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人に尽くすとは
- 人に尽くすとは、自分より相手を優先することを意味します。
- 尽くす人と尽くされる人の間には、上下関係は存在する場合もあります。
- 尽くすことは相手への思いやりや愛情の表れであり、お互いに尊重しあう関係が重要です。
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- riokawa
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人に尽くすとは 自分を見失わないでその時々に出来ることを見返り求めず行うことかと。 相手を優先は状況によります。 自分に絶対必要なことは自分を優先に、 自分がしっかりしてないと相手は助けられません。 上下は関係ありません。 でも元から上下関係の間柄でのことなら上下はあります。 それは立場だけであって見下しの気持ちではダメですね。 人に尽くしてきた人の有名な方はマザーテレサですね。 テレサさんの残した言葉は深いです。
- minttea3
- ベストアンサー率26% (287/1096)
>人に尽くすとは自分より相手を優先する事でしょうか? 違いますよ。 自分と同じように、相手を大切にするというスタンスでしょう。 紛争地域などへ行くNGOのお医者を例にあげます。 地域の怪我人や病人を助けたい。彼らのために尽くしたい、という気持がありますね。 その場合、一番大事なのは自分の身の安全です。 自分より相手を優先してしまったら、共倒れになります。相手を助けるためには、まず自分の身を守らなければならないのです。 「自分よりも相手を優先してしまったら、相手を助けることはできない」 これがすべての善意の前提です。 >また尽くす人とその相手である尽くされる人との間には、上下関係は存在しますか? 存在しません。 もし存在するとしたら、相手に尽くす立場の人間が自分の自我を捨て、相手と同一化することにより、人生での満足感を味わおうという気持があるからでしょう。 その場合は、相手に「尽くす」のではなく、「依存する」という言葉が正しいです。 依存するのは自分のためです。自分の自我を捨てるような人間が、真の意味で他人の力になれることはあり得ません。 そして、依存された側には、依存してくる人間は「自分より下」に見えるのでしょう。 自分がいなければ人生の目的もなくしてしまうような依存的な人間を尊敬できるはずもありませんし、自分がいなければダメになる人間とつきあうのは面倒なものです。そんな存在を自分より下に見てしまうのは、必然だと思います。 そして、先ほどの紛争地域の例でいうと、地域の方たちはNGOの人々に感謝はするでしょうけれど、自分より上という意識は持たないと思います。 人は対等であるからこそ、助け合いが出来るのです。 したがって、依存ではなく他者をたすける、尽くす、という行為に上下関係は存在しないと思います。
「人に尽くす」この言葉には ~ねばならない という自分を強いる意味や上下関係はありませんね。 愛する人 好きな人になら尽くしたい気持ちが自然に出てきます。 愛する人が 今 何をしてほしいと思っているのかを推し量ることです。 自分を犠牲にすることなく自ら心地よいと思えれば それが尽くしている人の幸せなのです。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
自分が得意なことをやってみたらほかの人の役に立ったということだろうと思います。本質的な上下関係はないと思います。苦手なことをいやいややっているのはその人に尽くしていることにはならないと思います。こういう場合に尽くしているといいたがる人が多いことも事実ですが…
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
たいがい尽くされるほうは迷惑と感じるものです。 理由は、相手が自分の視点で自分の判断で何かを強引にやったうえ、感謝してくれろという態度になるからです。自分のほうに損をしてそれを我慢した分ありがたがれという目で見られるのがうれしい人はいません。 ある人に、異性が「つくす」ということを始めたら、それは求愛行動であり、カマキリだったら相手を食いつくすという結果になることです。 上下関係でもなんでもなく、支配しようとするほうが「尽くす」という言葉できれいごとにするんです。相手を優先なんかしていません。相手を自分の持ち物にしようとするんです。 どんなに迷惑かを理解できる人間が本当の人間になります。
「尽くす」内容次第ですが。
- SAKUiro
- ベストアンサー率16% (65/397)
尽くすというのは、自分がそうしたいからするのであって、結局は自己満足です。対象が何であっても同じです。