辛い思いをするのか知らないのですが出来るなら 別居がお母さんの為にも良いのではないかと思います。 お兄さんも自分の事を自分で考えて頂こう。 キリスト教では先ずは許す事が教えの最初らしいです、人より損する側に いて得しない心を持つそうです、クリスチャンではないので本からです。 「イットと呼ばれた子」本で確かそんな題名でしたが母親は子供をイット (それ)と呼び虐待し、火であぶられたり吐いた物を食べさせたり信じられないぐらい。母の用事はさせられお腹が空いたとと言えば排泄物を口に入れられる。 子供は何故母はこうするのかな~ばかり考えます。 内容をすべて覚えていませんが子供にとっては何故?母は僕にこんな事を させるのか、そればかり考えて別の所で成人して母を訪ねて聞きます。 どうして?母はお前が嫌な子だったから。 それを聞いてママ、さよならと言います。もちろん実話です。 私も多少、つらい時期があったのでそんな本を読みました。 世の中には信じられないような事がどこかで行われています。 兎に角はあなたの精神だけは健康であって欲しいです。 向上心を持っていると平穏な生活、感動の涙、笑いが来ますように。
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- HeyXey
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こんばんは。同じ「許す」という言葉を使っていても、使う人のバックグラウンドにある世界観・人間観が違うと、意味が違ってくる場合があるのです。僕は行動分析学(別名メリットの法則)的な人間観を持っていて、人は状況に適応するように行動しているだけだと考えています。たとえば、アスペルガーという障害はザックリ言うと「他者の身になって想像できない」という障害なので、彼らには思いやりがない、反省できない(=客観的に自己を省みることができないから)、他者を赦せない(ある程度他者にシンクロしないとゆるすことは出来ないから)のですが。脳の機能的な問題からの言動だと考えれば、私たちはアスペルガーの失礼な言動も許せますが、そういう知識がない人は彼らの人間性に問題があると考えるので、腹を立ててしまいます。 廊下のバケツにつまずいたお母さんは、『誰ですか!こんなところにバケツを置いたのは』と叫びます。もし、貴方が躓いたのをお母さんが見れば、『もう、あなたはそっそっかしいんだから、もっと注意しなさい』と言うでしょう。電車でお年寄りに席を譲った人を見て、「優しい性格の人だなぁ」と思うかもしれませんが、その本人に尋ねると『前にお年寄りが立っていたので』とその理由を述べるでしょう。約束の時間に遅れてきた友人のことは「だらしのない人だなぁ」と思い、自分が遅れた時は「道が予想外に混んでいたから」「急にお腹が痛くなりトイレに行っていたから」と理由が分かっているでしょう。つまり、良い事でも悪い事でも、他人の行動の原因はその人の内面(性格・人間性)に原因があると思い、自分の行動の原因は外部環境(自分の置かれた状況)が原因であると思う、そういう傾向があるのです。このことを心理学では“原因帰属理論”といいます。 この原因帰属理論をさらに発展させて、私たちがよく使う「性格がいい」とか「性格が悪い」とかが幻想で、その人が持っている能力と置かれた状況がその行動を決めるのだと、僕は仮説を立てて物事を見ています。 「ゆるす」とは「仕方がなかったんだ」と納得することです。そういう受け止め方が自己肯定をおびやかす場合、つまり他者を許せば自分が間違っていることになるゼロサム関係だと、ゆるすに許せないのです。 『許すも許さないも人間はそんなに偉くない』 許すという行為はすばらしいことですが、その許すという行為の中にも『今回は許してやるから有り難く思え』という傲慢さが潜んでいます。他人が許せないという人に限って、自分の欠点やミスには簡単に目をつぶります。人生は死ぬまでが修行だとも言えます。他者の欠点やミスにかまっている暇があるなら、自分のことを反省すべきでしょう。 許せないのなら仕方がありません。そのまま前を見て歩いていきましょう。許すという行為は神や仏にしか出来ない行為なのです。
- nagata2017
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住居を移して 生活保護を受給して独立して生活できるようにしたほうがいいと思います。
