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アメリカの雑誌はなぜ「◯◯の100人」が好きなのか
アメリカの雑誌では、よく、 「世界で影響力のある100人」 とか、 「世界で最もパワフルな女性100人」 とか、 「◯◯の100人」という、100人の順位付けをしたリストを作るのが好きですけれど、 なぜ、アメリカの雑誌は、100人の順位リストを作るのが好きなのでしょうか。
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- staratras
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ご指摘の通り、「世界で〇〇の100人」というランキングについては、アメリカの雑誌のように「毎年恒例の自前の記事」として掲載している日本の雑誌は、ほとんどないでしょう。この理由を考えてみれば、アメリカだけでなく世界中に読者がいる雑誌ではそうした記事が好まれるのに対し(例えばインドの読者は少なくともこれに選ばれたインド人については興味深く読むでしょう)、ほとんど日本でしか読まれない日本の雑誌の読者は「外国で活躍している外国人」には、超有名人を除きあまり関心がないからではないでしょうか。雑誌の発行元がどの国かというより、読者がどのくらい世界に広がっているかがポイントのように思います。 またこうした読者を想定した理由だけでなく、「世界で〇〇の100人」は(「日本で〇〇の100人」でさえもある程度そうですが)、真面目に取材して記事を作ろうとすれば相当のコスト(時間・費用)がかかるので、そのコストに見合うかどうかという判断もあるでしょう。こうしたものが毎年世界の新聞・放送で取り上げられていることを考えれば、アメリカの雑誌の場合は十分元が取れているかもしれません。 ただし、何にでもランキングを付けたがるのは、別にアメリカの雑誌に限ったことではなく、日本でも江戸時代には「見立て番付」というものが流行しました。これは相撲の番付の形式を借りて、ありとあらゆるものを大関(当時の最高位)・関脇・小結…と格付けしたもので、料理屋・菓子屋から温泉・美人・仇討などまさに「何でもランキング」でした。登場する数は百以上あるものも多くありました。この形式は明治以降も好まれ、例えば大正7年には北海道のさまざまなものを番付けにした「北海道百番附」が発行されています。 また、100という数はキリがよく、さまざまな要素を含むことができるので、「同種のものを100集めたもの」は日本でも昔から作られ人気がありました。代表的なものが、現代でもほとんどの人が知っている正月のかるた遊びの「百人一首」でしょう。深田久弥氏の「日本百名山」など、この形式は現代でも人気があります。ただしこれは百のものを集めただけで、ランク付けはされていません。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6892/20376)
1000人 10000 人では多すぎる 10人 1人は決定するのがむつかしい。 100人ぐらいが 少しぐらい順位が入れ替わってもいいし 記憶にも残りやすい。 といった感じかな。
- double_triode
- ベストアンサー率26% (520/1997)
ほかにも「トップ100」はよくあります。 価値をなんでも数値で表現したがる,知性ないし文化なんでしょう。もしかすると,多民族社会においては「共通のコトバ」は数字しかないのかもしれません。