- bekky1
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【皆さんはどう思われますか? 単純に人の意見を聞きたいです。】 単純に申し上げます。 母と娘と生活していると、母親として許せない部分と、オンナとしてどうなのという部分がどうしても、整理されません。 育て、屋根を与え、今の住環境を提供されるなら、それは、「親」として 当たり前ですが、自分が親になるなら、それらが決して、簡単で楽なことではないと知ります。 ゴミを捨てる、片付ける、掃除する、食事の支度、家としての手続き、その他、家事一般、自分がなさないことがなされていることはすべて、「親」の仕業。 これをさりげない労働として、感謝するか、 「お前がやらないから・・・・」と嫌味な行動としてあなたを卑しめてくるいじめ?ととるかはあなたのかってですが、「親」としての行動規範です。 同性としての「オンナ、社会人的な大人」として見たときには、 言動と、実際の行動の不一致をみると、尊敬に値しなくなります。 あれこれ言っても、自分でやらない、できない、したくないのでしょう? ・・・という、簡単なことです。 もちろん、互いにということ。 さらに、あなたが果たして、 同じことが不出来な「大人のオンナ=母」としても、 できるかどうかも問題です。 もう、ベビーじゃないからです。 たとえ縦のものを横にするにも、自分ではできないベビーじゃない。 意志をもって、自らうごくなら、他人=親の意志もまた尊重スべきは同等だから。 嫌うなら、嫌われる。 拒否するなら、拒否られる。 理解したくないなら、同様。 それらを認めなくても、認められなくても、 いつの間にか親と子の立場?は逆転する、たまさかには、突然に終わることもある。 そう、年取って、できることもできなくなるし、突然の死去?不在?で「屋根」があったことを思い知らされる。 もう、あなたがベビーの時間はすでにしてタイムアウトです。 壁となる「親」がいるから気に入らない。 だけと、壁が抜けたら困るのはあなたです。 壁のない家、次は屋根もない家としての「親」には、次に壊していくのは柱しかなくて、すると、あなたには、「家」がなくなる。 反抗する相手がいるうちは、ムカつくでしょうけど、一人じゃないのですよ。 失って初めて分かる、「一本」で立つということです。
お礼
回答ありがとうございました。 嫌うから嫌われる、それはある場合には正しいけれど、私と母については正しくはないですね。私は物心ついたときから母が好きで、でも一緒にいてもあまり安心できなかったので、いつも母や父の顔色をうかがう子供でした。そしてそれでも母が好きだったし、母にも私を好きと言ってほしかった。 あと、私は家事も負担してます(金土日と食材を買って、料理して、猫のトイレ掃除、皿洗い、水回りの掃除などしています。料理以外は金土日以外にしています)し、家にお金も入れています(不労所得があります。その半額と、残りのうちから保険のきかない薬の代金を毎月支払っています)。母がいずれ居なくなることを想像しても、別に何とも思いませんし、感じません。それならそれで、むしろすっきりすると、本人には間違っても言えませんが思っています。 母がいなくなると困ること…買い出しの時、安くて品物のいい店舗に行けない(嫌な思いをしてトラウマなので)、そのくらいですね。それだって、私は障碍者なので公的機関にお願いすることができます。なのでほぼ全く困りませんね。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
- ベストアンサー率31% (3132/9928)
前回の質問を見ていないので誤解があるかも知れませんが、「母を許せ」という回答は無責任だと思いますね。 実際に被害に遭っていないからそんな事が言えるのです。 ストレス発散のサンドバッグ代わりにボコボコにするために家に置いている場合もあります。 速攻逃げて!絶対に母親を許すな!!ってアドバイスしたいですよ。 お母様のせいで統合失調症になったなんて凄まじいですね。。。 逃げる事が出来るのならどんなにいい事か・・・ お母様のことが気にならなくなってきたとの事ならば、少しは解決しつつあるって事で大丈夫ですか?
お礼
お返事が遅くなりました。申し訳ありません。ほかの方の文章も、二度三度と読み返したのですが、やはりどんな方も「自分の経験、自分の人生、人生観、価値観」でしか物事を見ることができず、それは私だって同じですが、いくらなんでも向う見ずに質問してしまった、わかってもらえないのなんて当然だ…という気持ちが残っただけでした。 なので、ほかの方へはお返事できません。でも、こちらの回答者さんは、私の身に寄り添うように、「共感」を示してくださいました。それには何度感謝しても感謝しきれません。私の気持ちがわかってくれた! という感動を味わって、すごく嬉しかったのです。 私はそして、まだ前のように、母と二人の生活を続けています。母に「全部守るのは無理! だからー、一つだけ言って! どうしてほしいの! 」と言われたので、考えて「嘘をつかないで」と申し渡したのですが、母はそののちすぐ、しかも二回嘘をついています。あんな、嘘と欺瞞で塗り固めた人間に、嘘をつかないでいろって言ったって無理なんでしょうね。 もう母とは他人でも身内でもない、親しいオバサンくらいの気持ち、六分くらいの気持ちで接しようと思います。それで全く支障もないし、寂しいわけでもありません。私は私を育てようと思います。私を豊かに実らせたいです。 ここまで読んでくださってありがとうございました。お互いに親には恵まれませんでしたが、これからも一番自分を大事にして、なるべく冷静に、哲学しながら生きていきたいですね。
- pipipi911
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お母様は、幼少期からの生育史の中に 溜め込まれている負の感情エネルギーの 影響で、エスプリに歪みが生じてしまっている ので、お母様のエスプリの中に存在していて ルサンチマン・ホスティリティ・アグレションetc.の 情念を生じさせている負のエネルギーが クリアされない限り、解決しないと 想われますので…その辺のことを上手に 処理することをお勧めしたいです。 [許すことは大事ですが、 お母様自身が家族を許せて、 ルサンチマン・ホスティリティ・アグレションetc.が 消滅しない限り、継続されてしまう確率が 低くないでしょう。 〈お母様には、引き摺り続けている挫折(感)や 長い年月、実現できていない願望等が ないでしょうか。それらを知ることも してみませんか。改善はアノ手コノ手 なんですけどね〉 問題解決の有力のツールである「マインドマップ」 「マトリックス図法」「連関図法」 「特性要因図」を活用してみることも お勧めします。書き方は、検索すれば 解ります] お母様に、 家族をアタックすることで、 どのようなカタルシスが得られているのか を訊いてみませんか。 他、お母様を「マイナスの恩人」と想うことも 進めてみませんか。 「マイナスの恩人」は、検索してみてください ませんか。 お母様も含めて、家族の全員が 1日1行で宜しいので「嬉しかったこと日記」 「よかったこと日記」を書くようにする ことも行ってみませんか。 人の脳は、自然状態では、喜びや 怡しさを求めていますので、脳に継続的に 喜びや怡しさを感じさせてあげることで、 歪みが矯正されることが期待できそうな 雰囲気を感じます。 Good Luck! Ciao.
- NAYAMINAKUNARE
- ベストアンサー率14% (307/2063)
まえの質問がわからないのですが 親を許す≠他人を許す と思います。 何があったかさ分かりませんが、 許すのではなく、無関心が1番良いですよ。 許そうとすると葛藤するんです。それは、 許せないからです、 無理に許そうとせずに 無関心でいれば、気にならなくなっていきます 俯瞰とは、違った見方で見れているのです。 他人ならそのまま縁を切ってしまえば良い 親なら、あなたが何歳かわからないけど、 唯一無二で、 かわりはいません。 他人には変わりはいるけど。 答えはあなた自身で出すべき。
補足
回答ありがとうございます。 無関心はちょっと難しいと思います。母は私と長い子と二人暮らしをしています。私は働けないので年金をもらっています。自室はありますが、二人で暮らしているのに無関心は無理です。 生活保護は地獄だと、本で読み知りました。察しの付くこともたくさんあり、検討していません。 それにもう少し気持ちを話すと、私は母のことを憎んでいたのだけれど、あまりにつらいので、自分を冷静にして、物事を俯瞰で見るようになりました。 そうしたら母のことが無関心…でいられるような感じになりました。普通に接して会話もするし、嫌がらせももちろんありますが、それもスルーするように。これが、その「無関心」でしょうか? 関心はあります。介護になったらどうしようとか。同じ大きな調味料のボトルを、買ったのを忘れてしまって大きいのが三つも家にあるのです。話したことも忘れてしまうし、言ったことも初めて聞くみたいに聞いたり。正直介護はできないですが。
お礼
回答ありがとうございました。 失礼ですが、私の貼った、リンク先の文章を読んでいただけましたか? 許せ、って言われて許そうとする。でも状況は変わらない、関係性も変わらない。だからますます(1)それまでも悩んできた状況、関係性に悩む (2)許すことのできない自分に悩む 、ただそれだけです。 自分にも欠点があるとか、そんな低レベルの議論をしているわけではないのです。心が破壊されるほど、人に絶望を味わわされたこと、ありませんか? 無いのでしょうけど…。 私も「単純に意見を…」と言ってしまったので、本当にただ単純に物申す人がいることを想定していればよかったです。